第63話 真実に向けて
俺――グレイノースは、ハンスの葬儀が終わったその直後、アングハルトに声をかけられ、共に彼の工房を訪れていた。
葬式の場では多くを語らなかったアングハルトだったが、工房に入った瞬間、その表情は明らかに変わった。悲しみと怒り、そして疑念が混ざり合った、重たい顔だった。
アングハルトは、ゆっくりと懐に手を入れる。
取り出されたのは、一枚の紙。
「……これだ」
そう言って、彼は紙を広げ、俺の前に差し出す。
描かれていたのは、手書きの簡素な地図のようなものだった。道らしき線、角ばった区画、そしていくつかの印。
なぜか――胸の奥がざわつく。
妙に、見覚えがあった。
俺は言葉もなく、その紙を凝視する。
すると、沈黙を破るようにアングハルトが口を開いた。
「この紙がな……工房の郵便受けに入っていた……ハンスからだ」
一瞬、理解が追いつかなかった。
「……ハ、ハンスから!?」
思わず声が裏返る。アングハルトは、ゆっくりと、しかし確信をもって頷いた。
「断定はできん。だが……おそらく、自分の死を予感していたんだろう」
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
アングハルトは、地図を指でなぞりながら続けた。
「この絵……街のどこかを示しているように見える。だが、俺には場所が特定できなかった」
俺は地図を受け取り、角度を変えて眺める。
上下を逆にし、横に傾け、細部を追う。
――どこかで見た。
確かに、見覚えがある。
必死に記憶を探る中で、ふと、ある光景が脳裏に浮かんだ。
「あ……」
思わず、息を漏らすように声が出る。
「ここ……」
指先が、地図の一点を指した。
「子供が誘拐された……あの路地裏……」
確証はない。
だが、直感が強く告げていた。
――繋がっている、と。
ハンスの死。
子供の誘拐。
それまで別々だった点が、一本の線で結ばれた感覚が、胸の内を走る。
不穏な気配が、腹の底で蠢いた。
(この件にも……グラッドは関わっているのか……)
自然と、あの男の顔が浮かぶ。
(あいつは狡猾だ。あんな分かりやすい“事故”で、ハンスを殺すはずがない。証拠は必ず消す。死体すら残さないタイプだ……)
あの日の記憶が俺の脳裏に甦る。
(だからこそ、あの時――俺たちを迷宮の奥に置き去りにした……)
思考の渦に沈みかけた、その時。
アングハルトが、俺をまっすぐに見据えた。その眼差しは、迷いを断ち切るように真剣だった。
そして――重く、確かな声で、俺に問いかけてくる。
「……誘拐って、何のことだ?」
低く抑えた問いかけに、俺は一瞬だけ言葉を選んだ。
今まではアングハルトに不安を与えないようにと話さないようにしてきた。
だが今更、隠す理由はない。
「実は……」
俺は一昨日の夜、街の裏路地で目にした出来事を、できる限り順を追って語った。
人通りの少ない路地。
不自然な動き。
そして、抵抗する間もなく連れ去られた子供の姿。
話し終えた時、工房の中には金属が冷める時の、かすかな軋み音だけが残っていた。
アングハルトは深く息を吐き、納得したようにゆっくりと頷く。
「……なるほどな。お主も、ハンスに調べさせておったか……」
その声には、悔恨と同時に、どこか覚悟めいたものが滲んでいた。彼は腕を組み、視線を落としたまま思考を巡らせる。
しばらくの沈黙の後、何かに辿り着いたように、低く呟いた。
「理由までは分からん……だが、ハンスはその誘拐と、今回の魔導具の件を、関連づけたこかもな」
その言葉に、胸の奥がざわつく。
俺は一歩踏み込み、確信を探るように問いかけた。
「……誘拐の現場に行って、そこで何かを見つけた……そういうことか?」
アングハルトは答えの代わりに、懐から取り出した地図を机の上に広げた。
かすれた線。歪な配置。急いで描かれたであろう痕跡。
「ハンスの残したこれを見る限り……」
そう言ってから、彼はその紙をくるりと裏返す。
裏面には、さらに細かい書き込みがびっしりと並んでいた。
通路のような線。
区切られた部屋の形。
まるで、地下の構造を必死に写し取ったかのような図。
「……お主が言っていた路地裏にはな、どこかへ繋がる隠し通路がある可能性が高い」
だが、その声には確信がない。
推測であり、仮説であり、そして――賭け。
だからこそ、アングハルトは自分自身に言い聞かせるように、強く言葉を続けた。
「確かめねばならん。その路地裏はどこだ?」
鋭い視線が、俺を捉える。
「今から行く。ハンスが何を見て、何を掴もうとしていたのか……この目で確かめる」
その瞬間、俺の脳裏に、あの夜の路地の光景が鮮明によみがえった。
冷たい石畳。
闇に溶ける足音。
俺は、静かに息を吸い込み、口を開いた。
「確か……酒場の隣にある宿屋の、脇に入る細い路地だった気がする……」
記憶を手繰り寄せるようにそう告げると、アングハルトはわずかに目を細め、深く息を吸った。そのまま言葉を発することなく、手書きの地図へと視線を落とす。
「あの辺りは……確か……」
独り言のように呟きながら、地図の線を指でなぞり、何度も確かめるように目を走らせる。
やがて、ふっと天井を仰ぎ、何かを思い出したように眉を寄せた。
次の瞬間、彼の表情が引き締まる。
アングハルトは何も言わず、地図を折り畳み、俺の手に押し付けるように渡してきた。
「……すまん。俺は……行く場所ができた」
その一言だけを残し、彼は慌ただしく身支度を始めた。工具を片付け、外套を羽織る動きには、一切の迷いがない。
嫌な予感が胸をよぎり、俺は思わず声を上げる。
「危険だ!俺も一緒にいく……」
その言葉に、アングハルトの動きが一瞬だけ止まった。
だが振り返らない。
背中越しに、低く、静かな声が返ってくる。
「……いや。俺一人でいい」
その声音には、拒絶ではなく、覚悟があった。踏み込ませまいとする優しさと、背負う決意が滲んでいる。
俺は何も言えず、唇を噛む。
やがてアングハルトは身支度を終え、工房の扉へと向かいながら続けた。
「お主はその地図の場所に行け。俺も……後から向かう」
駆け足で扉へ向かい、取っ手に手をかけたところで、彼はふと立ち止まった。
そして振り返り、俺を真っ直ぐに見据える。
「この国の衛兵は……信用するな。もし何かあったら、冒険者ギルドを頼れ」
それだけ言い残し、扉は音を立てて閉じられた。
工房には、再び深い静寂が降りてきた。
さきほどまで人の気配があったとは思えないほど、空気は張り詰め、金属の匂いだけが重く残っている。
炉の中では、まだ赤熱の名残がくすぶり、微かな熱が肌を撫でていた。
俺は、手の中に残された地図へと視線を落とす。
乱雑に引かれた線。
急いで描かれたであろう歪な輪郭。
ここから先に待つものが、何なのか――今の俺には分からない。
――そして
アングハルトは、どこへ向かったのか。
その問いが、胸の奥に沈み込み、じわじわと不安となって広がっていく。嫌な予感だけが、確かな重さを伴って心臓を締めつけた。
だが、脳裏に浮かぶのは、去り際に見せた彼の瞳。迷いも、恐れも振り切った、あの覚悟の色。
あの背中を、俺は止められなかった。
今の俺にできることは一つだけ。
彼を信じ、自分に託された役割を果たすこと。
俺は地図を強く握りしめ、静かに息を吸う。
そして覚悟を固めるように踵を返し、工房の扉を開いた。向かう先は、あの夜、子供が攫われた裏路地。
嫌な予感を振り払うことはできない。
だが、足を止める理由にはならなかった。
静かに扉が閉まり、工房の闇が背後で途切れる。
俺は、まだ見ぬ真実へと、歩き出していた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回は【明日19時】に更新予定です。
引き続き
モデリスク王国編 陰謀編を進めていきます!
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