第62話 託された物
——二日後
ハンスの葬儀は、あまりにも静かに執り行われた。
街の共同墓地に響くのは、低く、鈍い鐘の音。
それは哀悼を示すというよりも、ただ「終わった」という事実を淡々と告げるための音のように聞こえた。
――生きていた者が、役目を終えた。
それだけを知らせる、無機質な合図。
俺は、その列の最後尾に立っていた。
前方に置かれた粗末な棺。
装飾も、花も最小限。
その中に横たわっているのが、数日前まで軽口を叩き、笑い、何気ない会話を交わしていた衛兵――ハンスだという現実が、どうしても頭と心で噛み合わなかった。
理解はしている。
だが、納得はしていない。
参列者は驚くほど少ない。
顔見知りの衛兵が数名と、形式だけで立っているような上官が一人。
それだけだった。
そして、その中に――冒険者ギルドの受付嬢、エリナ=フェレツの姿があった。
いつも浮かべている柔らかな笑顔は、そこにはない。唇を固く結び、視線を棺へと落としたまま、ただ静かに立っている。
業務として関わった相手ではない。
それでも、彼女はここに来ていた。
それが、俺の胸をわずかに締めつけた。
上官が、短い弔辞を述べる。
職務に忠実だったこと。
街の安全のために尽くしたこと。
どれも、どこかで聞いたことのある言葉。
誰にでも当てはめられる、型通りの文句。
――肝心なことは、何一つ語られなかった。
誰も死因に触れない。
誰も「なぜ」彼が死んだのかを口にしない。
それは暗黙の了解のようであり、同時に、触れてはいけない何かを皆が察しているようでもあった。
土が、棺の上に落とされる。
ごとり、と。
乾いた音が、何度か重なる。
そのたびに、胸の奥がわずかに軋む。
エリナの肩が、ほんの少し震えた。
彼女は視線を伏せるが、涙はこぼれなかった。泣くことすら許されない場所に立っているような、そんな強張り方だった。
俺は、その横顔を見ながら、ただ立ち尽くしていた。怒りも、悲しみも、憤りも――どれもまだ形にならないまま、胸の奥深くに沈んでいる。
鐘の音が止む。
それを合図にするかのように、人々は静かにその場を離れていった。言葉を交わす者もなく、立ち止まる者もいない。
まるで、最初から何も起きていなかったかのように。
気づけば、そこに残っていたのは、俺だけだった。
冷たい風が墓地を抜け、足元の砂利を小さく鳴らす。棺のあった場所を見つめながら、俺はようやく、ゆっくりと踵を返そうとした。
――このまま、歩き出せばいい。
そう思った、その瞬間だった。
「……グレイノース」
低く抑えた声が、背後からかかる。
振り返ると、そこに立っていたのはアングハルトだった。葬儀の間、終始少し距離を取り、誰とも交わらず、ただ周囲を見渡していた男。
無骨で、いつもと変わらぬ表情。
だが、その瞳だけは違っていた。
一瞬、周囲の参列者へと視線を走らせる。
まるで――誰が、どこまで見ているかを確かめるように。
「伝えたい事がある……が……」
声は低く、喉の奥で押し殺されている。
「……誰が聞いているか、分からん」
その一言で十分だった。
これは、葬儀の場で交わす話ではない。
慰めでも、悼む言葉でもない。
俺は、何も聞き返さず、小さく頷いた。
「俺の工房まで来い。そこで話す」
それ以上、アングハルトは何も言わない。
説明も、理由も、感情もない。
だが、急いでいることだけは、嫌というほど伝わってきた。
墓地を後にしようとしたとき、俺はふと足を止めた。
少し離れた場所に、エリナ=フェレツがまだ立っている。すでに棺は埋められ、誰もいないはずの場所を、彼女はじっと見つめたままだった。
一瞬、視線が交わる。
エリナは、何か言葉を探すように唇を動かす。だが、声にはならず、代わりに静かに頭を下げる。
それは礼でも、別れでもない。
踏み込めない距離を、互いに理解した仕草だった。
グレイもまた、無言で応え、踵を返す。
――今は、ここで話すべきじゃない。
そう、はっきりと直感していた。
王都の通りを歩く間、アングハルトは一言も発さなかった。並んで歩く俺たちの間にあるのは、石畳を踏みしめる足音だけ。
人々のざわめきが遠くに聞こえても、会話はない。沈黙が、逆に不安を煽ってくる。
やがて、工房の前に辿り着く。
扉が閉まり、鍵がかかる音が室内に響く。
外界の音が完全に遮断されたのを確かめてから、アングハルトはようやく口を開いた。
「ここなら……聞かれる心配はない」
その言葉に、グレイの背筋がわずかに強張る。
次に出る言葉を、無意識に覚悟していた。
「……ハンスの件だ」
その名前が出た瞬間、胸の奥に沈めていた感情が、鈍く揺れた。
アングハルトは、ゆっくりと振り返る。
「実はな……ハンスに……」
一度、言葉を切る。
まるで、この先を口に出すこと自体が、重荷であるかのように。
「……"調べてもらっていた事"があったんだ」
その瞬間、空気が変わった。
ただの不運な死ではない。
ただの事件でもない。
グレイは、はっきりと悟る。
——ハンスは、偶然死んだわけじゃない。
アングハルトの手が、わずかに震えている。
それは恐怖か、怒りか。
あるいは――自分が関わらせてしまったという悔恨か。
無骨な鍛冶師の背中が、今はやけに大きく、そして重く見えた。
「ハンスが死んだのは……俺のせいだ……」
その言葉は、まるで重い鉄塊のように工房の空気を沈ませた。
アングハルトは俯いたまま、感情を押し殺すように低く、静かに続ける。
「一昨日……勅令で、この街すべての鍛冶師と魔導技師に、魔道具作成の依頼が下りたんだ」
一瞬、言葉を区切り、喉を鳴らす。
「その中で……一部の鍛冶師や魔導技師に渡された設計図が……禁止指定の魔道具だったんだ」
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
俺は思わず眉を寄せ、言葉を失った。
アングハルトは、俺の反応を確かめるように一度だけ視線を上げ、すぐにまた伏せる。
「俺は……この国の王、エルディオンをよく知っている。あの男は、こういう物を誰よりも嫌う人間だった。だから……王自身の考えが変わったとは、どうしても思えなかった」
低い声には、確信に近い違和感が滲んでいた。
「何かが起きた。王の知らないところで、何かが……な」
その“何か”を口にすることすら、憚られるように。
「だから俺は……ハンスに頼んだんだ。街の動き、衛兵の動線、誰がどこまで関わっているのか……調べてくれ、と」
アングハルトの肩が、わずかに震える。
「……その直後だ。ハンスの“事故死”が起きたのは」
偶然とは思えん。
そう言い切る声には、怒りよりも深い後悔が滲んでいた。
「ハンスはな……誤解されやすい男だったが……」
そこで一度、言葉が詰まる。
「正義感が強くて、優しくて……どこまでも真面目な男だった。俺が……心から認めた、唯一の男だ」
その言葉に、俺の脳裏にも城門での光景が蘇る。
最初は疑いの目を向けながらも、それは国を守るためだった。ラナリアの紋章を見せた時、迷いなく通してくれたのも、彼の誠実さゆえだった。
アングハルトの視線が、工房の壁際へと向かう。
そこには、一本の槍が静かに立てかけられていた。
「……この件が終わったらな……あの槍を、ハンスに渡すつもりだった」
拳が強く握られ、爪が掌に食い込む。
「俺が……間違っていた……」
吐き出されたその一言は、謝罪でも懺悔でもなく、ただの事実のように重かった。背中にのしかかる後悔は、鉄の鎧よりも重く見えた。
俺は、何も言えなかった。
慰めの言葉も、否定の言葉も、どれも軽すぎる気がして、唇を強く噛みしめるしかなかった。
その沈黙を断ち切るように――アングハルトは、ゆっくりと顔を上げる。
そして、懐に手を入れ、一枚の紙を取り出した。
皺のついたそれを、俺の前に差し出す。
鍛冶師の分厚な指が、わずかに震えているのが分かった。
紙の端が、かすかに揺れた。
胸の奥で、嫌な予感だけが、確かに形を成していた。
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次回は【明日19時】に更新予定です。
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