第56話 語られる"孤児院の存在"
俺、グレイノースは即席で組まれたパーティー――槍使いのアルバート、剣士のブラム、弓使いのミアと共に、サンド・バッド討伐のためカルバンを後にし、砂漠地帯を歩いていた。
容赦なく照りつける太陽が、頭の上から全身を焼くように降り注ぐ。
視界に映るのは、どこまでも続く砂、砂、砂。
出発前に購入した日除け用のローブを羽織ってはいるものの――正直、これが本当に意味を成しているのかは怪しい。
(……暑い)
足元の砂は一歩進むたびにズルリと崩れ、想像以上に体力を削ってくる。喉は早くも渇き、背中にはじっとりと嫌な汗が滲んでいた。
そんな中――やけに軽やかな足取りで、隣を歩くアルバートが、何でもない調子で声をかけてきた。
「なぁ……グレイノース?」
この暑さだ。
正直、雑談に付き合う余裕なんてない。
だが、アルバートはそんな俺の内心などお構いなしに、相変わらず爽やかな笑みを浮かべている。
俺は視線を前に向けたまま、面倒くさそうに返した。
「……なんだよ……」
ほんの一瞬の沈黙。
その間、砂を踏みしめる音と、遠くで風が砂をさらう音だけが響く。
そして――
アルバートは、何の前触れもなく、とんでもないことを口にした。
「お前さ……童貞だろ?」
――――。
一瞬、世界が止まった気がした。
俺は思考が追いつかず、その場で固まる。
開いた口が塞がらず、喉からは意味を成さない声が漏れた。
「な……な……?」
思わずアルバートの顔を見る。
すると――
なぜかこいつは、確信に満ちた表情で、やけに楽しそうに微笑んでいた。
……図星だった。
確かに俺は童貞だ。
否定しようにも否定できない。
だが――
(なんで分かる!?)
表情に出ていたのか。
それとも態度か。
混乱する俺の肩に、アルバートは遠慮なく腕を回してくる。
「ほらほら、そんな顔すんなって」
距離が近い。
やたらと近い。
そして、耳元に顔を寄せ、ひそひそと囁くように続けた。
「見てりゃ分かるっての。さっきミアに揶揄われた時の反応……あれはなぁ、童貞特有の“チェリー反応”だ!」
自信満々。
どや顔。
その表情が、なぜだか無性に腹立たしい。
「……うるさい」
俺が低く唸るように返すと、アルバートは肩を揺らして楽しそうに笑った。
そしてアルバートは視線を後方に――正確には、少し後ろを歩くミアと、その横でミアから若干距離を取ろうとしているブラムへと向ける。ミアは相変わらず元気で、楽しそうにブラムに話しかけ、ブラムはそれを静かに受け流そうとしている――いや、ブラムは完全に嫌がっているように見える。
「あれは、稀に見るかなりいい女だぞ!俺も長年冒険者やってるが、あそこまでの美人はそうそう見ねぇ!」
アルバートは砂を踏みしめながら、やけに熱のこもった声で続ける。
そのまま、わざとらしく言葉を区切り――
「それに……」
一拍置いて、正面を見据えたまま、無駄に凛々しい表情を作った。
「何よりも……いい胸をしている……」
――ダメだ、こいつ。
俺は心の底から引いていた。
もはや冒険者というより、砂漠に放ってはいけない危険人物にしか見えない。
(こいつ、絶対そのうち刺される……)
そう思った、その瞬間だった。
「ねぇ!聞いて聞いて!」
背後から、場の空気を一瞬で吹き飛ばすような、元気いっぱいの声が響く。
アルバートはビクッと肩を震わせ、反射的に背筋を伸ばした。
振り返ると、ミアがこちらに向かって小走りで駆けてくる。その後ろでは、必死に追いかけるブラムが、明らかに疲弊した様子で息を切らしていた。
ミアは俺とアルバートの横に並ぶと、首を傾げながらアルバートの顔を覗き込む。
「ん? なにかあった?」
……たぶんだが。
アルバートの顔には、さっきまでの下心が、隠しきれずに滲み出ていたのだろう。
アルバートは慌てて、両手を振る。
「い、いや! なんでもない!ほんとに!」
ミアはじっと睨むようにアルバートを見つめ――一瞬の沈黙のあと、興味を失ったように言い捨てた。
「あっそ」
その一言に、アルバートは露骨に安堵した表情を浮かべ、こっそりと胸を撫で下ろす。
(分かりやすすぎだろ……)
そんなことはお構いなしに、ミアはすぐさま満面の笑みで身を乗り出してきた。
「それより聞いてよ!!」
その勢いのまま、ミアが話し出そうとした瞬間――背後から、ようやく追いついたブラムが膝に手をつき、荒い息を吐く。
「はぁ……っ、はぁ……」
何か言おうとして口を開くが、呼吸が整わず、言葉にならない。
だが、ミアはそんなブラムの苦労など一切気にする様子もなく、楽しそうに続けた。
「ねねね!ブラムがこの依頼に志願した理由、知ってる?」
その顔は、悪戯を思いついた子供のように無邪気だ。
俺とアルバートは、顔を見合わせ――同時に首を傾げた。
「……?」
息を整えきれないままのブラムが、嫌な予感を察したのか、ゆっくりと顔を上げる。
そして――静かに、だが確実に「やめろ」と訴えるような視線を、ミアへと向けていた。
「実はね!!ブラム、エリナのことが好きなんだって!!」
ミアの声が、砂漠の空気を切り裂くように響いた。
「だから、困ってるエリナを見て――助けたいって思ったんだって!それで、この依頼を受けたみたいなの!」
一気にまくし立てられたその言葉に、ブラムの顔は、耳まで一気に真っ赤に染まっていく。
「み、ミア……っ!」
反論しようと口を開いたものの、視線が泳ぎ、言葉は続かない。
だが、アルバートはというと――驚いたように目を瞬かせたあと、すぐに破顔した。
「……ブラム」
そして、心から感心したように、力強く声を張る。
「お前……カッケェーじゃねーか!」
その言葉に、ミアも大きく頷いた。
「ね!こういうところ、ほんとカッコいいよね!」
追い打ちをかけるような称賛に、ブラムの顔はますます赤くなり、ついには俯いてしまう。
「……やめろ……」
小さく絞り出すような声は、完全に降参のそれだった。
アルバートは、そんなブラムの様子を見て、今度は少しだけ優しい表情になり、肩に手を置く。
「ま、気持ちは分かるぜ」
そう言ってから――今度はミアへと、真っ直ぐな視線を向けた。
珍しく、冗談のない声で言う。
「ただしな、ミア。好きな相手の名前を、誰彼構わず言いふらすのは感心しねぇぞ」
その言葉に、ミアは一瞬きょとんとした後、不貞腐れたように唇を尖らせた。
「はぁ?軟派なあんたに、そんなこと言われたくないわ!」
そして、今度はニヤリと意地悪な笑みを浮かべる。
「それよりさ、アルバートこそどうなのよ?あんたもエリナに気があって、この依頼受けたんじゃないの?」
鋭い視線が、まっすぐアルバートを射抜く。
一瞬、沈黙。
だがアルバートは、すぐに鼻で笑った。
「バカ言え!」
きっぱりと言い切り、胸を張る。
「俺はな――名工アングハルトに、武器を作ってもらいてぇんだ」
その声には、軽薄さはなく、真剣さがあった。
「少しでも認めてもらいたくて、そのために、この依頼に参加したんだよ!」
思いのほか真っ当で、芯のある理由だった。
ミアは、その答えを聞いて一瞬言葉を失い、
悔しそうに唇を噛みしめる。
「……ふーん」
その反応を見て、アルバートは少し勝ち誇ったように笑った。
今度は逆に、ミアを指差す。
「そう言うミアは、どうなんだよ?」
ミアは答える代わりに、腰に携えた弓を手に取る。軽く構え、弦を指で弾く。
ピン――と、乾いた音が砂漠に響く。
まるで指慣らしをするかのように、何度か弦を確かめながら、ミアは視線を前に向けたまま口を開いた。
「私はね……」
ミアは弓の弦から指を離し、砂漠の彼方へ視線を投げたまま、少しだけ声の調子を落とした。
「弓術の練習、ってところかな。サンド・バッドは集団戦闘向けの魔物でしょ?群れで動くし、連携もある。普段ひとりで動いてる私には、なかなか実戦で試せる相手じゃないのよ」
軽い口調ではあったが、その言葉の端々には本気が滲んでいた。
弓を握る手に、迷いはない。
そして次の瞬間、ミアはくるりとこちらを振り向き、さっきまでの落ち着いた表情を引っ込めて、意地の悪い笑みを浮かべる。
「……でもさぁ」
狙いは、もちろん一人。
「アルバートみたいな軽薄そうな人間が、この依頼ひとつ受けたくらいで、アングハルトさんに見向きされるとは思えないけどね?」
ピシッ、と空気に刺さる一言。
だがアルバートは、まるで効いていないと言わんばかりに胸を張った。
「へっへっへ!甘いな、ミアちゃん」
親指で自分を指しながら、得意げに続ける。
「この前なんざ、カルバン周辺の戦禍で家族を失った孤児を見つけてよ。ちゃんと保護して、カルバンの孤児院まで届けてやったんだぜ?」
その声音は、いつもの軽口とは少し違っていた。
俺は思わず、その二人のやり取りを、少し離れたところから眺める。言い合って、煽り合って――でも、その奥にあるのは、妙に息の合った距離感だった。
(この二人、本当に仲いいんだな……)
そう思った――その瞬間。
俺の中で、何かが小さく引っかかった。
(……孤児?孤児院?)
アルバートの言葉が、頭の中で反芻される。
孤児。
孤児院。
そして――
(あ……)
俺は、思わず二人の言い争いに割って入るように声を上げた。
「えっ!?カルバンって、孤児院があるの?」
歩きながら口論していたアルバートとミアは、同時に足を止め、きょとんとした顔でこちらを向く。
「孤児院くらい、あるでしょ?」
「孤児院くらい、あるだろ?」
――声が、見事に重なった。
二人は一瞬だけ互いの顔を見合わせ、
同時に眉をひそめる。
「真似すんなよ!」
「こっちのセリフ!!」
再び始まる応酬。
だが、俺はそれを気にも留めず、視線を落としたまま考え込んでいた。
(そうか……あの時、攫われていた子供……)
もし、身寄りのない孤児だったとしたら。
家族がいなければ、騒ぎにならない。
誘拐の報告が上がらなくても、不思議じゃない。
だが――
(孤児院の子供なら、院長や職員が騒ぐはずだ。それに、身寄りのない孤児が、夜に一人で街を徘徊するとも考えにくい……)
思考が堂々巡りを始める。
(目的は……奴隷としての売買?エルフの村で見た盗賊たちと、同じ……?)
考えれば考えるほど、答えは遠ざかっていく。
だが、一つだけ、はっきりしたことがあった。
(街に戻ったら、孤児院へ行こう。……行く価値は、絶対にある)
その決意が胸の奥に沈んだ、その時。
言い争いを続けるアルバートとミア。
そして考え込む俺にも聞こえるように――
「……そこの二人さん」
これまでほとんど口を開かなかったブラムが、静かに、しかし芯の通った声で言った。
「喧嘩は、また後にしてくれないか」
その言葉と同時に、ブラムは腰の剣へと手を伸ばす。ゆっくり、だが迷いのない動作で柄を握り、半歩だけ前へ出た。
「――仕事の時間だよ」
その一言で、空気が変わった。
アルバートとミアの言い争いが、ぴたりと止まる。冗談と軽口で満ちていた場の雰囲気が、一瞬で張り詰めたものへと切り替わった。
俺はその変化を肌で感じながら、ゆっくりと正面へ視線を向ける。
――そこに広がっていたのは。
砂漠の上空を覆い尽くすほどの、無数の影。
砂と同化するような色合いをした、コウモリ型の魔物――《サンド・バッド》の大群だった。
群れはまるで生きた砂嵐のように、宙を渦巻き、入り乱れている。無数の羽音が重なり合い、低く唸るような音となって耳に届く。
闇のように深く濁った黒い瞳。
その口元には、ぎっしりと並んだ鋭い牙が覗いており、ただ空を舞っているだけだというのに、その獰猛さをはっきりと主張していた。
「……うわ、数、想像以上だな」
アルバートが、思わず小さく息を吐く。
だがその手は、すでに槍をしっかりと構えていた。
ミアもまた、軽口を完全に引っ込め、弓を引き絞る。素早い動作で矢を装填し、視線は一匹一匹の動きを冷静に追っている。
ブラムは一歩前へ。剣を抜き放ち、低く腰を落とすその姿勢には、無駄がなかった。
そして――
俺もまた、三人に遅れまいと腰へ手を伸ばす。
鞘から引き抜かれたのは、俺の相棒――《幻装剣》。剣身が空気を切る、かすかな音が砂漠の静寂に溶ける。
静かに構え、意識を研ぎ澄ませる。
(群れ……催眠の唾液……数で押してくるタイプか)
頭の中で、戦況を素早く組み立てる。
目の前で、サンド・バッドの群れが一斉に高度を下げ始めた。
その光景はまるで――
獲物を見つけたことを告げる合図のようだった。
※次回は【明日20時】に更新予定です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
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モデリスク王国編を進めていきます!
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