第68話 もう一つの影
俺、グレイノースは、誘拐犯の男、ハンスと共に城門で立っていた衛兵に向かって何重にも《雷走》を重ねた高速の一撃を衛兵の胴体目掛けて切り抜いた。衛兵は、脇腹の傷を押さえながら、よろめくように体を起こした。血に濡れた手が震え、呼吸は荒い。それでも、憎悪だけはまだ失われていない。
「イッテェな……なんで、俺がこんな目に……」
呻くような声。だが次の瞬間、その顔は歪み、吐き捨てるような怒声へと変わった。
「くそが!!全部、あのハンスのせいだ!!あいつが余計なことを嗅ぎ回らなければ……ボスの耳にも入らなかった!!そうすりゃ、このガキが――お前が、ここに来ることもなかったんだ!!」
責任転嫁。
自分の罪を認めることもなく、ただ壊れた感情をぶつけるだけの叫びだった。
やがて、衛兵の視線がゆっくりと俺を捉える。そこにあったのは、先ほどまでの憎悪ではない。
――恐怖だ。
「なぁ……なぁ、お前……」
声が、かすかに震えている。
「俺らの……仲間になれよ……」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
だが、その言葉の意味が脳内で形を成した瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちる。
(……こいつは……)
誇りも、信念もない。ただ生き延びるために、思いついた言葉を並べているだけだ。
衛兵は、俺に向かって手を差し伸べた。血に汚れたその手は、助けを求めるというより――縋りつくようだった。口角を不自然に引き攣らせ、笑っているつもりなのだろう、不気味な表情を浮かべる。
「なぁ、俺らと組めばよ……かなりの報酬が出るぜ……それに……必要なくなった子供や大人を痛めつけるのも……楽しいんだ」
言葉は、淡々としていた。
日常を語るような、軽さで。
「あのさ……絶望で歪んだ顔、見たことあるか?あれはな……何よりも、最高なんだぜ……」
その瞬間。
胸の奥で、何かが静かに、だが確実に音を立てて崩れた。怒りの代わりに、底冷えするような感覚が全身を満たす。
――理解したのだ。
こいつは、交渉の相手ではない。
説得する価値も、迷う理由も、存在しない。
俺は、剣を強く握り締めた。
床に片膝をついたままの衛兵に向かって、ゆっくりと歩み寄る。一歩ごとに、地下空間に靴音が響く。衛兵の差し出した手は、宙に浮いたまま止まっていた。
その指先が、わずかに震える。
俺は、怒りに身を任せるように、内包する怒りをぶつけるように無意識に、全身の魔力を衛兵に向けて放っていた。
――《竜の威圧》
俺が一歩、また一歩と近づくたび、空気が重く沈んでいく。
言葉ではない。
理屈でもない。
“恐怖そのもの”を凝縮した気配が、波となって衛兵の全身を包み込んだ。
男の表情から、色が失われていく。額から一筋、冷や汗が垂れ落ち、喉がひくりと鳴った。呼吸ができない。肺が空気を拒絶しているかのように、浅く、途切れ途切れになる。生唾を飲み込もうとしても、唾液すら枯れている。恐怖が、体の内側から締め付けていた。
「や……やめ……」
ようやく絞り出された声は、あまりにもか細く、情けなかった。
その姿を前に、俺は大きく息を吐いた。感情をぶつける必要すら、もう感じなかった。
「……自分が死にそうになったら、命乞いか」
自分でも驚くほどに静かな声だった。
「この国を守ろうとしたハンスの覚悟は……お前が弄んだ人たちが味わった絶望は……」
俺は一歩、距離を詰める。
「……こんなものじゃ、なかったはずだ」
衛兵の瞳が揺れる。
否定も、反論も、もう浮かばない。
俺はさらに歩み寄り、低く告げた。
「だから――」
その場の空気が、張り詰める。
「お前にも……“絶望”を、味わってもらう」
俺は静かに、自分の目に魔力を集めた。
――《真眼》。
視界が一瞬、歪む。次の瞬間、衛兵という存在が“情報”として、俺の視界に浮かび上がった。
名前。
経歴。
数値。
――そんなものには、興味がない。
俺が見据えたのは、スキルと加護だけだった。
人が生きてきた中で積み上げてきた力。
才能であり、努力であり、選択の結果。
それらが、淡々と並ぶ。
⸻
【スキル】
・気配遮断
・加速
・魔力探知
・忍足
【加護】
・中級槍術
・攻撃増加(中)
・下級剣術
・俊敏増加
・中級短剣術
⸻
俺は、それを見て、静かに理解した。
(……なるほどな)
《空間探知》に引っ掛からなかった理由。
俺が近づくまで、存在を悟れなかった理由。
(《気配遮断》……それに《忍足》か)
俺は一切の迷いなく、視界に浮かぶスキルと加護を選択した。
――《転移》。
発動の瞬間、空気が震える。
衛兵の体から、何かが“引き剥がされる”感覚。言葉にできない喪失が、男の中から流れ出し、俺の内側へと吸い込まれていく。
それは、単なる力の移動ではない。
――その人間が、生きてきた証そのもの。
鍛え、磨き、頼りにしてきた力。それらすべてが、音もなく俺の中へと収まっていく。
衛兵は、何が起きたのか理解できないまま、ただ目を見開いていた。衛兵の体からは、確かに“何か”が消えていた。だが本人は、その喪失を正しく理解できていない。
《竜の威圧》――恐怖という名の重圧が、思考そのものを押し潰していたのだ。
衛兵は、迫り来る俺を前に、喉を引き攣らせながら後退り逃げるように声を絞り出す。
「ス、スキル《加速》!!」
――何も起こらない。
足も、視界も、世界も。加速するはずだった感覚は、微塵も訪れなかった。
焦りが、顔に滲み出る。
衛兵は、縋るように何度も叫ぶ。
「《加速》!!《加速》!!《加速》!《加速》……っ、か、かそ……く……」
やがて、言葉が途切れた。
衛兵は項垂れ、諦めたように力なく肩を落とす。
俺は、ゆっくりと歩み寄り、剣先を衛兵の顔の前に突きつける。
刃が震えることはない。
感情は、すでに凪いでいた。
衛兵は、恐る恐る顔を上げ、俺の目を見つめた。
「……お前、その目……魔眼の一種、か……?」
“魔眼”。
その言葉は、俺の耳には馴染みがなかった。
だが、男の声音から伝わってくるのは、はっきりとした恐怖だった。
「あんたの目……スキルを使った時に現れる、あの金色の輪郭……間違いねぇ……」
衛兵の視線は、逃げ場を失った獣のように、俺の瞳に釘付けになっている。
「……なのに、なんで……なんで、お前みたいなガキが……」
その先の言葉は、続かなかった。
俺には衛兵のその言葉が死に際のただの戯言のように感じていた。だからこそ、俺は冷徹に無感情に剣を振り上げる。
狙いは、首。
一撃で終わらせることはできる。
容易く、確実に。
だが――
脳裏に、過去がよぎる。
戦場で、命を奪った瞬間。
生きるために、選ばざるを得なかった選択。
それでも、夜ごとに思い出す、あの重さ。
(……今のこいつには、戦う意志も、力もない)
無力な相手に刃を振るえば――
(それを選べば……俺は、こいつらと同じになる)
一瞬の迷い。その僅かな隙を――《超直感》が、鋭く切り裂いた。
何かが――来る。背後から。
思考より早く、体が反応する。
俺は半身を捻り、背後へ向けて《幻装剣》を振り下ろした。
――ギィンッ!
金属が裂ける乾いた音。
空を切り裂いていた矢は、真っ二つに断ち切られ、床へと転がる。
俺は、そのまま振り返った。
視界に映ったのは――弓を構えた、全身を黒ずくめの外套で包んだ男。深く被ったフードの奥から、冷えた視線がこちらを射抜いてた。
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次回は【明日19時】に更新予定です。
引き続き
モデリスク王国編 陰謀編を進めていきます!
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