第64話 路地裏の秘密
俺、グレイノースは、ハンスの死の真相を探るため、彼が遺した地図を頼りに、あの夜――子供の誘拐を目撃した裏路地へと足を踏み入れた。
酒場の喧騒も、武器屋の呼び声も届かない場所。昼間だというのに、この一帯だけが街から切り離されたかのように静まり返っている。
人の気配はなく、風の通りすら悪い。
わずかな物音にも、神経が過剰に反応する。
俺は記憶を辿りながら、視線を左右に走らせ、あの時――誘拐犯を見失った地点へと歩を進めた。
「確か……この辺だったよな……」
立ち止まり、周囲を見回す。
壁、地面、積み上げられた木箱。
どこを見ても、ただの裏路地だ。
だが、ハンスの地図が示している場所は、まさにここだった。彼が命を懸けてまで残した印が、間違いであるはずがない。
(必ず……何かある)
俺は懐から手書きの地図を取り出し、改めて目を凝らす。
雑に描かれた壁の絵。その一部に、赤く強調された丸印。まるで「ここだ」と叫ぶように、執拗に示されている。
俺は地面にしゃがみ込み、石畳の隙間を確かめ、立ち上がって壁に手を当てる。
指先でなぞり、押し、叩く。
顔を近づけ、わずかな違和感すら見逃さないよう、感覚を研ぎ澄ませる。
――その時だった。
コォォォ……。
微かに、だが確かに――風が抜ける音が耳に届いた。
狭い隙間を通り抜けるような、低く細い音。
俺の動きは、思わず止まった。
この路地に、風は吹いていない。
なのに――音だけがある。
(……どこからだ?)
息を潜め、耳に意識を集中させる。
俺は音の発生源を探すように、壁伝いにゆっくりと移動した。
一歩、また一歩。
靴底が石に触れる音すら、やけに大きく響く。
そして――
視界の端に、違和感が引っかかった。
周囲の壁と、微妙に色が違う。わずかに新しく、わずかに整いすぎている壁面。長年放置された裏路地には不釣り合いな、真新しさ。
俺はその前で立ち止まり、無意識のうちに息を詰めていた。
俺は、ゆっくりとその壁へ手を伸ばした。
視界に映る、微かな違和感。
だが、その違和感は確実に“異物”として俺の意識に引っかかっていた。
「……何か、違う」
俺はまず、周囲と同じくくすんだ色をした古い壁に、軽く拳を当てる。
トン、トン。
鈍く、重たい音。
石が詰まった、どこにでもある壁の感触だ。
次に、例の“新しい色の壁”へと拳を向ける。
コン……コン……。
明らかに違う。
軽い。
奥で音が逃げるような、薄い反響。
まるで――中が空洞になっているかのような。
(……本当に、ここに……?)
半信半疑だった推測が、じわじわと現実味を帯びてくる。
喉がひくりと鳴り、思わず生唾を飲み込んだ。
俺は慎重に、真新しい壁の表面を指先でなぞる。
石の隙間、段差、削れた跡。
一つひとつ、確かめるように。
そして――
壁に手をついた瞬間だった。
指先に、わずかな違和感。
……沈む。
ほんの僅かだが、確かに“押し込める”感触があった。
試すように力を込める。
ゴリ……と、鈍い音を立てて、その石は奥へと引っ込んだ。
次の瞬間。
――ゴゴゴ……。
足元の地面が低く唸り、壁全体がゆっくりと動き始める。砂と石が擦れる重たい音が、狭い路地に響いた。
現れたのは――地下へと続く階段。
灯りは一切なく、奥は完全な闇。
まるで、街の下にぽっかりと口を開けた“別世界”への入口のようだった。
「……見つけた」
思わず、囁くように呟く。
(ハンスも……きっと、ここを……)
胸の奥が、きりりと締め付けられる。
彼はこの場所に辿り着き、そして――。
俺は一度、周囲を見渡した。
(誰もいないな……)
その事を確認した俺は、覚悟をするように拳を強く握った。
何が待っているか分からない。
だが、引き返すという選択肢は、もう俺の中にはなかった。
俺は静かに腰へと手を伸ばし、幻装剣の柄に触れる。冷たい感触が、かえって心を落ち着かせてくれた。
歯を食いしばり、恐怖を押し殺す。
そして、闇の中へと続く階段に、足を踏み出した。
一段、また一段。
階段は想像以上に暗く、深い。
壁に手を添え、慎重に体重を預けながら降りていく。
足を下ろすたび、
コツ……コツ……と、
俺の足音だけが、静かに反響した。
コツ……コツ……。
先の見えない階段を降りるたび、見えない恐怖がじわじわと体を締めつけてくる。
湿った空気。
冷えた石壁。
そして、やけに大きく響く自分の足音。
自然と、腰の幻装剣にかけた手に力がこもった。
一段、また一段と進む。
コツ、コツ……。
その時だった。
視界の先、闇の奥に――ほんの僅かな、灯り。
それは松明の光か、魔導灯か。
はっきりとは分からないが、確かに“光”だった。
(出口……?)
俺はその灯りを目印に、慎重に歩みを早める。
やがて、階段の終わりが見えた。
地下へと続く階段の出口。
そこから、淡い光が漏れ出している。
俺は壁に体を寄せ、音を立てないように顔だけを覗かせた。
――眩しい。
暗闇に慣れ切った目に、突然の光が突き刺さる。反射的に瞼を閉じ、息を止める。
数秒。
ゆっくりと、慎重に。
俺は再び、瞼を開いた。
そして――視界に映った光景に、思わず目を見開いた。
「……何だよ……ここ……」
言葉が、喉の奥から絞り出される。
そこにあったのは、通路の左右にずらりと並ぶ鉄格子の部屋。一本一本が分厚く無骨で、まるで獰猛な獣を収容する檻。
俺はその異様さに、背筋が冷たくなるのを感じた。
足音を殺しながら、通路へと踏み出す。
視線を巡らせ、檻の一つひとつを確かめていく。
中は空。
どの檻にも、何もない。
だが―ー
床に残る擦れた跡。
壁についた爪痕のような傷。
鎖が擦れたであろう金属音の記憶。
胸の奥がざわつき、無意識のうちに歩調が早まる。
そして、次の檻を覗いた瞬間――
「――――っ!?」
息が、詰まった。
壁と床には、はっきりとした血の痕跡が残っていた。
乾ききって黒ずんだ血。
乱雑に散らばる注射器。
鎖のついた手錠。
割れた容器の中には、何か得体の知れない残滓がこびりついている。
「……何だよ……ここ……」
吐き気を堪えるように、呟く。
疑念を抱えたまま、俺は隣の檻へと近づいていく。
一歩、また一歩。
幻装剣の柄を握る手に、自然と汗が滲む。
そして――檻の中を、覗き込んだ。
「な――――」
言葉が、完全に途切れた。
俺の視界に映ったのは――常識では理解できない、あまりにも凄惨な光景だった。
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次回は【明日19時】に更新予定です。
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