第73話 封じられた"真眼"
俺、グレイノースの剣とグラッドの剣は、冒険者ギルド二階の大部屋で、互いの存在を拒むように噛み合っていた。火花すら散らないその均衡は、むしろ不気味な静けさを伴っている。
グラッドを倒すため、切り札である《真眼》を発動させようとした、その瞬間だった。
腹の奥に、重たい衝撃が叩き込まれる。
「――っ!」
息が詰まり、視界が一瞬揺れる。俺の懐へ、寸分の迷いもなく放たれたグラッドの蹴りだった。
俺は耐えきれず、その場に膝をつく。床に落ちる音が、やけに大きく響いた。
見下ろすグラッドの姿。その表情は、まるで俺の行動、思考、次に取る選択まで――すべて見通しているかのようだった。
「あの透明の壁のスキル……使わねーのか?」
軽口。
だが、その裏にあるのは、確信だ。
(なぜ……俺のスキルを知っている……?)
胸の奥が、ひやりと冷える。恐怖、という単語では足りない。もっと深い。逃げ場のない場所で、背中を壁に押し付けられたような、圧迫感。
それでも俺は、目を逸らさなかった。無意識のうちに、俺はグラッドの顔を凝視していた。
吊り上がった口角。
愉悦を隠そうともしない瞳。
そして――その瞳の奥。
金色の輪郭が、淡く、しかし確かに、光の縁取りのように滲み出ている。
(……この目……)
脳裏に、地下空間での光景が蘇る。
焼け爛れ、恐怖に支配されていたあの衛兵の声。
"お前、その目……魔眼の一種、か?"
魔眼――。
あの時は、切羽詰まった状況で深く考える余裕はなかった。だが今、目の前にいる男の瞳は、あの言葉を否定できないほどの“答え”を宿している。
気づけば、俺は呟いていた。
「……魔眼って奴の力なのか?」
問いというより、確認に近い声音だった。その言葉を聞いた瞬間、グラッドの表情がわずかに変わる。興味を引かれたように、目を見開き――次の瞬間、楽しげに口元を歪めた。
「ほう……」
感心したような、軽い息。
「勘がいいな。……ああ、そうだ」
グラッドは、まるで誇らしげに言い切った。
「お前と同じ――魔導義眼の力だよ」
その一言が、俺の中に静かな衝撃を落とす。
(――同じ?)
ならば、俺の《真眼》も――。
「……俺の真眼も……魔導義眼なのか……」
疑問は、考えるより先に、言葉となって零れ落ちていた。
グラッドは、その反応を面白がるように俺を見つめる。一瞬、意外そうに首を傾げ――やがて、何かを理解したように、低く笑った。
「ああー……お前のは“真眼”って言うのか……」
低く、どこか愉快そうな声。グラッドはそう呟くと、物でも探すかのように、ゆっくりと右手をポケットへ差し入れた。
「せっかくだし、教えてやるよ……」
言葉と同時に、彼は自分の左の瞼に指先を当てる。それは、傷を確かめるようでもあり、あるいは自慢の品に触れる仕草にも見えた。
「俺の魔導義眼にはな……“視界共有”ってスキルを埋め込んである」
淡々とした口調。だが、その内容は、俺の背筋を冷やすには十分すぎた。
「お前と、あの地下での衛兵との戦い……全部見させてもらった。お前の手札も、動きも、だいたいな」
ぞくり、と背中を冷たいものが走る。
グラッドは言葉を切り、ポケットの中から二つの小さな物を取り出した。
金属製の指輪。
だが、ただの装飾品ではない。刻まれた魔法陣、僅かに揺らぐ魔力の気配――ひと目で、魔道具だと分かる。
グラッドはそれを掌に転がし、満足そうに眺めてから、左手の人差し指と中指に、ゆっくりとはめた。
「……念には、な」
その一言に、妙な重みがあった。
俺は、その意味をすぐには理解できなかった。
だが――
(……今だ)
そう直感した。グラッドが油断している、ほんの一瞬。
俺は歯を食いしばり、視線に意識を集中させる。魔力を、目の奥へと送り込む。
――《真眼》。
視界が、僅かに歪む。情報を“視る”感覚が、はっきりと立ち上がる。
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【スキル】
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【加護】
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【技能】
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「……っ」
思わず、息を呑んだ。
何も、見えない。
スキル。
ステータス。
加護。
本来なら視界に浮かび上がるはずの“情報”が、完全に遮断されている。
(……あの時と同じ……)
脳裏に、かつて相対した叡傑竜の姿がよぎる。
あの時も、俺の《真眼》は“スキル”に阻まれ、肝心な部分を読み取れなかった。
(隠蔽系のスキル……?)
いや――違う。
グラッドの言葉が、遅れて脳内で反芻される。
"念には、な"
その意味が、じわりと形を持つ。
俺の視線は、無意識のうちに、グラッドの左手へと向いていた。
二つの指輪。
淡く光を反射するその魔道具。
(……魔導具……)
《真眼》を妨害するための対策。
あらかじめ用意されていた。
(なら……)
俺は、思考を切り替えた。
全身に、魔力を巡らせる。血流に合わせるように、骨の奥から引きずり出すように。
――《竜の威圧》。
放たれた魔力は、気配となり、圧となり、恐怖そのものとして空間を満たす。
本来なら、並の相手は立っていることすらできない。膝をつき、呼吸を乱し、精神を折られる――それほどの力。
だが。
グラッドは、動かなかった。
眉ひとつ動かさず、平然と、その場に立ち続けている。まるで、吹き荒れる嵐の中心にいるかのように。
俺の放った威圧が“効いていない”
――そう理解した。
その瞬間、グラッドは楽しそうに口角を上げた。
(……なぜ……)
喉の奥から、掠れた声が零れ落ちた。問いというより、理解を拒む心が勝手に形を取った言葉だった。
「クック……」
それに応えるように、グラッドは肩を震わせる。顔を伏せ、片手で口元を押さえながら、必死に笑いを噛み殺している様子だった。
だが、それも束の間。
「くっ、くっ……ははっ……はははははっ!!」
抑えきれなくなった笑い声が、広い大部屋に響き渡る。歴代ギルドマスターの肖像画が並ぶ静謐な空間に、その下卑た哄笑はあまりにも不釣り合いだった。
グラッドは笑いながら顔を上げると、右手の人差し指で自分の目を指し示し、続いて左手を差し出す。そこにはめられた魔導具の指輪が、わざとらしく俺の視界に入る位置で揺れた。
「言っただろ!俺の“魔導義眼”で、お前が使ったスキルはだいたい見させてもらったって!!」
楽しげな声。だが、その一言一言が、刃のように胸へと突き刺さる。
「分かってたんだよ。その“真眼”ってスキルで他人のスキルを奪えるってこともな」
俺の呼吸が、僅かに乱れる。
「それに――」
グラッドはわざと間を置き、俺の反応を確かめるように視線を細める。
「お前の、やけに威力のある威圧スキル。あれも正直、面倒だと思ってよ」
指輪を軽く鳴らしながら、平然と言い放つ。
「だから対策は済ませておいた。“念には念を”ってやつだ」
煽るようなその口調に、俺は無意識のうちに奥歯を噛み締めていた。血の味が、微かに口内に広がる。
グラッドは、そんな俺を眺めながら、吐き捨てるように続ける。
「それにしても……他人のスキルを奪える、か」
一瞬、グラッドの視線が宙を彷徨う。
何かを思ったのか、何を思ったのか。
虚空を見るような目で憐れむような目で、再び俺に視線を向け、蔑むように言葉を発した。
「――まるで、バケモンだな」
その一言が、重く胸に落ちた。
バケモノ。
拒絶と侮蔑が混ざった、単純で残酷な言葉。
(……ああ)
心の奥で、静かに自嘲する。
確かにそうかもしれない。
他人の力を奪い、己のものにする――そんな存在を、人は“普通”とは呼ばない。
(……だけど。だからこそ――!)
胸の奥で、何かが強く弾けた。
俺は歯を食いしばり、膝をついていた床を踏み抜くようにして立ち上がる。“幻装剣”を握り直し、片手で剣先を真っ直ぐに突き出す。
その切っ先は、一点の迷いもなく、グラッドの胸元を捉えていた。
「……確かに、お前の言う通りだ」
声は低く、だが揺れていない。
「俺は……バケモノなのかもしれない――」
その言葉を、俺は否定しなかった。
奪う力。
人の在り方を踏み越えるスキル。
それが“普通”でないことくらい、分かっている。
――それでもいい。
胸の奥で、過去の記憶が一瞬だけ過ぎる。
何もできなかった自分。ただ見ていることしかできず、力を持つ者を羨み、妬み、悔しさを噛み殺していた日々。
だからこそ――。
「でもな……」
剣を握る手に、さらに力を込める。
「この力は……誰かを踏み台にするために手に入れたもんじゃない」
かつて、俺が憧れた英雄の言葉が、心の奥から蘇る。
――力は、使い方次第だ。
「俺は決めてる。この力は……守るために使うってな」
声が、自然と強くなる。
「罵られてもいい。恐れられてもいい。バケモノだって呼ばれても構わない」
それでも――。
「あんたみたいに、私利私欲のためだけに力を振るう人間を……」
剣先が、僅かに震える。抑えきれない感情が、刃を通して滲み出ていた。
「……絶対に、許さねぇ」
吐き捨てるように言い切った瞬間、空気が張り詰めた。
グラッドもまた、その敵意を正確に感じ取ったように、彼は楽しげな笑みを消し、剣を構え直す。切っ先が、ゆっくりと俺を捉える。
剣と剣。
その間に流れるのは、言葉では埋められない緊張。
俺は生唾を一つ、静かに飲み込む。
視線を外さず、グラッドの全身を捉える。肩の動き、重心の位置、足先の向き、指の力の入り方。筋肉が次にどう動くかまで、読み取るように意識を研ぎ澄ませる。
静かに息を吐き、次に吸う。
――来い。
この一瞬、この距離、この呼吸。
俺は次の動きに備え、剣を力強く握った。
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次回は【明日19時】に更新予定です。
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