第8話 無能に宿る不屈の心
視界の先、ゴブリン・キングが口角を吊り上げ、歯の隙間から黒い影が覗くような狂気じみた笑みを浮かべていた。まるで――喜びと残虐性が混ざり合うような。
その圧倒的な巨躯に俺の全身に戦慄が走る。
俺は体の奥底を刺すような恐怖を振り払うように、唇を強く噛み締めた。胸の奥で心臓が烈しく打ち、血が逆流するかのように全身を駆け巡る。目の前に立ちはだかる恐怖に向き合うため、荒く息を吐き出す。
アドレナリンが神経を支配し、痛みも恐怖も、一瞬の間だけ意識の外に消えた。
その刹那――巨大な剣が俺の真横を裂くように迫り反射的に剣を握る。体を丸めて刃を受け止める構えを取る。
だが、刃に押され、俺の体は空中に舞い上がる。慣性のまま、木造の民家の壁に打ちつけられ、全身に鈍い衝撃が広がる。
動こうとしても思うように体が反応せず、額から血が流れ落ちた。
胸が締めつけられる....呼吸が荒い....頭の奥がぼんやりと重い。
耳に遠く鈍い余韻が響き、視界はまだ揺れている。体はまだぎこちなく、筋肉の震えが収まらず、思うように体を起こすこともできなかった。
――それでも、立たなきゃ終わる。
朦朧とした意識の向こうから、ゴブリン・キングの足音が地面を踏みしめるたびに響いてくる。まるで、死刑宣告の秒針みたいに、その音は一定のリズムで近づいてくる。
「……っくそ……!」
俺は震える腕を伸ばし、剣先を杖代わりに地面へ突き刺した。歯を食いしばりながら、ゆっくりと体を持ち上げる。
立てる――まだ、戦える。
体全身が悲鳴を上げている。呼吸も荒く、胸の奥が焼けるほど痛い。けれど、心だけは折れていない――折れられない!
「行くぞ……ッ!」
足に残った力をすべて込め、一気に地面を蹴る。視界を掠める巨体の影へ、俺は飛び込んだ。ゴブリン・キングの懐へ滑り込み、足元へ刃を走らせる。
斬撃――! さらに斬撃――!!
俺の攻撃は止まらない。剣を振る度に次の一太刀が湧き上がってくる。
「まだだッ!!!!」
刃が空気を裂き、閃光のような軌跡を残しながらゴブリン・キングの脚へと食い込む。
一撃.....また、、一撃.....
心臓の鼓動さえ斬りつける勢いで、俺は―――畳みかける―――重たい手応えが腕に伝わるたびに、焼けるような痛みも忘れさせてくれる。
満身創痍の俺を動かしているのは体に刻み込まれた鍛錬の記憶。何百回も繰り返した動作が、俺の体を突き動かす。
何十回と反射のように剣を振り抜くたび、肉を裂く手応えが確かに掌へ戻ってくる。深く刃が食い込むたび、返り血が熱を帯びて頬に散った。
―――入ってる。
間違いなく、斬り込めている.....けれど――どうにも、胸の奥がざわつく。
何か―――おかしい......
その違和感は、斬るほどに膨らんでいった。ゴブリン・キングは、まるで岩肌を削られているだけのように眉ひとつ動かさない。痛みどころか、苛立ちすら見せない。
むしろ――楽しんでいる。
そんな狂気すら感じられた。
俺の斬撃が降り注ぐ中、奴はただ飽きた観察者のように俺を見下ろしているだけだった。そして、ゆらりと口元が吊り上がっていく。ねっとりとした、悪意の塊みたいな笑み―――
「人間は……哀れだな。」
低く響いた声は、嘲り以外の何ものでもなかった。意味は分からない....だが、その“余裕”だけは痛いほど伝わってくる。
そして――――次の瞬間。
ゴブリン・キングの全身が淡く光を帯びた。
「っ……!」
斬り裂いたはずの傷口が閉じていく。血も跡すら残さず、まるで最初から何もなかったかのように。
「うそ、だろ……」
内側から骨まで凍りつくような、凄まじい悪寒が胸を押し潰した。俺は、ようやく理解する。
これだ――これが、俺の感じてた違和感の正体。
あいつは――わざと斬られていた。俺の必死の攻撃を、まるで暇つぶしの“遊び”として扱っていたのだ。その事実を知った瞬間、俺は思わず後ずさる。体が勝手に退き、視界の端まで世界が揺れる。
混乱が頭を支配する。
あの光――確かにスキルの光だった
胸を押し潰す恐怖、怒り、絶望、ありとあらゆる感情が俺の脳内で渦を巻き、理性を押し流していく。そんな俺をゴブリン・キングは冷たく見下ろしている。そして、ゆっくりと、低く響く声で口を開いた。
「――“超回復”…… キサマにわざと斬られた。これを見せるためダ…… 」
その言葉を聞いた瞬間、俺の顔が無意識に歪む。絶望が、胸を締め付け、息まで重くなる。
俺の顔を見たゴブリン・キングは、大きく口を開き、嘲笑混じりの声をあげた。
「そのカオ…… そのカオだ!ニンゲンの絶望したカオ…… ソレを眺めながら壊シていくのが……タマラナイ!」
怒りが沸き上がる。だが、それ以上に――圧倒的な絶望が全身を覆い体が強張る。
―――《真眼》
俺は、その事実を確かめるように、絶望を突き返すように、スキルを発動させた。
絶望に押し潰されそうな胸を振り払い、俺の視界に半透明のステータス画面が浮かび上がる。
【種族】:ゴブリン・キング
【体 力】:480【攻撃力】:330
【防御力】:210 【俊敏性】: 80
【魔 力】:120
【スキル】
・超回復 ー 任意で全ての傷を治す
【加護】
・攻撃増化
・体力増化
目の前に映る「超回復」の文字が、確かに確実にその存在を主張している。
だが、魔力には限界がある。
あいつの魔力が尽きるまで、何度でも……何度でも……まだ、勝機はあるはずだ。
そんな希望は、一瞬で吹き飛ばされる。
ゴブリン・キングの足が、俺の眼前まで迫る。風圧が体を吹き飛ばし、骨が折れるような鈍い音が全身に響いた。
身体が、言うことを聞かない――立ち上がれない、もう、動けない……。
俺はその場に倒れ込み、視界が揺れ、呼吸すらまともにできない。体中が痛みに支配され、抵抗する力さえ残っていなかった。その時――悟った。スキルがあっても、なくても、奴には到底敵わない。力の差が、桁違いすぎるのだ。
そんな俺の全身の力が抜けた瞬間、ゴブリン・キングの巨大な手が俺を掴んだ。まるで玩具のように、俺の体は軽々と宙に持ち上げられ、地面が遠ざかる。目の前にゴブリン・キングの禍々しい顔が迫る。その吐息が、まるで冷たい風のように俺の頬を撫でる。
「可哀想だな……無能な人間は」
ゴブリン・キングの瞳は、憐れみと嗜虐の入り混じった冷たい光を宿している――奴は、気づいていた。
俺に、スキルが無いことを。
戦う力が備わっていないことを。
俺は無意識にステータス画面を開いていた――半透明のステータス画面。そこに刻まれた《超回復》の文字。
まるで俺の心を嘲笑うかのように、やけに眩しく揺らめいて見えた。気づけば、俺は手を伸ばしていた。触れもしないと知っているのに。ほんの一瞬でも、自分にも届くと錯覚してしまったのかもしれない。
スキルさえ、あれば......
たった一つ、それだけで世界は変わる。実力の差が埋まり、戦局すら覆せる。運命を、自分の意思でねじ伏せられる――はずだった。
初めてだった。
自分の運命を本気で呪ったのは......
もちろん、ステータス画面に実体なんてない。俺の指先は空を掻くだけで、掴めるものなどどこにもない。それでも、虚空に向けて必死に拳を握りしめることしかできなかった。
悔しい……。
そんな俺を、ゴブリン・キングはつまらなそうに見下ろすと――壊れた玩具でも捨てるみたいに――片手で地面へ叩きつけた――
「がはっ……ッ!!」
鈍い衝撃とともに肺の空気が強制的に吹き飛ぶ。背中に焼けるような痛みが走り、視界が一瞬、真っ白に弾けた。
動かない.....息すらまともに吸えない.....。
地面に沈んだまま、俺はもう抗う理由すら見失っていた。心のどこかで細く残っていた火が、ゆっくりと静かに消えていく。
ゆっくりと目を閉じる――暗闇の奥で父との思い出が、走馬灯のように....駆け巡る.....。
幼い頃、叱られた日のことも、笑い合った日のことも、剣を握った手に注いでくれた温もりも――全部、鮮やかに胸を打つ。
――諦めるな。
父の声が、まるで今ここで俺を励ますかのように耳元で響いた。弱りきった心に、ほんのわずかな熱が戻る。
その瞬間―――《超回復》。
頭の奥で、誰かが囁くようにその言葉が弾けた。次の瞬間、体が淡い光に包まれる。この、見覚えのある光――再生の光が痛みと絶望を押し流すように、体を満たしていった。
じわり、と身体の奥に熱が広がる。折れたはずの骨が繋がり、千切れそうだった筋肉に力が戻っていく。
さっきまで全身を焼いていた痛みが――嘘みたいに消えていく。
「……っ、は……!」
息が吸える。
体が………………動く!!
俺は、ゆっくりと――地面を押して立ち上がった。まるで、世界が再び色を取り戻すように――
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
グレイに目覚めた再生の力。
どうして目覚めたのか?
また、明日も投稿しますので
ぜひ楽しみにしていてください!
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