第74話 勝つ為に
俺、グレイノース=リオンハーツは、冒険者ギルド二階の大部屋でグラッドと対峙していた。この街のギルドマスターを名乗る男――その正体が、俺の前に立っている。
グラッドは、自身の眼に埋め込まれた魔導義眼によって、俺のスキル、動き、癖、そのすべてを把握しているという。さらに、奴が身に着けた魔導具の影響で、《真眼》も《竜の威圧》も封じられていた。
俺は幻装剣の柄を強く握り、全神経をグラッドに集中させる。空気が張り詰め、互いの呼吸音すら耳につく。
グラッドの手元が、僅かに動いた。
――来る。
直感が、叫んだ。
次の瞬間、グラッドは地を蹴り、一直線に距離を詰めてきた。剣を横に構え、その体は異様なほど滑らかに、そして速い。まるで加速しているかのような動き。
俺は反射的に足に魔力を込めた。
――《縮地》。
一歩。
その一歩で、空間が折り畳まれる。
俺とグラッドの距離は、瞬時にゼロになった。互いの体温が伝わるほどの至近距離で、刃と刃が真正面からぶつかる。
ガキンッ――!
金属が悲鳴を上げ、衝撃が腕を痺れさせる。
俺とグラッドは同時に半歩、後ろへ弾かれた。俺は歯を食いしばる。だが、グラッドはまるで何事もなかったかのように、平然と剣を振り上げてきた。
次の一撃。
その軌道を読み、俺は剣で受け、弾き、流す。
だが――
逸らしきれない。
刃が頬を掠め、熱を持った痛みが走る。
じわりと血が滲み、頬を伝って落ちた。
間髪入れず、グラッドは剣を引き戻し、俺の懐へ鋭く突き込んでくる。
――《瞬速》
魔力が巡り、体が一段軽くなる。
俺は剣先が胸に届く直前、体を捻ってかわした。
だが、それでも――グラッドの方が、速い。
刃が脇腹を掠め、焼けるような痛みが走った。
「ぐ……」
息が漏れる間もなく、追撃が来る。
突き。
突き。
突き。
一直線で、無駄のない剣筋。
脇腹、顔、腕、脚――俺は加速した体で必死に避け、弾き、かわし続ける。
だが、完全には防げない。
微かに、しかし確実に、グラッドの刃は俺の皮膚を切り裂いていった。
血の匂いが濃くなる。
呼吸が乱れる。
それでも、剣は落とさない。
そんな俺を見て――グラッドは、楽しむように口角を吊り上げた。
そして、ニヤリと笑いながら、言葉を発した。
「……この不安定な壁じゃあ。お前が得意にしてた、壁を使った高速移動もできねぇよな」
余裕たっぷりの声音。
嘲るような視線。
――図星だった。
この大部屋の壁は、装飾と窓が多く、耐久も低い。《雷走》を使えば、壁を踏み抜き、戦場を自ら壊すことになる。
(……使えない)
悔しさが、喉の奥に溜まる。
だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
――ならば。
俺は剣を握り直し、魔力を一気に流し込んだ。
――《爆炎魔法》。
剣身が紅く光を帯び、熱を孕んだ炎が刃を包み込む。空気が揺らぎ、剣先から立ち昇る熱が、視界を歪ませる。
――技能《炎舞――》
技を完成させるため、剣を振り抜こうとした、その瞬間。
「……いっせ――」
世界が、反転した。
胸元が、内側から裂けるように熱を帯びた。
「……ぐ……っ」
衝撃と痛みで、剣を振り抜く動きが止まる。
視線が自然と、自分の懐へと落ちた。
そこには――深く、鮮やかな斬撃の跡。
紅く染まる衣服。熱と鈍痛が遅れて押し寄せ、思わず息が詰まる。集中が途切れ、剣に宿っていた魔力が霧散する。炎は消え、ただの刃に戻った。
その光景を見て、グラッドは満足そうに口を開く。
「お前の使う技能な。正直、センスはいいと思うぜ」
まるで師が弟子を評価するような口ぶり。
「だがな……発動までが、長ぇ」
淡々と、しかし確実に突き刺さる言葉。
悔しさが、胸の奥で膨れ上がる。だが、俺は歯を食いしばり、思考を止めなかった。
(……何か……あるはずだ)
視線を走らせる。
グラッドの頭、肩、腕、足。
筋肉の動き、重心の位置、呼吸のリズム。
逃げ道はない。
勝ち筋を見つけるしかない。
その間も、グラッドは講釈を続ける。
「魔力を込めて、剣に宿して振る。魔物相手ならそれで十分だ」
剣を軽く振り、床に刃先を向けながら、言葉を続ける。
「だがな……考えて動く人間相手だと、その“溜め”は致命的なんだよ」
そして、グラッドは左手の剣を、まっすぐ俺に向けた。
その時――視界の端に、"それ"は映った。
左手。人差し指と中指にはめられた、魔導具の指輪。
(……あれだ)
確信が、胸の奥で弾けた。
(あの魔導具を外せば……)
魔導具は、魔力を流し込むことで効果を発揮する。
つまり――指から外せば、その効力は失われる。そうなれば、《真眼》も、《竜の威圧》も封じられたままではない。
(だが……どうやって……)
グラッドは速い。
隙はほとんどない。
正面から狙えば、確実に斬られる。
必死に思考を巡らせる中――
ふと、一つのスキルが脳裏をよぎった。
(……転移)
胸の奥に、微かな光が灯る。
(――あいつは、俺の“奪う力”が《真眼》由来だと思い込んでいる)
地下での戦い。
スキルを奪ったのは、《転移》を使う前――そして、その場で衛兵は死んだ。
(つまり……《転移》のスキルには、まだ気づいていない)
ならば。
俺は剣を強く握り直し、両手で構えを固めた。
――《超回復》。
淡い光が胸元を包み込み、裂けていた懐の傷が、まるで最初から存在しなかったかのように塞がっていく。熱と痛みが引き、呼吸が少しだけ楽になる。
その様子を見たグラッドは、目を細め、感心したように口笛を鳴らした。
「ほぉ……回復系まで持ってたか」
余裕を崩さない声音。
「だがよ。回復が追いつかねぇくらい切り刻めば関係ねぇし……」
ギラついた視線が、俺の全身をなぞる。
「それに、お前の魔力がいつまで保つか……だな」
そう言い捨てると、グラッドは剣を持ち替えた。左手の剣を、迷いなく右手へ。
――空気が変わる。
次の瞬間、振るわれた剣は、今までとは比べ物にならない重さを伴っていた。
一撃、一撃が――重い。
ただ当てるための剣ではない。
確実に、俺を殺すための剣。
俺は振り下ろされた刃に、正面から剣を合わせた。
ギリ……ギリギリ……
金属と金属が噛み合い、軋む音が部屋に響く。腕に衝撃が走り、骨が悲鳴を上げる。
だが、押し負けない。
弾き返し、すぐさま胴へ斬り込む。
右、左、腕、胴――渾身の連撃。
だが、グラッドはすべてを容易く捌く。無駄のない動き。まるで、こちらの剣筋をすべて読んでいるかのように。
――そこで、俺はわざと体を捻った。
足がもつれたように見せ、態勢を崩し、前によろめく。
露骨な隙。
それを、グラッドが見逃すはずがない。
「……甘ぇ!」
勝利を確信した声と共に、グラッドは全身の力を込めた大振りの一撃を振り下ろしてきた。
――だが。
(これを……待っていた)
俺は、踏み込んだ足で床を噛みしめる。
体勢を立て直し、剣に力を集中させる。
右手に持ち替え、振り下ろされた剣を――弾いた。
「……なっ!?」
想定外の反応に、グラッドの体がわずかに仰け反る。全力で振り抜いた一撃は、すぐには引き戻せない。
それが、“隙”だった。
俺は、その瞬間を逃さない。
空いた左手に、全身の力を込める。
そして、グラッドの顔面へ、渾身の拳を振り抜いた。
しかし――
一直線に伸びた俺の拳は――グラッドの顔面、その寸前で止められた。
乾いた音もなく、衝撃もない。
ただ、確かに“掴まれている”。
グラッドは左手一本で、俺の渾身の拳を必死に受け止めていた。指先が震え、腕に力がこもっているのが分かる。
それでも――グラッドは、笑った。
勝利を確信した者だけが浮かべる、あの忌々しい笑み。口角がゆっくりと吊り上がり、俺を見下ろすように目を細める。
――だが。
俺は、この瞬間を待っていた。
(……この距離なら)
息を吸い、意識を一点に集中させる。
左手に、静かに魔力を集束させた。
――スキル《転移》。
刹那。
グラッドの指に嵌められていた魔導具は、まるで最初から存在しなかったかのように、空間から消え失せた。指先にあった“重み”が消えた瞬間、グラッドの表情が凍りつく。
「……な……!?」
反射的に視線が、自分の指へと落ちる。
ほんの一瞬――だが、致命的な一瞬。
俺はその隙を逃さなかった。
右手の剣を一気に引き戻し、迷いなく、グラッドの首筋へと切り掛かる。
――だが。
次の瞬間、俺の思考は完全に止まった。
グラッドは、剣を――手放した。
落ちる金属音すら立てず、空いた右手で、俺の剣を――素手で、受け止めた。
「……ッテェ……」
鈍い声。
掌から血が噴き出し、俺の剣先は、一瞬で赤に染まる。
(……なんで……剣を……?)
理解が追いつかない。
だが、グラッドは気にも留めない様子で、裂けた掌を引き抜き、その手を強く握り締めた。
次の瞬間――拳が開かれる。
溜まっていた血が、勢いよく弾けるように飛び散った。
赤。
視界いっぱいに広がる、赤。
血が目に入り、景色が歪み、俺の世界は一気に滲んでいく。
「……っ!」
反射的に瞼を閉じた、その瞬間――
――腹部に、鈍く、重い衝撃。
「……グフッ!」
息が詰まり、内臓が揺さぶられる感覚。グラッドの重い蹴りが、正確に俺の腹を打ち抜いていた。
俺は堪えきれず、その場に膝をつく。腹を押さえ、必死に呼吸を整えようとするが、視界はまだ赤く滲んだまま、何も見えない。
――完全に、目を奪われた。
闇の中。
聞こえるのは、足音だけ。
……コツ。
……コツ。
一定の間隔で、近づいてくる。
そして――
カチャリ。
乾いた金属音。
その音だけで分かる。
グラッドが、手放した剣を拾い上げたのだと。
見えない。
逃げ場も分からない。
ただ、
ゆっくりと、
確実に、
距離を詰めてくる足音だけが――
俺の耳の奥で、嫌になるほど鮮明に響いていた。
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次回は【明日19時】に更新予定です。
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