第49話 聞こえた声
俺は、カルバンの冒険者ギルドを後にしたあと、夜の街を歩きながら宿屋を探していた。
日が落ちた王都カルバンは、昼間とは違う顔を見せている。通りには魔道灯が等間隔に灯され、橙色の光が石畳を淡く照らしていた。酒場からは笑い声が溢れ、どこかの路地からは料理の匂いが流れてくる。
だが――
今の俺に、その賑わいを楽しむ余裕はない。
体は重く、足取りも鈍い。
一刻も早く、横になりたい。
そうして辿り着いたのが、比較的こぢんまりとした宿屋だった。
俺は軋む音を立てる扉を押し開ける。
――カラン。
鈍い鈴の音と同時に、やる気のない声が店内に響いた。
「いらっしゃいませ〜……」
カウンターの奥で、あくびを噛み殺す様子もなく座っていたのは、宿屋の店主と思しき小太りの中年男性だった。椅子にだらしなく腰掛け、片肘をついたまま、こちらをちらりと横目で見る。
そして、俺の姿を認めるなり――
大きなため息。
「なんだよ……ガキか……」
露骨な態度。
正直、かなり感じが悪い。
一瞬、胸の奥に苛立ちが湧き上がったが、俺はそれをぐっと飲み込む。
ここで揉める気力すら、今は残っていない。
「いや……あの。泊まりたいんだけど……」
疲れを滲ませた俺の言葉を聞いた瞬間、店主の態度が一変した。
「え? あ、あぁ……す、すまねぇ……!」
慌てて立ち上がり、急に焦った表情を見せる。
「てっきり冷やかしかと思ってな……」
その変わり身の早さに、内心で少し呆れながらも、俺はカウンターの前まで歩み寄る。
そして、溜まっていた疲労と苛立ちを押し殺しつつ、少しだけ強い口調で言った。
「一週間ほど泊まりたいんだけど。部屋、空いてる?」
店主は一瞬たじろぎ、俺の気迫に押されたように、慌てて何度も頷く。
「お、おう!空いてるぜ!」
すぐに指を折りながら計算し始める。
「一泊、銀貨三枚だ。だから一週間で……銀貨二十一枚になるけど、いいか?」
その金額を聞いた瞬間、俺は思わず目を瞬かせた。
(ラディナ村じゃ、一泊銀貨一枚だったぞ……高すぎないか……?)
王都価格、というやつだろうか?
頭では理解できるが、財布には優しくない。
だが、長旅と今日一日の出来事で、俺の疲労は限界に達していた。これ以上、安い宿を探して街を彷徨う気力はない。
――とにかく、休みたい。
その一心で、俺は短く答えた。
「……いいよ。それで」
懐に手を入れ、銀貨を取り出そうとした、その時。
店主が、少し言いづらそうに口を開く。
「代金なんだが……悪いけど、一週間分まとめて払ってもらっていいか?」
その言葉に、俺は思わず眉をひそめた。
疑念が表情に出たのだろう。
店主は慌てたように両手を上げ、弁解するように声を上げる。
「ち、違ぇんだ!信用してねぇとか、そういうんじゃなくてな……!」
店内の空気が、わずかに張り詰める。
「おいおい、誤解しないでくれよ」
店主は慌てたように両手を振り、声の調子を一段落とした。
「気分を害したなら、すまねぇ。最近な……長期滞在した冒険者が、料金を払わずに消えることが多くてよ……」
そう言いながら、視線を逸らし、どこか言い訳がましい口調になる。
「疑ってるわけじゃねぇんだが……他国から来た冒険者には、こういう形を取らせてもらってるんだ」
そう締めくくり、無理に作ったような笑顔を俺に向けてきた。
(この目は……どう見ても疑ってない目じゃないだろ)
心の中でそう呟きながら、俺はそれ以上何も言わなかった。代わりに、懐から銀貨を取り出す。
――銀貨二十一枚。
数え間違いのないように、店主の目の前で一枚一枚揃え、そして、少し強めに――
カン、と音を立てて、カウンターに置いた。
「……確かに」
店主は一瞬だけ目を見開き、それから咳払いをする。
「部屋は、この奥の階段を上がった二階だ」
そう言いながら、カウンターの下から鍵を取り出し、俺の前に置く。
「一応言っとくが、風呂と食事は付いてねぇからな……」
そして、なおも何かを言いかける。
「この前なんて薄汚いガキがタダで風呂だけ使わせてくれって――」
だが、その先を聞く気はなかった。
俺は黙って鍵を手に取り、店主の話が終わるのを待たずに踵を返す。
木製の床が、ぎしりと鈍い音を立てた。夜の宿屋は静かで、階段を上る足音だけがやけに響く。
二階の廊下は薄暗く、魔道灯の光も心許ない。
指定された部屋の前で立ち止まり、鍵を差し込む。
――ガチャリ。
重たい音と共に扉が開いた。
中へ足を踏み入れ、まずは部屋全体を見渡す。
……正直に言って。
お世辞にも、綺麗とは言えない。
壁には薄い染みが残り、床板もところどころ軋んでいる。最低限の机と椅子、そして簡素なベッドが一つ。
(……これで銀貨三枚か)
心の中でため息をつきながら、俺はベッドに腰を下ろした。
全身が、鉛のように重い。
(……眠い)
今すぐ横になれば、間違いなく意識は落ちるだろう。
だが――
俺には、どうしてもやっておきたい事があった。
あの時。
アイアン・ゴーレムとの戦闘で、アングハルトから教わった――“魔力の使い方”。
あの感覚は、まだ体の奥に残っている。
ならば、忘れてしまう前に、今のうちに掴んでおくべきだ。
「……ふぅ……」
静かに息を吐き、背筋を伸ばす。
目を閉じ、意識を内側へ向ける。
魔力を――全身へ、ゆっくりと巡らせるように。
夜の静寂の中、俺は自分の内に流れる力と、静かに向き合い始めていた。
俺のスキル――《瞬速》《縮地》《雷走》といった移動系のスキルは、比較的、魔力の消費が少ない。体に負担も少なく、感覚的にも扱いやすい部類だ。
だが――
《転移》、そして叡傑竜から与えられた攻撃系のスキルは別だ。あれらは、一度使うだけで膨大な魔力を要求してくる。
正直に言えば。俺の体は、まだその魔力に耐えきれていない。
スキルに流し込む魔力の量を少しでも間違えれば、この前のような――“魔膨症”に陥る。
咄嗟の戦闘中に、またあの症状が出たら。
戦うどころの話じゃない。
動けない。
耐えられない。
そのまま、死に直結しかねない。
だからこそ――
俺は、いち早く“魔力の使い方”を身につけなければならない。
静かに呼吸を整え、意識を集中させる。
全身へ、ゆっくりと魔力を流す。
腕へ。
脚へ。
胴へ。
そして、内側の奥深くへ。
全身に魔力が満ちていく感覚。
それを逃がさず、崩さず、一定に保つ。
――言葉にすれば、それだけだ。
だが、実際にやってみると、思いのほか難しい。ほんの少し気を抜けば、魔力はどこかに偏る。力を込めすぎれば、逆に暴れ出す。
その最中――
俺の中に、どうしても雑念が湧き上がってきた。
(……この国、何から何まで高すぎるだろ)
意識の隙間に、現実が割り込む。
(通りすがりに見た出店も、食事屋も、宿屋も……全部だ)
さらに思考は止まらない。
(ていうか、冷静に考えて……維持費?協力金?なんだよそれ……)
聞いたこともない名目の支払い。
納得できるはずもない。
(こんなところ、長く居られるか……!)
集中しようとすればするほど、
雑念は逆に勢いを増して溢れ出す。
気づけば、俺は耐えきれずに目を開いていた。
「……まずい」
静かな部屋に、俺の声が落ちる。
「父さんの手掛かりや……グラッドの足取りを、早く見つけないと……」
このままじゃ――
「……破産する……」
冗談じゃなく、現実的な問題だった。
しかも、現状は何の手掛かりもない。
情報も、伝手も、方向性も。
まさに、八方塞がり。
俺は思わず、髪を掻きむしるように頭を抱えた。
その時。
――助けて
夜の街を渡る風に乗って、ほんの一瞬だけ。
誰かの声が微かに聞こえた――気がした。
※次回更新は明日19時を予定しています。
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