表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/28

第6話 無能と呼ばれる子の衝動




 (さか)る村に着いた瞬間、肺に熱い空気が押し込まれた。煙が喉を焼き、目が痛む。

 それでも――迷うことなく、俺は走った。目指すは村長トリストン=ハウスの家。リゼルの父であり、俺を預かってくれていた場所だ。 

 だが、その家は――見る影もなかった。半壊どころか、壁は崩れ、屋根は落ち、木片(もくへん)瓦礫(がれき)があたり一面に散乱している。火の手こそ回ってはいなかったが、荒れ果てたその光景は胸を締めつけるには十分だった。


「くっ……!!」


 呼吸が荒くなる。

 倒れた家具をかき分け、家の奥へと進んだ


 その時――。


「んぐ……ぅ……っ!」


 苦しげなうめき声が聞こえた。瞬間、身体が勝手に動いた。音のした方へ駆け寄ると、村長が巨大な棚の下敷きになって倒れていた。血まみれの腕で必死にそれを支えようとしているが、体は震え、今にも潰されそうだ。


「村長!!」


 俺は叫びながら、棚に手をかざす。魔力がざらつくように流れ、空間がわずかに(ゆが)む。


 ―――転移


 棚がかすかな光をまとい、ふっと消えた。


「だ、大丈夫か!?」


 俺が肩へ手を伸ばした瞬間。村長は俺の腕を掴み、爪が食い込むほど強く締めつけた。


「……逃げろ……ッ! グレイ……逃げるんだ……!」


 焦りと恐れが滲む揺らいだ視線。その眼差しの先にあるものを見た瞬間、村長の喉が凍りつく。


「やつだ……奴が……ッ!」


 言葉が途切れる。

 村長の目には――それが映っていた。

 緑色の肌.....(にご)った黄色の(ひとみ).......血の匂いに酔ったように(ゆが)む口元........そこからは、だらりと(よだれ)()れている。


 ゴブリン――小鬼と呼ばれながらも、残忍で獰猛(どうもう)。人を襲い、奪い、(なぶ)る。 その危険性を、俺は知識としてだけ知っていた。

 だが、俺は想像を凌駕(りょうが)する恐ろしさ――その(みにく)さに、思わず息を飲んだ。

 その時、ゴブリンが甲高(かんだか)い叫びを上げ、俺の背へ()びかかる。


「ッ――!」


 爪が空気を裂く。血を求める獣の息がすぐそこまで迫る。


 しかし――


「危ない!!」


 村長が俺を突き飛ばした。世界が横に激しく回転する。

 背中が瓦礫の床に叩きつけられ、肺の空気が一気に抜ける。耳鳴りがする中――村長の叫びと、ゴブリンの獣じみた(いなな)きが重なった。

 目を開いた瞬間、心臓が凍りつく。

 村長の身体に、緑の影が覆い被さっていた。その光景を見た俺は......俺の体は――思考より早く、無意識に動いていた。

 村長へ覆いかぶさるゴブリンの横腹へ、全力で蹴りを叩き込む。鈍い衝撃とともに、ゴブリンの身体が転がり、床へ叩きつけられた。


「村長!!」


 村長の息は荒く、血が(にじ)んでいる。肩から腹部にかけて鋭い爪痕(つめあと)が刻まれていたが――深くはない。

 命は、まだある――胸の奥を締めつけていた冷たさが、そっと(ゆる)んでいく。


「よかった……!」


 安堵(あんど)と同時に足が震えた。

 生きている、それだけで涙が出そうになる。


 だが――。


「キギギギギィィィ!!」


 背筋を刺すような甲高(かんだか)い叫び声が家の中に響いた。振り返ると、さきほど蹴り飛ばしたゴブリンが立ち上がっていた。

 黄ばんだ歯を()き、血走った目を俺へ向けている。その手には、刃こぼれしたナタ。月明かりに照らされた刃が、不気味にギラリと光った。

 まるで"次はお前の番だ"と告げるように.....。


 俺は静かに立ち上がる。


 喉がひりつくほど乾いている。だが、逃げるという選択肢は頭に浮かばなかった。

 俺はゆっくりと腰に手を伸ばす。鞘から抜き放った鋼の剣が、かすかに震えた俺の手を照らす。


「……来いよ」


 俺は確かに“無能力者”だ。だが、誰かにそう呼ばれても、そう扱われても関係ない。

 

 守りたいものが目の前にある。

 だから俺は、この剣を握ってきた。

 

 ゴブリンが金切り声を上げ、ナタを振りかざして突進してくる。獣のような重い足音が、瓦礫の床を踏み砕いた。振り下ろされたナタを、俺は咄嗟(とっさ)に剣で受け止めた。


 ガァンッ!!


 骨を通して痺れが走るほどの衝撃。腕が吹き飛びそうなほどの力だった。気合いとともに力任せに弾き返し、空いた胴から首へ向けて剣を振り下ろす――だが。


 浅い......いや......硬い!


 刃がゴブリンの皮膚をかすめただけだった。薄い赤い線が引かれた程度で、致命傷には程遠い。


「キギャァァ!!」


 すれ違いざま、ゴブリンのナタが俺の腕を切り裂いた。熱い血が飛び散り、痛みが一気に脳へ突き抜ける。


「くっ……!」


 歯を噛みしめて傷口を押さえつけ、再び剣の(つか)をつかむ。震える指先が頼りなく揺れても、その握りだけは決して緩まなかった。

 目を閉じると、父との稽古の光景が浮かんだ。


 ――剣だけを振り下ろすな。

 ――流れを見ろ、力の軸を掴め。

 ――恐怖を忘れるな。


 父の声が、確かに耳の奥で響いた。


「……あぁ、分かってるよ、父さん」


 目を開いた瞬間、再びゴブリンが突っ込んできた。さきほどよりも粗暴で、さきほどよりも速い。

 

 だが、もう見える。

 腕の軌道、足運び、首筋の力の流れ――。


「はぁぁぁッ!!」


 俺は踏み込み、躊躇(ちゅうちょ)なく剣を振るった。


 まず腕へ。

 次に足へ。

 最後に――首筋へ。


 重たい衝撃とともに、ゴブリンの身体が硬直した。


 一瞬の沈黙。


 そして、ゆっくりと膝をつき、前のめりに崩れ落ちていく。


「……っは、っ……倒した……」


 手が震え、呼吸が乱れる。胸の奥で暴れる心臓は、まだ戦いが終わったことを認めようとしていなかった。だが――確かに、目の前のゴブリンはもう動かない。緑の体躯(たいく)は力なく崩れ落ち、床に広がる濃い血が、じわりと染みを広げていく。

 喉の奥が乾き、何度も空気を飲み込んだ。俺は剣を地面に突き立て、震える胸元を押さえつけるようにして息を整えた。


「……っは……はぁ……!」


 剣の(つか)には汗が伝い、(てのひら)はまだ熱を帯びている。自分が“命を奪った”という現実が、(やいば)ではなく心臓に刺さってくるようだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ