第66話 誘拐犯の正体
俺、グレイノースは――広大な地下空間に足を踏み入れていた。天井の低い通路を抜けた先に広がっていたのは、無機質で異様な光景。
規則正しく並ぶ鉄格子の檻。まるで、最初から“そう使われること”を前提に設計されたかのような配置。
そして、その中で俺は、親友であり、幼馴染であるリゼルを見つけた。傷つき、力なく横たわる彼女を抱き起こし、必死に声をかける。その腕の中で、リゼルは微かにゆっくりと、目を開いた。だが、その瞳が捉えたのは俺ではなかった。
焦点の定まらない視線が、俺の肩越しーー背後へと向けられる。そして、喉を震わせるように、掠れた声が漏れる。
「……グレイ……逃げて……!!」
その言葉と同時だった。
俺の視界に、一直線の“剣筋”が飛び込んでくる。
空気を切り裂く鋭い軌跡。
迷いのない、殺すためだけの一撃。
だが――リゼルの声よりも、ほんの僅かに早く。俺のスキル《超直感》が、迫り来る脅威を告げていた。
反射に近い動作で、魔力を展開する。
――スキル《絶対障壁》。
キィィィン――!
澄んだ、甲高い音が地下空間に響き渡る。
俺の身体を包み込むように、半透明の障壁が瞬時に展開され、剣身を正面から受け止めた。
剣と障壁がぶつかる衝撃が、鉄格子の檻に反響し、低く、重く、空間を震わせる。
斬ったはずの手応えがないことに気づいたのだろう。剣を振るった人物は、即座に判断を下した。
地を蹴り、後方へ跳躍。
俺との距離を一気に広げる。
暗がりの中、俺と向かい合ったその男は――全身を黒いフードで覆い、顔を完全に隠していた。
その男は、一瞬、信じられないものを見たかのように動きを止める。そして、低く、驚きを隠しきれない声を漏らした。
「……お前は……」
言葉が途中で止まる。
まるで、そこに“いるはずのない存在”を見てしまったかのような反応。
男は一度、俺を値踏みするように見つめ直し、続けて言葉を吐いた。
「俺の魔力探知に、覚えのない魔力が引っかかったと思ったら……」
フードの奥から、はっきりとした困惑が滲む。
「……なんで……お前が、ここにいる?」
その言葉の意味を、俺はすぐには理解できなかった。
リゼルを抱えたまま、俺はしゃがみ込んだ姿勢で男を見据える。返す言葉が見つからず、ただ視線を向けることしかできない。
(……“お前がここにいる”?)
こいつは――俺の存在を、知っている?
顔はフードに隠れて見えない。
だが、その声には確かな“前提”が含まれていた。
それと同時に、別の違和感が胸を刺す。
(……魔力探知……)
俺が使った《空間探知》の魔力を感知して、ここへ来た――そう考えれば辻褄は合う。
だが。
(……なら、なぜ……)
俺は死体を見つけた時には空間探知を展開していた。それなのに、この男の存在だけが、完全に抜け落ちていた。
(なぜ、俺の《空間探知》に、こいつの気配は、引っかからなかった?)
数々の疑問が、脳内を駆け巡る。
だが――
この場で、確実に分かることが一つだけあった。
こいつは、この地下で起きている“全て”を知っている側の人間だ。そして――リゼルを、この場所に閉じ込めた存在の一人である可能性が、限りなく高い。
俺は、静かに息を整える。
胸の奥で燻る感情を、表に出さないよう、必死に押さえ込みながら。視線を逸らさず、男を見据えたまま――次に来る言葉と行動に、全神経を集中させた。
――こいつは、敵だ。
その判断は、感情ではなく、積み重なった事実から導かれたものだった。
脳裏をよぎる、今まで起きた出来事の数々。
メルナの誘拐未遂。
子供たちの連続誘拐。
アルの死。
そして、ハンスの死。
俺は静かに、腰の鞘へと手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、馴染んだ感触が掌に伝わる。
――幻装剣。
鞘から引き抜くと同時に、剣身が微かに鳴る。
怒りに身を任せるつもりはない。だが、胸の奥で燻る感情が、剣を握る手に自然と力を込めさせていた。
次の瞬間。
俺は足に力を込め、しゃがみ込んだ姿勢から一気に地面を蹴った。視界が跳ね上がり距離を詰める感覚が、身体に馴染む。
――一直線。
迷いのない踏み込みと共に、男の懐へ。
振り上げた剣を、真っ直ぐに振り下ろす。
ガキィン――!
甲高い金属音が響き渡る。
男は即座に反応し、自身の剣で俺の一撃を真横から受け止めていた。
俺の剣と、男の剣。互いの刃が、男の胸元で十字を描くように交差する。
顔はフードに隠れて見えない。
だが――分かる。
男の動きに、焦りはない。呼吸も、体重の乗せ方も、すべてが落ち着いている。
(……余裕、か)
その事実が、逆に腹の奥を冷やした。
俺は歯を食いしばり、剣の柄にさらに力を込める。
男もまた、剣に力を乗せてくるのが伝わる。刃と刃が擦れ合い、低い音を立てる。
俺は男を牢屋の区画から追い出すように、じりじりと前へ押し出していった。
一歩。
また一歩。
廊下へと続く空間が、すぐ背後に迫る。
その瞬間――俺は、心の中で静かに呟いた。
(……今だ)
次の瞬間、俺は敢えて力を抜いた。
競り合っていた剣から、意図的に力を逃がす。
想定外の挙動。
「――っ!?」
男の重心が、一瞬前のめりになる。
態勢が、僅かに崩れた。
その一瞬を、俺は逃さない。
「――――!!」
左足を軸に体を捻り、右足を大きく振り上げる。態勢を崩した男の脇腹目掛けて、渾身の一撃を叩き込んだ。
鈍い衝撃。
男の身体が宙に浮き、そのまま真っ直ぐ廊下の方へと吹き飛ばされる。
ガラガラ、と音を立てて床を滑り、俺と男の間には、はっきりとした間合いが生まれた。
男は地面に片膝をつき、すぐさま体勢を立て直す。
その拍子に――
被っていたフードが、ふわりと宙を舞った。
次の瞬間、男の顔が、明かりの下に晒される。
俺は、その顔をはっきりと捉えた。
……見覚えがある。
はっきりとした確信はない。
だが、記憶の奥がざわつく。
(こいつは……)
脳裏の奥で、何かが確かに引っかかった。
霧がかかったように曖昧だった記憶が、ゆっくりと形を帯び始める。
顔の輪郭。
立ち方。
剣を構えた時の、無駄のない重心。
そして――その視線。
俺は、無意識のうちに息を詰めていた。
(見たことがある……間違いない)
だが、思い出そうとするほど、胸の奥がざわつく。思い出してはいけない何かに、触れかけているような感覚。
次の瞬間、ひとつの光景が、記憶の底から浮かび上がった。
――城門。
ラナリアの紋章を掲げ、足を止めた、あの日。
厳しい目つきでこちらを値踏みする衛兵。
無言で、周囲を観察するように立ち、必要以上に口を挟まず、それでいて、誰よりも周囲を見ていた存在。
(……あの日、ハンスと一緒に……)
心臓が、嫌な音を立てて鳴った。
俺は、目の前の男から視線を逸らさないまま、剣をわずかに構え直す。
距離。
姿勢。
呼吸。
すべてが、あの日の“城門の空気”と重なっていく。
男は何も言わない。
だが、その沈黙が、答えそのもののように重かった。
――ハンスは、何を掴み。そして、何を見てしまったのか。
背後では、かすかな息遣いが聞こえる。
檻の中で、リゼルが必死に生を繋いでいる。
守るべきものが、確かにそこにある。
俺は剣を握る手に、静かに力を込めた。
そして
地下空間に、静かに張り詰めた沈黙が落ちていくのを俺は感じていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回は【明日19時】に更新予定です。
引き続き
モデリスク王国編 陰謀編を進めていきます!
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