第81話 激情
俺、グレイノース=リオンハーツは、これまでに積み重なった数々の事件、そのすべての裏に――モデリスク王国の王が関わっていると、疑いようのない確信を抱いていた。
だからこそ、俺は一人で王城へ向かった。胸を締め付ける嫌な予感を振り払うこともできないまま、ただひたすらに走り続け、王城の最奥――玉座の間へと辿り着いた。
そして、扉を開いた。
そこに広がっていた光景は、俺の覚悟を嘲笑うかのように、あまりにも残酷だった。
床に倒れ伏し、血に染まったアングハルト。
かろうじて息はあるが、その体は見るも無惨で、今にも命が尽きてしまいそうだった。
俺は迷わず駆け寄り、アングハルトを抱き起こす。
――生きている。
その事実に安堵したのも束の間、視線の先、玉座の上に座る男が、ゆっくりと口角を吊り上げた。
まるで見世物でも眺めるかのように。
まるで、すべてが思惑通りだと言わんばかりに。
俺と、瀕死のアングハルトを。
その笑みを見た瞬間、胸の奥で何かが音を立てて壊れた。
「あんたが……アングハルトを、こんな目に遭わせたのか……」
だが、その問いを男は意に介さない。
俺ではなく、アングハルトへと視線を向け、どこか残念そうに――失望したように口を開いた。
「残念だよ……」
その声音は、あまりにも冷たく、歪んでいた。
「まさか、親友であるお前が……“王”である私に、意見してくるとはな……」
その言葉に、アングハルトの体が震えた。
彼は、傷だらけの体に鞭打つように、ゆっくりと、だが確かに立ち上がる。ふらつきながらも、その目には確かな意志が宿っていた。
「……黙れ……!」
絞り出すような声が、玉座の間に響く。
「黙れ!!お前が……“王”を名乗るな!!俺を……親友と呼ぶな!!!」
それは、怒りだけの叫びではなかった。
悲しみ、憎しみ、そして裏切られた者の絶望が、すべて混ざり合った――魂の叫びだった。
叫び終えたアングハルトは、大きく肩で息をし、荒く呼吸を整える。それでも、その視線は玉座の男から逸れない。
そして、はっきりと、力強く言い放った。
「俺の親友は……エルディオンだけだ……」
その名が、静かに、だが確かに空気を切り裂いた。
――エルディオン。
それは、モデリスク王国の王の名。
そして同時に、アングハルトが“親友”と呼んだ、ただ一人の男の名。
俺の中で、理解が追いつかない感覚が渦を巻く。
(……どういう、意味だ……?)
視線を、玉座の男へと戻す。
(目の前にいるこの男は……エルディオンじゃない?)
だが、すぐに新たな疑問が浮かぶ。
(じゃあ、こいつは誰だ?もし王じゃないなら……なぜ騎士たちは? なぜ国民たちは?なぜ、誰もが“この男を王だと信じている”……?)
理解が、追いつかない。
想像すらしていなかった真実を突きつけられ、俺は思わず息を呑んだ。
頭の中で、思考が空回りする。
だが――そんな混乱を嘲笑うかのように、玉座の男は高らかに笑い声を響かせた。
「はっはっは!」
玉座の間に、不快なほどよく通る笑い声が反響する。
「惚けたか、アングハルト!この顔、この声……どう見ても、エルディオンそのものだろう!」
その言葉に、アングハルトは悔しそうに歯を食いしばった。怒りと悲しみが混じった視線を男に突き刺し、まるで最後の確認を叩きつけるかのように、叫ぶ。
「……エルディオンは、どこにいる……」
そして、震える声で――だが、確信を込めて言い放った。
「答えろ!!宰相!!!」
玉座の上から、冷たい気配が降り注ぐ。
空気が、目に見えないほど鋭く凍りつく。
男――いや、宰相は、ゆっくりと杖を構えた。
次の瞬間、彼の周囲に、複数の氷の槍が音もなく出現する。宙に浮かぶそれらは、まるで意思を持つかのように整列し、鋭い切っ先をこちらへ向けていた。
宰相は、アングハルトを見下ろし、冷え切った視線で告げる。
「……王である、この私――エルディオンに逆らう人間は……要らぬ」
座したまま、まるで処分を宣告するかのように、杖の先を静かにアングハルトへ向ける。
それに呼応するように、宙を舞う氷の槍が一斉に軋み、狙いを定めた。
宰相は、薄く笑みを浮かべる。
「この国への忠義……ご苦労だった」
その声は、労いなどではない。
死刑宣告だった。
次の瞬間――
氷の槍が、一斉に弾けるように動いた。
空気を裂き、凄まじい速度で、アングハルトへ向かって――殺意そのものとなって、襲いかかる。
考えるより先に、体が動いていた。
俺は、一歩――いや、半歩も躊躇うことなく、アングハルトの前に踏み出す。
――守る。
その意志だけが、頭の中を満たした。
――《爆炎魔法》
突き出した掌に、魔力を一気に集束させる。
収束した魔力は、瞬時に灼熱へと姿を変え、俺の掌を起点に正面へと爆ぜ広がった。
轟、と空気が震える。
壁のように展開された炎が、迫り来る氷の槍を呑み込む。触れた氷は次々と融解し、白い蒸気を上げながら砕け散っていく。
だが――完全には止めきれない。
溶けきらなかった氷の破片が、勢いを失わぬまま弾け、俺の腕を、脚を、頬を浅く裂いた。
「……っ」
鋭い痛みが走る。
だが、後ろにいるアングハルトには、一片たりとも届かせない。
氷の嵐が止み、蒸気がゆっくりと晴れていく。
玉座の上から、王――宰相は、興味深そうに俺を見下ろしていた。
「ほぉ……」
その声には、驚きよりも愉悦が混じっている。
「今の魔法を……すべて防ぐか」
まるで、予想外の玩具を見つけた子供のような視線。そして次の瞬間、王は何かに気づいたように目を見開いた。
「……ん?」
俺の顔を、じっと見つめる。
「もしや……お前か?」
記憶をなぞるように、ゆっくりと言葉を続ける。
「無能でありながら――ラナリア王国から勲章を授けられたという、あの少年は?」
……沈黙。
あまりに唐突で、あまりに歪んだ評価に、俺は一瞬、言葉を失った。
その沈黙を、肯定と受け取ったのだろう。
王は、つまらなそうに頬杖をつき、ため息交じりに笑う。
「そうか……お前か」
その声音には、後悔など一片もない。
「お前を、この街に通さなければ……あの衛兵も、死ぬことはなかったのにな」
まるで、壊れた道具の話をするかのような軽さ。
――あの衛兵。
その一言で、全てが繋がった。
(……ハンス……)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
あの日、正義を貫こうとして、この国の闇に触れて、命を奪われた、あの男。
気づけば、俺は言葉を漏らしていた。
「俺が……この街に来たから……」
ぽつりと零れた、その言葉は、
刃のように胸の奥へ突き刺さった。
ハンスの顔が、あの時の笑みが、城門で交わした何気ない会話が、脳裏を焼く。
――俺が、来なければ。
その考えが、津波のように押し寄せ、視界が僅かに揺れる。
気づけば俺は、俯いていた。
だが――
「あいつの言葉に、耳を傾けるな!!」
背後から、鋭く、叩きつけるような声が響く。
アングハルトだった。
「お前のせいじゃない!!すべては――あの男が選び、あの男が引き起こしたことだ!!」
怒りと必死さを滲ませたその声は、迷いに沈みかけていた俺の意識を、力強く引き戻した。
……そうだ。
俺は、ゆっくりと顔を上げる。
再び、玉座に座る“王”を――いや、“宰相”を、真正面から見据えた。
その瞬間、視線が絡み合う。
「噂では……」
王は、品定めするような目で俺を眺め、低く言葉を紡いだ。
「お前のスキルは《転移》だと聞いていたが……
その《転移》だけでなく、炎の魔法まで扱えるというのか……」
探るような声音。羨望と猜疑が入り混じった、濁った眼差し。視線の奥で、王の感情が、ゆっくりと蠢いているのが分かる。
「……才能、とでも言いたいのか……」
その呟きは、独り言のようでありながら、
確かな毒を孕んでいた。
次の瞬間――
王は、突如として頭を抱えた。
爪が、顔に食い込む。
ガリ、ガリ、と嫌な音が玉座の間に響く。
「どいつも……こいつも……!」
狂ったように顔を掻きむしりながら、王は叫ぶ。
「才能、才能って!!俺を見下しやがって!!」
血が滲み、皮膚が裂けるのも構わず、爪はさらに深く、深く。
「私が……この俺が!!王になれないとでも……」
吐き捨てるような声。
「先に生まれただけの存在のくせに!!それだけで、王になれるなど……!」
そして、歪んだ激情は、別の名を呼び起こす。
「ラナリアの人間は……いつもそうだ!!セリオディアンの奴も!!」
その名に、空気が張り詰める。
「俺の話など聞きもしない!!あいつの言葉ばかりを正しいとし、俺の意見には目も向けない!!」
荒く息を吐きながら、王は叫び続ける。
「政治の理は……俺の方が理解している!!現実を見て、正しいことを言っているのは俺だ!!」
だが――
「それでも……誰も、俺を見ない。誰一人、俺に興味を持たない……!」
その言葉には、怒りの奥に沈殿した、深い劣等感と渇望が滲んでいた。
やがて――王は、掻きむしる手を止める。
血に濡れた顔で、ゆっくりと、こちらを向いた。その目は、正気と狂気の境界で揺れていた。
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次回は【明日19時】に更新予定です。
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モデリスク王国編 陰謀編を進めていきます!
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