第72話 殺しの理屈
本来なら、冒険者ギルドの長――ギルドマスターが座しているはずの大部屋。だが、そこに立っていたのは、俺、グレイノース=リオンハーツ追い続けてきた男――グラッドだった。
俺は、フェレツへと振り下ろされた刃を受け止め、彼女に助けを呼ぶよう叫び、その場から逃がした。俺の剣と、グラッドの剣。二つの刃が噛み合い、互いの力を打ち消すように、ぎりぎりの均衡を保っている。
グラッドは、剣の柄にさらに力を込めながら、低く声を落として言った。
「……あの女を逃したか……」
一瞬だけ、残念そうに眉を寄せる。まるで、狙っていた獲物を取り逃がしたかのような――そんな顔だった。
次の瞬間、剣に伝わる圧が、はっきりと増した。
骨に響くような重さ。
腕が軋み、指先が痺れる。
俺は歯を食いしばり、その圧を押し返すように、全身の力を剣へと乗せる。
「……お前……何も感じないのか……」
絞り出すように放った言葉。
グラッドは、不思議そうに首を傾げた。
「ん?」
その無邪気ですらある反応に、胸の奥で何かが焼ける。
「簡単に人の命を奪っておいて……何も感じないのかって聞いてんだ!!」
怒りに震える手で、剣を強く押し込む。
刃先が、グラッドの眼前へと迫る。
だが――
「ふっ……」
グラッドは鼻で笑った。
「これは仕事だ」
吐き捨てるように、だが迷いなく。
「仕事のたびに気にしてたらよ……キリがねぇだろ?」
その言葉は、あまりにも軽かった。人の命を、犠牲を、ただの作業として扱う声。
俺の内側で、言葉にできない感情が渦を巻く。怒り、嫌悪、憤り――そして、確かな殺意。
俺は、その感情を吐き出すように、剣に力を込め、グラッドの剣を弾き飛ばす。
――今だ。
左足を軸に踏み込み、身体を捻る。
右足を、迷いなく振り抜いた。
狙いは、グラッドの右側頭部。
だが、グラッドはそれを読んでいたかのように、右腕を曲げ、肘で頭部を守る。
俺の蹴りは、硬い腕に阻まれた。
――重い。
衝撃が脚に伝わる。
そして、グラッドの顔に、余裕の笑みが浮かぶ。
だが――それで終わりじゃない。
俺は即座に右足を引き戻し、地面を踏みしめ直す。今度は、右足を軸に、身体を反転。
間髪入れず、左足を――
一直線に。
渾身の力を込めて、グラッドの脇腹へと叩き込んだ。
「ぐっ……!」
鈍い声が、グラッドの喉から漏れた。
一瞬だけ、その顔が確かに痛みに歪む。
だが――それは、本当に一瞬だった。
次の瞬間、グラッドは地面を強く蹴り、軽やかに後方へと飛び退く。俺との距離を測るように間合いを取り、脇腹に手を当てる。指の隙間から伝わる痛みを確かめるように、そして――楽しそうに、口角を吊り上げた。
「今のは……効いたぜ……」
その声音には、怒りも苛立ちもない。あるのは、戦いそのものを楽しむ者の、歪んだ余裕だけだった。
グラッドは片手に持つ剣をゆっくりと持ち上げ、刃先を俺へと向ける。まるで、どこから斬ってやろうかと値踏みするように。
俺もまた、それに呼応するように剣を両手で構え、真っ直ぐにグラッドへと向けた。
「……なぜだ……」
喉の奥から、搾り出すように言葉が零れる。
「なぜ……こんな事を……」
グラッドは、心底面倒くさそうに肩をすくめ、ため息をついた。
「さっきも言っただろ?」
剣を構えたまま、淡々と告げる。
「仕事だ。仕事」
感情の起伏すらない声。
「邪魔だった。だから消した。それだけだ」
あまりにも軽い。人の命を奪った理由として、あまりにも簡単で、あまりにも冷酷だった。
(……人の命を……そんな理由で……)
胸の奥が、ざわつく。
その様子を見て取ったのか、グラッドは少しだけ残念そうに眉を下げた。
「この国はな……」
独り言のように、ぽつりと漏らす。
「この仕事をするには、打ってつけだったんだけどな……バカな冒険者達が俺からの依頼を受けてくれるしよ……」
大きく、わざとらしいため息。
「ここまでバレちまったら……そろそろ潮時か……」
天井を仰ぎ、何かに思いを馳せるような視線。だが、すぐにその目は俺を捉え、鋭く細められる。
「そのためにも――」
唇が、歪む。
「お前を殺して……あの女も殺さないと、な」
その笑みは、嘲りでも威嚇でもない。ただ純粋に、“殺し”を楽しむ者の笑みだった。
(……こいつを……)
ここで止めなければならない。
こいつを生かせば、また誰かが犠牲になる。
俺は足に力を込めた。
――《縮地》。
踏み込んだ瞬間、空間が歪む。
俺とグラッドの距離が、一気に詰まった。
剣を振り上げ、狙うは――肩。
だが、その動きを、グラッドは完全に捉えていた。間合いを詰めると同時に、グラッドもまた踏み込む。俺の剣へと、弾くように剣を振るう。
――キィンッ!
金属同士がぶつかり合い、鋭い音が部屋に響く。
右。
左。
正面。
頭部。
次々と繰り出す俺の斬撃。だが、その全てが、まるで予測されていたかのように、グラッドの剣に弾かれていく。
刃と刃が弾け合い、火花が散る。
剣を振るたびに、グラッドとの力量差を嫌というほど思い知らされていく。
「くっそ……!」
歯噛みする声と同時に、俺は踏み込んだ。
――スキル《瞬速》。
体が軽くなる感覚。視界の端が流れ、空気を裂く音が遅れて聞こえる。
一太刀、二太刀、三太刀。
疾風のように連なる連撃を、迷いなくグラッドへ叩き込む。
だが――
キン、キン、キン。
乾いた金属音が、ことごとく俺の攻撃を否定した。
グラッドの体もまた、信じがたいほど滑らかに加速している。俺の剣筋を“見てから”弾いているようにすら見えた。力を込め、最後にもう一度。渾身の力で、真っ直ぐに剣を振り下ろす。
――ガキンッ!
空中で刃と刃が交差し、互いに押し合う形で静止する。
(……何かのスキルか……?)
確信があった。純粋な技量も、力も、反応も――俺は明らかに劣っている。
そして、この差を覆すには、もう一つしかない。
俺は、剣を押し負けないように両手に力を込めながら、意識を“目”へと集中させる。
魔力を、視界の奥へと流し込む。
――《真―――》
その瞬間だった。
鈍く、重い衝撃が腹部を打ち抜いた。
「……ぐっ……!」
肺の空気が一気に吐き出され、視界が揺れる。目に集めかけていた魔力が、霧散する。
グラッドは、剣を交えたまま、ためらいなく足を振り上げていた。俺の懐を正確に捉えた、容赦のない蹴り。
俺は耐えきれず、腹を押さえ、その場に膝をつく。
(……次々と……)
息を整えようとする間にも、背中に冷たい感覚が走る。
(まるで……俺の次の動きを、全部……)
読まれている。
そうとしか思えなかった。
俺は膝をついたまま、決定打を探すように周囲を見渡す。
壁際には大きな窓ガラス。室内には重厚なテーブルと椅子が整然と並び、逃げ場になるような遮蔽物は少ない。
(《雷走》は……無理だ)
この室内で壁を使えば、確実に窓を突き破る。下手をすれば、他の冒険者や街の人も巻き込む。
思考を巡らせるが、活路は見えない。
悔しさに歯を食いしばり、俺はゆっくりと顔を上げた。グラッドは、剣を下ろしたまま、俺を見下ろしていた。警戒も、焦りもない。
まるで――様子見をしているかのように。
(……なぜ……)
胸の奥に、嫌な感覚が広がる。
(なぜ、こいつは……攻めてこない……?)
不敵な余裕をそのまま形にしたような佇まい。その静けさが、逆に俺の神経を逆撫でする。
やがて――
グラッドは、楽しげに口角を吊り上げ、静かに口を開いた。
「あの透明の壁のスキル……使わねーのか?」
軽い調子。まるで、俺の手札をすべて把握したうえでの問いかけだった。その一言が、刃よりも鋭く胸に突き刺さる。
背中を、冷たいものが這い上がった。
(……なぜ……)
思考が一瞬、止まる。
(なぜ……俺のスキルを知っている……?)
《絶対障壁》。あのスキルを手に入れたのは、グラッドが迷宮を去った“後”だ。
その後、俺は――グラッドと、一度も会っていない。
(監視されていた?誰かから情報が漏れた?それとも……もっと別の何かか。)
喉が、無意識に鳴った。乾いた音。恐怖を飲み込もうとするたびに、体が正直に反応する。
グラッドは、俺の動揺を見逃さなかった。
膝をついた俺を見下ろすその視線は、狩人が獲物の足取りを楽しむような――そんな、ぞっとするほど余裕に満ちたものだった。剣を構える気配すら見せず、ただ、待っている。
無言の圧が、部屋全体に広がっていた。
俺は歯を食いしばり、剣を強く握り直す。
ここで《絶対障壁》を使えば、防げるかもしれない。だが同時に、動きは止まり、次の一手を失う。
グラッドは、そんな俺の葛藤すら楽しむように、薄く笑った。
この男は――戦っているのではない。
(追い詰める過程そのものを、愉しんでいる)
その事実に気づいた瞬間、胸の奥で、別の感情が静かに芽生え始めていた。
――恐怖の、さらに奥。
怒りとも、覚悟ともつかない、逃げ場のない感情が、ゆっくりと形を成し始めていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回は【明日19時】に更新予定です。
引き続き
モデリスク王国編 陰謀編を進めていきます!
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