第80話 走り出す理由
俺――グレイノース=リオンハーツは、ラナリア王国王都アルセリオンの副騎士団長ロナン、そして彼が率いる複数の騎士たちと共に、あの地下空間へと足を踏み入れていた。
地下へ降りた瞬間、肌にまとわりつくような冷たい空気と、石と鉄の匂いが鼻を刺す。並ぶ牢、転がる魔道具、そして――ここで何が行われていたのかを雄弁に物語る痕跡の数々。
ロナンは重苦しい沈黙の中、ゆっくりと周囲を見渡しながら低く呟いた。
「……これだけの規模だ。おそらく、この地下空間は――王城の真下にまで、繋がっているだろう」
その言葉は、石壁に反響することもなく、静かに胸の奥へと沈み込んでくる。
ロナンは一瞬、言葉を選ぶように視線を伏せ、それから覚悟を決めたように口を開いた。
「……それを、この国の王が知らないとは……到底、思えないんだ」
その一言が、引き金だった。
脳裏に、ある人物の顔がはっきりと浮かび上がる。
――アングハルト。
あの時。この地下施設の存在を示唆された時、彼は妙に鋭い目をしていた。まるで"何か"を理解したような――そんな視線。
(あの時、アングハルトは……この地下施設が王城の真下にあることに、気づいた……?)
喉がひくりと鳴る。
(……アングハルトは、この国の王と親しいと言っていた……)
点と点が、嫌な音を立てて繋がっていく。
これまで起きたこと。
誘拐、禁止魔道具、強化実験、ハンスの死――その全てを、王という存在に重ね合わせた瞬間、胸の奥に冷たい確信が落ちた。
(……アングハルトは直接、王と話しに……)
次の瞬間、俺の身体は考えるより先に動いていた。
「グレイノース君――!」
背後でロナンが呼び止める声がしたが、俺は振り返らない。地下の石床を蹴り、出入り口へ向かって駆け出す。
嫌な予感が、確信に変わりつつあった。
ここまで来て、全てが王へと繋がっていないはずがない。
脳裏をよぎるのは、ハンスの顔。
あの日、最後に見たあの表情。
(頼む……生きていてくれ……)
そして――あの時、アングハルトが見せた、迷いを振り切るような、覚悟を秘めた眼差し。
心臓の鼓動が、嫌なほど大きく耳に響く。呼吸は荒くなり、脚は自然とさらに速さを増していく。
地下空間を飛び出し、夜の大通りへ。
月明かりに照らされた石畳を蹴り、王城を真っ直ぐ見据える。
一歩、また一歩。強く、強く地面を踏み締めながら――俺は真夜中の大通りを、ただひたすらに走り続けた。
「はぁ……はぁ……」
息を吸うことすら忘れ、ただがむしゃらに走っていた俺は、王城の正面に辿り着いた瞬間、ようやく足を止めた。腰に手を当て、肺の奥に溜まった空気を、思い出したように一気に吐き出す。
胸が焼けるように痛む。心臓の鼓動が、まるで警鐘のように鳴り響いていた。
俺は、ゆっくりと顔を上げ、城門へと視線を向ける。
(……誰も、いない……?)
違和感が、はっきりとした形を持って胸に浮かぶ。
おかしい。
この時間帯であろうと、王城の城門には必ず騎士たちが詰めているはずだ。
それが――
一人も、いない。
整然と並ぶはずの槍兵も、灯っているはずの篝火もない。ただ、夜の闇と、石造りの城門が沈黙しているだけだった。
その異様な静けさが、じわりと背筋を撫でる。音がないことが、ここまで恐ろしいとは思わなかった。
俺は喉を鳴らし、覚悟を決めるように城門をくぐった。
「…………」
足音だけが、虚しく反響する。
城の内部もまた、異常なほど静まり返っていた。豪奢な廊下、磨かれた床、並ぶ柱――だが、そこに“人の気配”がまるでない。
(……本当に、誰もいないのか?)
自分の心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
鼓動一つひとつが、耳元で打ち鳴らされているようだった。
俺は剣に手をかけ、周囲を警戒しながら、慎重に奥へと歩を進める。
――《空間探知》
静かに目を閉じ、体内の魔力を解き放つ。魔力は円を描くように広がり、壁、柱、床――あらゆる物体に触れながら、情報となって脳裏に流れ込んでくる。まるで、頭の中に立体的な地図が描かれるような感覚。
(周囲に……人の気配は……ない……)
予想通りの結果に、胸の奥がさらに冷える。
だが、そこで終わりではなかった。
魔力を、さらに、さらに広げていく。城の奥深くへと伸ばしていった。
その時――
(一箇所……)
気配が、集中している場所があった。しかも、一人や二人ではない。無数の人間の気配が、密集するように固まっている。
(ここは……)
位置関係が、即座に頭の中で繋がる。
城の中央。
構造から考えて――
「……玉座か……」
思わず、声が漏れた。
俺は目を見開き、即座に足に力を込める。
再び全力で走り出し、王城の奥へと向かう。
巨大な階段が視界に飛び込み、俺はそれを一気に駆け上がった。王宮内は入り組み、初めてなら確実に迷う構造だ。
だが、今の俺には関係ない。
《空間探知》が、確実に“そこ”を示している。
人の集まる場所。
この異様な静寂の中心。
嫌な予感が、確信へと変わりつつあった。
俺は歯を食いしばり、魔力の示す先へ――王宮の最深部へと、ひたすら駆け続けた。
そして――俺は、ついに玉座の間へと続く巨大な扉の前に辿り着いた。
足が、止まる。
ここまで追い立てられるように走ってきたはずなのに、この扉の前では、なぜか一歩も動けなくなった。
耳を澄ませても、物音一つ聞こえない。
――静かすぎる。
城門も、廊下も異様だった。だが、この扉の前の静寂は、それらとは質が違う。
まるで、すべてが“終わった後”の空間。
背筋を、冷たいものが這い上がる。
俺は唾を飲み込み、覚悟を決めるように一度だけ深く息を吸った。
そして――
勢いよく、扉を押し開けた。
「――――っ!!」
視界が開けた、その瞬間。
俺の目に最初に飛び込んできたのは、
豪奢な玉座でも、並び立つ兵士でもなかった。
床に、うつ伏せで倒れ伏す、一人の男。
血に濡れ、動かない――見慣れた背中。
「……嘘だろ……」
喉から、掠れた声が零れ落ちる。
次の瞬間、脳裏に過去の光景が雪崩れ込んできた。
アルが倒れた時の、あの冷たい感触。
ハンスの命が失われた瞬間の、どうしようもない無力感。
――また、なのか。
そんな思考が浮かぶより早く、俺の体は動いていた。
警戒も、状況判断も、すべてを投げ捨てて。
俺は床を蹴り、倒れた男のもとへと駆け寄る。
腕を差し入れ、その体を抱き起こす。
「ア、アングハルト!!」
声が、震えた。
頼む。
頼むから――
その願いが通じたのか、アングハルトの閉じられていた瞼が、ゆっくりと動く。
かすかに開いたその瞳が、俺を捉えた。
「……ぐ……グレイノース……か……」
弱々しい声。
だが、確かに“生きている”声だった。
その一言だけで、胸に張り詰めていた何かが、音を立てて崩れ落ちる。
――生きている。
それを理解した瞬間、全身に安堵が広がった。
だが――次の瞬間、俺は我に返った。
ここは、玉座の間だ。
ゆっくりと顔を上げ、周囲を見渡す。
すると――
壁際に、ずらりと並ぶ金色の鎧。
数十はいるだろうか。
黄金に輝く兵士たちは、微動だにせず、無表情で正面を向いていた。
生きているのか、死んでいるのか。
それすら分からない、異様な存在感。
そして――
視線の先、玉座の上。
一人の男が、そこに座っていた。
頬杖をつき、まるで退屈そうに。
まるで、すべてを見下ろす観客のように。
俺を、見ていた。
俺はアングハルトを抱えたまま、ゆっくりと立ち上がり、玉座の男を睨みつける。
「あんたが……」
声が、自然と低くなる。
「……アングハルトを、こんな目に遭わせたのか……」
問いというより、糾弾だった。
その言葉を受けて、男は少しだけ首を傾ける。
そして――
口元を、歪めた。
ニヤリ、と。
ぞっとするほど、楽しげな笑み。
その笑みが何を意味するのか、言葉にされる前から分かってしまう。
肯定。
それ以外、ありえない。
俺は、奥歯を強く噛み締めた。
(この男が――すべての元凶?)
その確信が、胸の奥で重く、確かに形を成していた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回は【明日19時】に更新予定です。
引き続き
モデリスク王国編 陰謀編を進めていきます!
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