第52話 子供の行方
俺――グレイノースは、衛兵のハンスと数名の兵士たちを連れ、確かに誘拐犯の一人を気絶させたはずの路地裏へと戻ってきていた。
だが、そこにあったのは――
ただの、静まり返った夜の裏路地だけだった。人の気配はおろか、争った形跡すら残っていない。まるで、最初から何事も起きていなかったかのように。
(どういう事だ……!?)
胸の奥がざわつく。
(男も……折れた短剣すら、何一つ残ってないなんて……)
俺は納得できず、地面を何度も見渡した。
壁、路面、路地の奥。
だが、どこを見ても“空白”しかない。
「確かに……ここに、いたんだ!!!」
必死に声を張り上げた、その直後だった。
ひとりの衛兵が、大きくため息をつき、苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てる。
「いい加減にしろよ。犯人の顔も見てない、証拠もない……それ、本当に起きた事なのか?」
その言葉が、胸に突き刺さる。
「寝ぼけてたんじゃないのか?」
俺は言葉を失った。
続けざまに、その衛兵は肩をすくめる。
「それにだ。もし本当に子供が誘拐されてたなら、今ごろ街中がもっと騒ぎになってるはずだろ?」
(……確かに)
理屈としては、否定できない。
証拠はない。
目撃者もいない。
俺の脳裏には、あの光景がはっきりと焼き付いているのに――袋に詰められ、必死にもがく小さな身体。
あの声。
あの恐怖。
だが、それとは裏腹に。
「はい、解散!解散だ!」
冷たい一声が、夜気を切り裂いた。
その合図とともに、衛兵たちは口々に不満や愚痴を漏らしながら、次々と踵を返していく。
「夜番で無駄足とか、最悪だぜ……」
「ガキの勘違いだろ……」
そんな声が背中越しに流れていき、やがて足音は遠ざかっていった。
俺は、その背中を見送ることしかできなかった。
肩を落とし、立ち尽くす俺の横に、ハンスが静かに歩み寄る。彼は俺の肩にそっと手を置き、去っていく仲間たちの背中を見つめながら、低い声で言葉をかけてきた。
その声音には、慰めと――そして、拭いきれない違和感が滲んでいた。
「兄ちゃん、すまんな」
ハンスは、去っていった衛兵たちの背中が完全に闇へ溶けたのを見届けてから、ぽつりとそう口にした。
「あいつら、ここ最近ずっと徹夜続きでよ……どうしても気が立ってんだ」
その声音は、仲間を庇うようでありながら、同時に落ち込む俺を気遣う優しさが滲んでいた。
「まぁ……兄ちゃんが、悪戯に嘘をつくような人間には見えねぇしな」
その言葉に、胸の奥で固まっていた何かが、ほんの少しだけ緩む。
ハンスは改めて周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、俺に向き直って続けた。
「誘拐が本当にあったかどうかはな……明日、俺の方でも聞いてみるわ」
何気ない一言。
だが、その言葉には、確かな誠意がこもっていた。
「ちょうど明日、俺は非番でよ。アングハルトさんのとこに、槍を直してもらいに行くつもりなんだ」
そう言って、親指で背後を指しながら、にっと笑う。
「昼頃にでも鍛冶屋に来てくれりゃ、その時に何かわかったこと、教えてやるよ」
その笑顔は、不思議と頼もしさを感じさせた。
俺が小さく頷くと、ハンスは気合いを入れるように俺の背中を――
「まぁ!元気出せって!!」
――思い切り叩いた。
「ごふっ……!」
思わず咽せたが、不思議と嫌な気分にはならなかった。それどころか、胸の奥にじんわりと温かいものが広がっていくのを感じる。
ハンスの豪快な笑い声が、静かな夜の路地裏にひときわ大きく響き渡った。
その音が遠ざかる頃、夜は完全に静寂を取り戻していた。
――そして翌日。
昼過ぎ、俺は重たい足取りのまま、アングハルトの工房へと向かっていた。
昨日の騒動から一夜が明けたというのに、胸の奥に残った違和感は、消えるどころか、より重く沈んでいる。
(あの時……気絶させた男を、きちんと取り押さえておけば……)
考えれば考えるほど、視線は自然と地面へ落ちていった。
どうしようもない後悔が、心を締めつける。
ゆっくりと顔を上げた、その先に見えたのは――見慣れたアングハルトの工房だった。
(ハンスが……何か掴んでくれていればいいんだけど)
胸の内には、微かな希望と、拭いきれない不安が絡み合っていた。
その時だった。
目の前に広がるアングハルトの工房の扉が、きぃ……と控えめな音を立てて開いた。
中から姿を現したのは、見覚えのある男――。
肩を落とし、明らかに気落ちした様子で外へ出てきたその男は、俺の存在に気づくと、力なく手を振ってきた。
俺は思わず目を細める。
(あ……ハンスだ)
嫌な予感が胸をよぎりながらも、俺は彼のもとへ駆け寄った。
近くで見るハンスの顔は、昨日の豪快さが嘘のように影を落としている。
「元気ないけど……何かあったの?」
俺がそう声をかけると、ハンスはわざとらしいほど大きくため息を吐いた。
「いやな……アングハルトさんに槍の手入れを頼もうと思って来たんだがよ……」
そう言って、名残惜しそうに工房の入り口へと視線を向ける。
「兄ちゃん。今日、もしここに用があるなら……正直、やめといた方がいい」
思いがけない忠告に、俺は思わず首を傾げた。
「どういうこと?」
ハンスは肩をすくめ、困ったような苦笑いを浮かべる。
「国から直接、急ぎの依頼が入ったらしくてな。魔道具関連の仕事だってよ」
その言葉に、俺は小さく息を呑んだ。
「それに加えて、他の依頼も山積みみたいでさ……珍しく、かなり機嫌が悪かった」
言葉を選ぶように続けるハンス。
「俺もな、槍の件を切り出す前に、追い返されちまった」
最後に浮かべたのは、愛想笑いとも諦めとも取れる、少し寂しげな笑顔だった。
――魔道具。
装飾品や武具に特殊な加工を施し、装着者に力を与える高位の装備。本来は魔道技師と付与魔術師、複数の専門家の手を経て完成するものだ。
俺は驚くようにハンスに問いかけた。
「え……?おっさんって、魔道具も作れるの?」
思わず口から漏れたその言葉と同時に、俺の中でアングハルトの評価が、また一段跳ね上がった。
(鍛冶だけでも規格外なのに、魔道具まで――。)
だが、そんな俺の尊敬の視線を、ハンスは軽く手を振って訂正する。
「いや、まぁ……昔、魔道具製作に関わったことはあるみたいだけどよ。流石に全部一人でってわけじゃねぇみたいだぜ」
そう前置きしてから、ハンスは噛み砕くように説明を続けた。
「今回頼まれてるのは、魔道具の“外側”と、魔力を流すための回路部分らしい。アングハルトさんが装飾品を仕上げて、そこに付与魔術師が魔力を込めるって流れだな」
なるほど、と俺は内心で頷く。
確かにそれなら、鍛冶師としての技術と知識が存分に活かされる。
「とはいえ数が数だからな。他の魔道技師たちにも依頼は回ってるらしいけど……」
ハンスは肩をすくめる。
「それでも、アングハルトさんの腕は一級品だ。国が声をかけるのも無理はねぇよ」
少し間を置いて、苦笑混じりに付け加えた。
「ま、専門外の分野まで含めて急ぎで頼まれりゃ、そりゃ機嫌も悪くなるわな」
ハンスは同情するように、もう一度だけ工房の扉へ視線を向けた。
そして――
何かを思い出したように、ぽんと手を打つ。
「あ、そうだ。昨日の件だけどよ……」
その言葉を聞いた瞬間、俺の胸が跳ねた。
思わず期待を隠しきれない表情で、ハンスを見る。
だが、その視線を受け止めたハンスは、少し困ったように眉を下げ、言いにくそうに口を開いた。
「……あの後な。誘拐されたって報告が上がってないか、念のため確認してみたんだ」
嫌な予感が、背筋をなぞる。
「けどよ……そんな報告、一件もなかった」
その一言で、頭の中が真っ白になった。
(じゃあ……あの時、攫われてた子供は……?)
確かに見た。
確かに聞いた。
あの恐怖と抵抗の気配は、幻覚なんかじゃない。
俯いたまま、答えの出ない思考に沈みかけた、その時――。
「あっ!!」
突然、ハンスが声を上げた。
俺は驚いて顔を上げ、反射的にハンスの表情を見つめる。
「兄ちゃん!そういえばだがな」
不意に思い出したように、ハンスが声を上げた。
「冒険者ギルドの受付の――エリナだ。あの子が、お前のこと探してたぞ」
その名前を聞いた瞬間、俺ははっと顔を上げる。
「フェレツさんが……?」
胸の奥で、嫌な予感とも期待ともつかない感覚が広がった。
「なんかよ、兄ちゃんに頼みたいことがあるみたいでさ。詳しくは言ってなかったけど……」
ハンスは首を傾げながら、思い返すように続ける。
「様子からして、結構急ぎっぽかったぞ?」
頼みたいこと。
しかも、急ぎ。
考えを巡らせる間もなく、ハンスが背中を押すように言った。
「だったら、急いだ方がいいんじゃねぇか?」
その一言で、俺は決断した。
「……ありがとう、ハンス!」
そう言い残し、俺は勢いよく彼に背を向ける。
次の瞬間には、足に力を込め、石畳を蹴って走り出していた。
目的地は――冒険者ギルド。
背後では、ハンスが腕を組みながら、俺の背中を見送っている。
「ん?俺、兄ちゃんに名乗ったっけ……?」
その呟きが、風に溶ける頃には、俺の視界から工房は遠ざかっていた。
胸の鼓動を速めながら、俺はただひたすらに、冒険者ギルドへと向かって走り続けた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回は【明日19時】に更新予定です。
引き続き
モデリスク王国編を進めていきます!
ブックマーク・評価・リアクション、とても励みになります。
また次回もよろしくお願いします!




