第61話 "ハンス"という名の衛兵
俺、グレイノースは、誘拐された子供の足取りを探すため、孤児院に訪れた。
院長マリアは、子供を探す理由を俺に問う。理由を答えた俺に対して考えるように両手を胸の前で組み、そして、深く息をつき声を発した。
「子供を探す理由……ただの好奇心、というわけでもなさそうね?」
その言葉は、問いというよりも確認だった。マリアの視線は柔らかいのに、核心を外さない鋭さを帯びている。まるで、俺の胸の奥にある迷いや後悔を、最初から見抜いていたかのように。
俺は一瞬、言葉に詰まった。だが、その視線から逃げることはできなかった。
――いや、逃げるべきじゃない。
そう自分に言い聞かせ、観念したように口を開く。
「……はい」
短く、しかしはっきりと。
「知り合いの子供が……以前、似たような誘拐に巻き込まれたことがあって……」
声が、わずかに震えるのが自分でも分かった。
「昨日、子供が拐われる瞬間を見た時……その時の光景と、どうしても重なってしまって……」
拳を、膝の上で無意識に握りしめる。
「……もう、他の子供に同じ思いはさせたくないんです。あの時、俺は近くにいたのに……助けられなかった」
言葉を探しながら、吐き出すように続ける。
「正義感とか……責任感とか……正直、自分でもうまく言葉にできません。でも……」
顔を上げ、まっすぐマリアを見る。
「見てしまった以上、知らなかったふりはできませんでした」
整理のつかない感情を、そのまま差し出すように。
俺は、ただ正直に語った。
マリアは、静かに頷く。
「……その考え」
ゆっくりと、言葉を選ぶように。
「すごく、分かるわ」
その一言には、長い年月の重みが滲んでいた。
「私は、一人でも多くの子供を助けたくて、この孤児院を開いたの」
マリアは小さく息を吐き、そして、核心に触れる言葉を口にする。
「結論から言うわね――行方不明になった子供は、この院にいた“かもしれない”」
その言い方に、俺の胸がざわついた。
(……かもしれない?)
確信ではない。
だが、否定でもない。
その曖昧さに覚えた違和感を察したのだろう。
マリアは、少しだけ目を伏せて言葉を続けた。
「……誰が、いつ、どうなったのか。それを、正確に把握できていないの」
その声には、悔しさと諦観が混じっていた。
「この生活に嫌気がさして、冒険者を目指して突然姿を消した子もいたわ。ある日、偶然出会った貴族に気に入られて、院を出ていった子もいる」
淡々と語られる言葉の裏に、数えきれない別れが透けて見える。
「孤児院を飛び出して……街の片隅で、誰にも知られず暮らしていた、なんて子もいたわね……」
マリアは、静かに首を横に振った。
「だから……私たちにも、すべては把握できていないのよ」
その表情は、怒りでも悲しみでもない。ただ、長年背負い続けてきた現実を受け入れている人の顔だった。
俺は、言葉を失ったまま、その場に座り続けるしかなかった。
――この街で、誰にも気づかれず消えていく子供たち。
その現実が、胸の奥に重く沈み込んでいった。
「それにね……長く孤児院の院長をしていて、思ったの」
マリアは一度、言葉を切り、静かに息を吸った。その仕草一つに、積み重ねてきた年月の重さが滲む。
「……全員は、救えない」
決して投げやりではない。だが、希望だけを語るにはあまりにも現実を知りすぎた声だった。
「全員を救おうと思えば、これ以上ないほどの資金が必要になるのよ。衣食住だけじゃない。病気、教育、安全……すべてを考えれば、どれだけあっても足りない」
マリアは、困ったように、そしてどこか自嘲するように微笑む。
「最近はね、国からの支援も、ほんの少しだけど増えたわ。それでも……どうしても、限界はあるの」
言葉が途切れ、部屋に短い沈黙が落ちる。
マリアは視線を伏せ、申し訳なさそうに俺を見た。
「あまり……力になれなくて、ごめんなさいね……」
その一言に、言い訳や保身は一切なかった。ただ、できる限りのことをしてきた人の、精一杯の誠意があった。
俺は、即座に首を横に振る。
「いいえ……こちらこそ、ありがとうございます」
それ以上、言葉は必要なかった。
俺は立ち上がり、深く、深く頭を下げる。
マリアも静かに会釈を返した。
そのまま俺は部屋を後にし、孤児院を出た。
ーー
ーーー
外に出ると、昼下がりの街の音が一気に耳に戻ってくる。子供の笑い声、行き交う人々の話し声、遠くで鳴る馬車の音。
だが、それらはどこか遠く感じられた。
俺は行き先を決めることもなく、ただ足の向くまま、街の中央へと歩き出す。
(……孤児院から子供がいなくなることが、当たり前になっているとしたら)
思考が、自然と沈んでいく。
(この孤児院から子供が消えても……誰も気にも留めない、ということになる)
胸の奥に、重たいものが落ちる。
(だが……この孤児院の存在自体は、街の人間にどれほど知られている?“孤児院がある”ことは知っていても、“子供がいなくなる事が当たり前"って事までは……)
情報が、圧倒的に足りない。
断片はあるのに、繋がらない。
(昨日の誘拐事件の裏にも……グラッドが関わっている可能性は高い)
その名前を思い浮かべただけで、奥歯に力が入る。
(だが、不用意に聞き回れば、奴の耳に入る。
そうなれば、身を隠されるだけだ)
足取りを緩め、俺は空を見上げる。
(……あいつは、多分、俺が死んだと思っている)
だからこそ。
(だからこそ、あの時……俺に、すべてを話したんだ)
確信に近い予感が、胸の内で形を成す。
怒りが、静かに湧き上がる。
だが、それを表に出すことはしない。
――今は、まだ。
俺はその怒りを胸の奥へと押し込み、歩みを止めずに街の中へと溶け込んでいった。
――その時だった。
街の中央の方角が、ざわりと不穏に揺れた。
耳に届くのは、普段の喧騒とは明らかに違う、重く沈んだざわめき。
視線を上げた瞬間、数人の市民が俺の横を駆け抜けていく。
「おい、中央だって!」
「嘘だろ……」
切羽詰まった声。
焦りと動揺が混じった足音。
(……何かが起きた)
胸の奥に、嫌な予感が小さく芽生えた。理屈よりも先に、身体がそちらへ向かっていた。
俺は人の流れに逆らうことなく、街の中央へと歩を進める。
近づくにつれ、ざわめきは明確な形を持ち始める。
悲鳴ではない。怒号でもない。
――沈黙に近い、ざわつき。
街の中央には、人だかりができていた。
輪のように、自然と距離を保つその中心。
人垣の隙間から、まず目に入ったのは――鎧。
銀色の鎧に身を包んだ数名の兵士たち。
その足元に、倒れ伏す人影。
見えるのは……足だけ。
(誰かが……倒れてる?)
兵士の一人が、ゆっくりと白い布を広げていた。それはまるで、慎重に、慎重に――大切なものを包むかのような動き。周囲の兵士たちの表情を見て、胸が締めつけられる。
誰一人として、顔を上げていない。
歯を食いしばる者、拳を震わせる者。
中には、鎧越しにも分かるほど、肩を震わせて涙を流す者もいた。
(……衛兵?)
兵士たちは、倒れた人物を囲むように並び、ゆっくりと直立する。
そして――
一人の衛兵が、一歩前に出た。
深く息を吸い込み、喉の奥から、絞り出すように声を張り上げる。
「全隊――――!!」
その声が、街の空気を切り裂いた。
次の言葉を発するまで、ほんの一瞬。
だが、その間が、永遠のように感じられた。
「……ハンスに!!!」
―――その瞬間。
俺の中で、何かが、完全に止まった。
意味が、理解できない。
言葉が、頭の中で反響するだけで、繋がらない。
「黙祷!!!!」
その声が響いた瞬間、俺の身体は、考える前に弾けていた。
「――――ッ!!」
気づけば、俺は走っていた。
人混みを、掻き分けて、掻き分けて、掻き分けて。誰かの肩にぶつかり、罵声が飛ぶのも構わず。
ただ前へ。
ただ中心へ。
(嘘だ……嘘だ……)
喉の奥が、ひりつく。
息が、乱れる。
視界の端で、白い布が見えた。
次の瞬間――人垣の向こうが、開ける。
そして。
――そこにいた。
地面に横たわる、一人の男。
鎧を外され、静かに、まるで眠っているかのように、目を閉じている、その顔。
見間違えるはずがない。
「……ハンス……?」
喉から、かすれた声が零れ落ちる。
返事は、ない。
微動だにしない、その身体。
白布に覆われた胸元は、上下すらしない。
安らかな顔――あまりにも、穏やかすぎる顔。
(……なんでだよ)
視界が、滲む。
(昨日まで……いや、今日の朝だって……)
胸の奥が、ぎゅう、と潰される。
息を吸おうとしても、うまく肺に入らない。
(槍を直して貰うって……言ってただろ……)
――嘘だ。
――こんなの、冗談だろ。
だが、どれだけ願っても、目の前の現実は、微塵も揺るがなかった。
俺は、その場に立ち尽くし、ただ、倒れたハンスの姿を見つめ続けることしかできなかった。
――街の喧騒は、完全に消えていた。
そこにあったのは、失われた命の重さと、胸を締めつける、どうしようもない喪失感だけだった。
本章はここで一区切りとなります。
明日より新章が始まります。
【明日から毎日19時】投稿です!
引き続きお付き合いいただければ幸いです。




