第71話 拮抗する刃
俺、グレイノースは――地下に広がる忌まわしい空間で見つけた生存者たちを救うため、冒険者ギルドの力を借りるしかないと判断し、受付嬢のエリナ=フェレツと共に、この部屋へと足を踏み入れた。
――その判断が、ここまで最悪の形で裏切られるとは思っていなかった。
目の前に立っていたのは、この街の冒険者ギルドを束ねるギルドマスター。そして同時に俺が追い続けてきた男。
グラッドだった。
グラッドは、俺を見据えたまま、不敵に口角を吊り上げる。まるで、ようやく獲物が檻に迷い込んできたとでも言いたげな、余裕に満ちた視線。
その異様な空気を察したフェレツが、慌てて一歩前に出る。
「ギ、ギルドマスター!実は緊急で――」
だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
俺は反射的に、フェレツの前へと腕を伸ばす。守るように、遮るように。彼女とグラッドの間に、はっきりとした一線を引く。
その動作に、フェレツは息を呑んだ。
俺の表情を見て、声の奥に滲む緊迫を感じ取ったのだろう。フェレツは言葉を飲み込み、何も言わずに身を引いた。
――理解してくれた。
それだけで、今は十分だった。
グラッドは、その様子を見て小さく肩をすくめると、腰に手を当て、いかにも“上に立つ者”の態度で口を開いた。
「まさか……お前が生きているとは思わなかったよ」
その声には、驚きよりも――どこか楽しげな響きがあった。まるで、死んだはずの駒が、思いがけず盤上に戻ってきたことを喜んでいるかのような。
その笑みが、俺の背筋を冷やす。
短い沈黙が落ちる。空気が、重く、粘つくように張り詰める。
何も知らないフェレツは、その異様さに耐えきれず、俺とグラッドの顔を不安そうに見比べていた。
俺は一歩も退かず、グラッドを真っ直ぐに見据える。
胸の奥で積み重なってきた疑念。
怒り。
後悔。
そして、確信。
それらすべてを込めて、俺は問いを投げた。
「……この街で起きた誘拐も、禁止された魔道具の製造もハンスの死も――」
一つひとつ、噛み締めるように言葉を区切る。
「全部……お前の指示なのか、グラッド」
問いは、疑問ではなかった。
ほとんど、断定に近い。
その言葉が、部屋の中に重く落ちる。
グラッドは、しばらく考える素振りを見せた。天井を仰ぎ、面倒そうに頭を掻く。まるで、どうでもいい質問を投げかけられたかのような態度だった。
やがて、視線だけを下げる。その目が――冷え切った刃のように、俺を射抜いた。
「……だとしたら?」
短く、投げ捨てるような一言。
そこには言い訳も、否定も、迷いもない悪事を悪事とすら思っていない。命を奪うことに、何の意味も感じていない。
――純粋なまでの冷酷。
そして、その視線は、ゆっくりと俺から外れた。
次に向けられた先――フェレツ。
まるで、獲物の価値を測るような目だった。
その瞬間、胸の奥で警鐘が鳴り響く。だが、俺の内心を嘲笑うかのように、グラッドは小さく舌打ちをした。
「……めんどくせぇな」
吐き捨てるようなその一言と同時に、グラッドの腰にあった剣が抜かれる。
金属が擦れる、乾いた音。
次の瞬間――地を蹴る音が、床を叩いた。
「――ッ!」
グラッドは一直線に駆け出した。
その視線は、確かに俺を捉えている。
振り上げられた剣。
迷いのない軌道。
俺の正面を真っ直ぐ切り裂く一撃――
だが。
俺は見逃さなかった。
一瞬だけ、
グラッドの瞳孔が揺れたことを。
俺ではない。
俺の横に立つ――フェレツへ。
「――――ッ!!」
次の瞬間、グラッドの足が俺の目前で強く地面を蹴る。進路が、鋭角に変わった。
狙いは最初から一つだった。
俺を斬ることじゃない――フェレツを殺すこと。
振り下ろされる刃が、彼女へと迫る。
俺は考えるよりも早く、体が動いていた。
「下がれ!!」
腰の《幻装剣》を一気に抜き放ち、俺はフェレツの前に滑り込む。両手で柄を強く握り締め、真正面から――その一撃を受け止めた。
――ガキィィン!!
鈍く、重い衝撃。
骨まで響くような衝撃が両腕を打ち、
一瞬、視界が揺れる。
「く……っ!」
力の差は明らかだった。グラッドの剣は重く、殺意をそのまま叩きつけてくる。両手が痺れ、歯を食いしばる俺の顔が、僅かに歪む。
その表情を見て――グラッドは、愉快そうに口角を吊り上げた。
まるで、“期待通りの反応だ”とでも言うように。
楽しげな笑みを浮かべながら、低く、耳障りな声で言葉を吐き出す。
「どけよ……」
剣越しに、冷たい殺意が、じわりと伝わってきた。
フェレツを斬ろうとするグラッドの目は――
決して、人に向けられたものではなかった。
そこに宿るのは、怒りでも憎しみでもない。獣が獲物を屠るときの、冷え切った視線。魔物が障害物を排除する時の、感情の欠片もない光。
――人を、人として見ていない。
剣と剣が噛み合い、互いの刃が押し合う中で、俺は嫌というほど思い知らされていた。
グラッドの剣から伝わってくる力。
腕に、肩に、全身にのしかかる圧。
重い。
ただ重いだけじゃない。
経験も、技量も、そして純粋な力も――すべてが、俺を大きく上回っている。
(……俺じゃ……)
一瞬、脳裏を過った考え。
――勝てない。
それは、弱音だった。
だが同時に、紛れもない現実でもあった。
だからこそ――俺は、視線を横へと向けた。
フェレツ。
彼女は、今起きていることを理解できずにいた。自分に向けられた剣。命を奪われかけたという事実。その全てを飲み込めないまま、ただ呆然と、その場に立ち尽くしている。
俺は歯を食いしばり、震える腕にさらに力を込めながら、叫ぶように言葉を絞り出した。
「フェレツ……さん……!」
喉が裂けそうになるほど、声を張り上げる。
「助けを……誰か……呼んで来てくれ!!!」
剣越しに伝わる圧に耐えながらの叫び。それは、命を繋ぐための必死な選択だった。
その声に――フェレツの肩が、びくりと跳ねる。次の瞬間、彼女ははっと我に返ったように目を見開き、震える唇を必死に動かしながら、絞り出すように声を発した。
「は……はい!!」
掠れた返事と同時に、フェレツは我に返ったように身体を翻した。足音 が乱れ、椅子にぶつかり、扉が勢いよく開く。
そして――彼女の姿は、部屋の外へと消えていった。
俺は、両手で受け止めたままの剣越しに、フェレツの背を最後まで視界で追う。扉が閉まる音が響いた瞬間、胸の奥に溜まっていた重石が、ほんのわずかだけ軽くなった。
俺はゆっくりと視線を戻し、真正面にいる男を睨み据える。
グラッド。
この街のギルドマスターであり、数々の誘拐と死の裏で糸を引いていた男。
俺は剣の柄を、きしむほど強く握りしめる。
手のひらに伝わる金属の冷たさが、逆に意識を研ぎ澄ませてくれた。
――押し返す。
腕を伸ばし、体重を乗せ、剣を前へと押し出す。だが、それに合わせるように、グラッドもまた剣に力を込めてきた。
ギリ……と、刃と刃が擦れ合い、嫌な音が部屋に響く。
銀色の剣筋が、俺とグラッドの間で交差したまま、動かない。
拮抗――いや、均衡しているように見えるだけだ。一瞬でも力を抜けば、一瞬でも判断を誤れば――押し切られる。
それは、本能で理解できた。
肩が軋み、腕が悲鳴を上げる。
呼吸は荒く、額から汗が滲み落ちる。
この距離。
この間合い。
逃げ場は、もうない。
部屋に満ちるのは、言葉のない緊張。まるで時間そのものが引き伸ばされたかのような、張り詰めた静寂だった。
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次回は【明日19時】に更新予定です。
引き続き
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