第67話 雷鳴の連撃
俺は、地下空間で鎖に繋がれたリゼルを見つけた。そして、その安堵が形になるより早く――背後から殺意が降ってきた。
咄嗟に身を捻り、剣を構える。
甲高い金属音が響き、刃と刃が噛み合う。
俺は踏み込み、その勢いのまま相手の腹部へ蹴りを叩き込む。
男の体が宙を舞い、床を滑るように転がった。だが、男はすぐに片膝をつき、乱れた呼吸のまま体勢を立て直す。
地下の灯りが、その顔を照らした。
城門。
ハンスの隣。
無言で周囲を見張っていた、あの衛兵。
男は脇腹を押さえ、歯を食いしばりながら低く唸る。
「……痛えな……」
その声に、焦りはない。ただ、面倒な事態に巻き込まれたという苛立ちだけが滲んでいた。
男の視線が、俺を捉える。そして、呆れたように口角を歪める。
「……ハンスが、ここを調べようとするから……」
言いかけた言葉を途中で切り、男は一度、息を吐いた。
「あーあ……」
肩をすくめるような仕草。まるで、失敗した仕事を振り返るかのように。
「こうなるくらいならさ……もっと早く、ハンスを殺しておけば良かった」
淡々と。
本当に、どうでもいいことのように。
その一言が、俺の胸を強く打った。
(……ハンスを、殺した……)
剣を握る指に、じわりと力が籠もる。
「……お前が……ハンスを殺したのか?」
問いは短く、低く。
自分でも驚くほど、冷静だった。
男は、薄く笑った。
「ああ」
迷いのない返答。
「……あいつが、ここに辿り着かなければな」
男は一瞬だけ視線を落とす。
だが、それは後悔ではなかった。
次に続いた言葉が、それをはっきりと示していた。
「お前をこの街に通さなきゃ……こんな面倒なことにもならなかったのにさ」
顔を上げた男の目には、苛立ちと怒りが渦巻いている。
剣を握る手に、再び力が入るのが分かる。
「ハンスのせいで……お前まで殺さなきゃいけなくなった」
吐き捨てるように。
「死んでからも、仕事を増やしやがって……本当に、迷惑な奴だ」
その表情に、哀悼はない。
罪悪感も、懺悔もない。
あるのは――憎しみですらない。
“邪魔をされた”ことへの、純粋な怒り。
(……怒っている……?)
俺は、はっきりと理解していた。
この男は、ハンスを殺したことを悔いていない。ただ、自分の計画を狂わせた存在として、憎んでいるだけだ。
その事実が、静かに、確実に胸の奥を削っていく。
気づけば俺は、無意識のうちに呟いていた。
「……ふざけるな……」
喉の奥から、押し殺すような声が漏れた。
俺はゆっくりと顔を上げ、目の前の男――衛兵を睨み据える。
その瞬間だった。
胸の奥で押さえつけていたものが、限界を越えた。
怒りが、感情が、理性の堤防を突き破る。
「ふざけるなぁぁぁぁ!!」
叫びと同時に、体が前へと弾けた。
地面を蹴り、距離を詰め、両手で握り締めた幻装剣を振り下ろす。
――叩き潰すつもりで。
だが。
キィン、と乾いた音。
男は、その一撃を片手で受け止めた。左手一本で、俺の剣を止めている。その顔には、焦りも驚きもない。まるで、想定通りだと言わんばかりの余裕。
俺は歯を食いしばり、全身の力を剣に乗せる。押し込みながら、怒りをそのまま言葉に叩きつけた。
「路地裏での誘拐も……お前の仕業か!!」
衛兵は鼻で笑った。
その反応が、答えだった。
胸の奥が、さらに熱を帯びる。
「……なぜだ……なぜ、子供を……!」
絞り出すような問い。
だが、返ってきたのは、嘲るような笑みだった。
「クク……」
男は口角を歪める。
「一人のガキに、何そんなに必死になってんだ?」
そして、吐き捨てるように続ける。
「どうせ孤児だろ?」
その一言で、何かが音を立てて崩れた。
俺の剣に、さらに力が籠もる。怒りを叩きつけるように、男の剣を押し上げていく。少しずつ、確実に。刃は、衛兵の顔の目前まで迫っていた。
――押している。
――追い詰めている。
それなのに。
男の表情は、変わらない。
余裕の笑みが、消えない。
(……なぜだ……)
違和感が、背筋を走る。
次の瞬間、視界の端で一瞬の煌めきが弾けた。
衛兵の左手が、懐へと滑り込む。
そして――
一直線。
俺の顔面を狙って、腕が突き出された。
「――っ!!」
反射的に首を振る。
何かが頬を掠めた感触。
熱と同時に、鋭い痛み。
頬を伝って、一筋の血が滴り落ちる。
俺は距離を取りながら、男の手元を見る。
そこにあったのは――短剣。
左手には剣。
右手には、俺の血を纏った短剣。
その異様な光景に、背筋が冷えた。
(……二刀……)
俺は地面を蹴り、即座に間合いを外す。
衛兵は、楽しそうに口角を上げた。
そして――衛兵は、地面を強く蹴り一気に距離を詰める。剣と短剣、二つの刃を携えた影が、俺へと飛びかかってくる。
(――《絶対障壁》……)
脳裏に、咄嗟の選択肢が浮かび上がる。
だが、それはすぐに打ち消された。
(違う……あれは駄目だ)
あの時、スキルを使って理解した。
このスキルを使えば、攻撃は防げる。だが同時に、体はその場に縫い止められ、他のスキルは使えなくなる。魔力の消耗も激しい。長引けば、それだけで詰む。
(この距離、この速度……)
――防ぐより、先に踏み込め。
俺は幻装剣を強く握り直し、足に意識を集中させる。
次の瞬間。
――《縮地》
床を蹴った感覚すら曖昧になるほど、一気に距離を詰める。視界が跳び、衛兵の懐へと滑り込む。
そのまま、剣を振り抜いた。
だが――
キィン!
衛兵は、迷いなく左手の剣で受け止める。
そして、ほとんど同時に。
右手の短剣が、俺の胴体を狙って突き出された。
(速い――!)
俺は即座に剣を引き戻し、その刃で短剣を弾く。だが、それで終わりではなかった。
左、右。
剣、短剣。
交互に、間断なく、殺意を込めた刃が襲いかかる。
一つでも遅れれば、致命傷。
――《瞬速》。
スキルの発動と同時に、世界の動きがわずかに遅くなる。体が軽くなり、視界に刃の軌道が焼き付く。
俺は一本の幻装剣で、次々と迫る剣筋を弾き、流し、逸らしていく。金属音が連なり、地下空間に甲高く反響する。息をする暇すらない。
それでも――
(……互角、だ……)
防げてはいる。
だが、攻め切れない。
こちらが必死に捌いている間も、衛兵の動きには余裕がある。一撃を入れるには、まだ何かが足りない。
俺の必死な表情を見て、衛兵は楽しそうに口を開いた。
「いい顔してるじゃねえか」
刃を振るいながら、軽口のように言う。
「そういや……その顔を見てると、思い出すなぁ」
攻撃が、さらに速くなる。
「あの日だよ」
刃と刃が擦れ合う合間に、男の声が刺さる。
「ハンスもなぁ……お前みたいに必死でさ」
俺の胸が、ぎゅっと締め付けられた。
「斬られないように、殺されないように、必死に逃げ回ってた」
まるで――それを楽しんでいたかのような口調。
脳裏に、見たこともないはずの光景が浮かぶ。暗い場所で、追い詰められ、逃げ場を探していたハンスの姿。
――想像だと分かっているのに。
歯を、強く噛み締めた。
胸の奥で抑え続けていた感情が、限界を迎えた。それは怒号でも叫びでもなく、ただ――静かに、だが確かに堰を切る。
俺は、怒りに身を委ねるように魔力を解放する。
――《雷走》。
次の瞬間、世界が弾けた。
床を蹴った感触はなく、代わりに体が引き裂かれるような加速だけが残る。
俺の軌道は一直線ではない。左へ、鋭く折れる。
左の廊下の壁。
――足が触れた刹那。
再び、
――《雷走》
壁を蹴り上げ、空中で体勢を反転させる。
今度は右の壁へ。
――《雷走》
視界が流れ、音が遅れる。自分の身体が、自分のものではなくなったような感覚。
――《雷走》
――《雷走》
――《雷走》
――《雷走》
――《雷走》
――《雷走》
――《雷走》
幾度となく重ねられる加速。
左右の壁を跳ね、廊下全体を駆け巡る軌跡は、もはや人の動きではない。
雷鳴の残響だけが、遅れて空間に残る。
――俺自身が、稲妻になったかのようだった。
衛兵は、その場から動かない。
だが、その視線だけが必死に俺を追っている。
右。
左。
右。
左。
衛兵の瞳孔が何度も揺れ、焦点が定まらない。
――だが。
俺の狙いは、左でも右でもない。
左の壁に足をついた、その瞬間。
――《雷走》。
今度は、上へ。
壁を蹴り上げ、天井へと突き進む。
視界の上下が反転し、天井に足が触れた刹那、俺は迷わず体を反転させた。
重力を味方につけ、一直線に。
視界の中心に、衛兵の姿が収束する。
剣を、強く握り締めて。
――斬る。
胴体を狙い、全ての加速を刃に乗せて振り抜いた。
衛兵は、遅れて剣を構える。
防御の姿勢を取るが――間に合わない。
次の瞬間。
幻装剣が、確かな感触と共に、男の体を切り裂いた。
血が、宙を舞う。
俺は《雷走》の勢いを殺すように片膝をつき、床に着地する。衝撃が足に走るが、構わない。
背後で、衛兵が呻き声を上げる。
苦痛に顔を歪め、片膝をついたその姿は、先ほどまでの余裕を失っていた。
俺は、ゆっくりと立ち上がる。
剣に付着した血を、振るうようにして払う。
赤い雫が床に散り、冷たい音を立てた。
視線を上げ、衛兵を真っ直ぐに見据える。
――まだ、終わりじゃない。
胸の奥で燻る怒りは、完全には鎮まっていなかった。
次の一手を告げるように、地下空間には、重い沈黙が落ちていた。
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次回は【明日19時】に更新予定です。
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