第5話 無能が見つける生きる術
俺は村長の家で荷物を受け取り、"転移"を使い冒険者組合へ運ぶ。時には雑貨屋、時にはパン屋、それから武器屋― ―依頼があればどこへでも。
転移を使えば重い荷物も一度に運ぶことができる。小さな仕事だ.....だが、これが俺が村の為にできる唯一の仕事だった。
父を失い、聖神の儀を経て大人となった俺はもう、誰かに守られてばかりではいられない。生きていくためにも、前へ進むためにも、俺自身の手で稼ぎ、立っていかなければならなかった。
俺は仕事を終えると、日々の日課の為、村のはずれへと向かう。光に染まる小道を歩きながら、村の人たちからの感謝の声を思い出す度に胸の奥が少しだけ温かくなる。
俺は人の気配のない森の奥、大木の前で剣を握る。振り下ろすたびに、汗が額を伝い、筋肉が悲鳴を上げる。何度も何十回も、何百回も振り続ける――その音だけが、静かな森に響き渡った。
そんな俺の背後に、微かな気配。風に混ざるように、しかし確かに、誰かが見ている。その存在を意識しながら、俺は声をかけた。
「……そんなところで、何してるんだい?」
木陰から漏れる柔らかな光を背に、軽やかな足取りで姿を現したのは――幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた幼馴染であり、今や村一番の期待を背負う冒険者――リゼル=ハウス。
風に揺れる金の髪、冒険者として鍛えられた身のこなし。けれど、その瞳だけは昔と変わらず、まっすぐであたたかい。俺は剣を振る手を止めずに、横目でリゼルを見る。
「また少し強くなったみたいだな?」
その一言で、リゼルは、その大きな目を瞬まばたかせ、驚きの色を浮かべた。ステータスは他人には見えない。だからこそ、普通なら気づけるはずがない。
「すごい!! よく分かったね!」
リゼルは無自覚に笑顔を咲かせる。
太陽みたいな、あの頃から変わらない笑顔。
だが、俺はその明るさをまっすぐ受け止めることができず、表情を隠すように剣を振り続けた。
――あの日。
父を失った、あの絶望の日。
俺は“別の力”に目覚めていた。
【スキル・真眼】
聖神の儀を受けていないはずの俺に、突然宿った異例のスキル。常識ではありえない出来事に、当時の俺は恐怖と混乱で頭が真っ白だった。このスキルは.......目に映る相手のステータスを読み取れる。
筋力、防御力、俊敏力、魔力、体力――相手の“強さの端々”が数字になって見える。
スキルや加護までも.....
はっきり言って、強力すぎる能力だ。しかし、戦う術を持たない俺には、宝の持ち腐れだ……。
ひねくれた笑いが胸の奥に沈む。
だが……このスキルのことは、誰にも話していない。父を失った直後という事もあり、話す余裕もなかったし、話す気にもなれなかった。
"ステータス"という、名の個人情報。
決して他者が見ることのできない“秘密”を覗き見できる。そんな異様な力を持っているなど、誰かに知られたらどう思われるか――想像するだけで嫌気がさす。
だから、この力は胸の底に沈めておくしかなかった。底なし沼のような暗がりに、そっと押し込める。
ーーー剣を振るうリズムが一息だけ乱れた。そこでふと、横にいる彼女へ疑問が浮かぶ。
「……そういえば、リゼルは何でここに来たんだ?」
振り向くと、リゼルはなぜか視線を泳がせ、もじもじと指先をいじっていた。
「え、えっと……」
彼女は少し天を仰ぐようにして、言葉を選ぶように沈黙したあと――小さく息を吐いた。
「ちょうどね……冒険者としての依頼があって。ゴブリン討伐の、帰りだったの……」
言葉の端々に誤魔化しが滲んでいるように感じた。
ほんの少し誇らしげに感じたその姿が、なぜだか眩しかった。羨望とも悔しさともつかない感情が胸の奥でざわめく。俺はそのざわめきを振り払うように、再び剣を握り直し、振り始めた。
「……確か、最近ゴブリンの活動が活発になってるって、村長が言ってたな」
そう呟いた瞬間、リゼルは「あっ」という顔をした。まるで思い出したと言わんばかりに鞄をゴソゴソと漁り、包みを一つ取り出す。
「これ、お父さんから預かってきたアップルパイ!!」
差し出された包みは、あの日――父を亡くした朝に食べ損ねた、あのアップルパイと同じ形だった。ほんのり冷めているのに、胸の奥があたたかくなる匂いがした。
「それと、これも……私から」
リゼルはもう一つ、布に包まれた箱を出す。おそらく彼女が作ったのだろう.....不格好で、どこか優しい形の――手作りの弁当。
それが視界に入った瞬間、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。声が震えそうになるのを、俺は歯を食いしばって押し殺す。
こんなにも誰かに気遣われているのに.....。
自分が抱えていた嫉妬や劣等感を思うと、どうしようもなく惨めで――情けなかった。
「……ありがとう、リゼル」
それだけを絞り出すように言って、俺は草むらに腰を下ろした。剣を置き、あぐらをかくと、足に溜まっていた疲労がじわりと広がる。
包みを開けば、少し不格好な卵焼き、形の崩れたおにぎり。どれも完璧じゃないのに、どれも温かい。ひと口食べれば――疲れ切った身体に、染み渡るような優しい味が広がった。
「うま……」
思わず漏れた言葉に、リゼルは嬉しそうに微笑む。その笑顔は、いつもより柔らかく見えた。
だが――次の瞬間。リゼルの表情が凍り付いた。
笑みが引きつり、目が大きく見開かれ、まるで世界が裏返ったかのように固まっていた。
その視線は、俺ではない。もっと遠く――村の方角を向いている。
「……リゼル?」
呼びかけても、彼女は答えない。ただ震える指先で、村の方を指し示す。胸騒ぎに背中を押されるように、俺は立ち上がり、視線の先を追った。
そして――見た。
赤い。
赤い。
赤い。
視界の端から端まで、燃え上がる炎の色が塗り潰していた。
村が――――燃えている。
「……っ!」
言葉が出ない。
頭が真っ白になる。
脳が理解を拒む。
だが、炎の中で人影が走る。瓦礫が崩れ、悲鳴が風に乗って届いてくる。
夢じゃない。現実だ。
「村が……!」
リゼルの声は、掠かすれて震えていた。俺の胸の奥で何かが弾けた。理由も、恐怖も、全部どうでもよくなった。気づけば俺は地面を蹴り、駆け出していた。
考えるより早く。
腕が痛むことも忘れて。
――ただ、助けなきゃ。
あの場所を。
俺たちが生きてきた村を。
村の人たちを。
「リゼルは、ここにいろ!」
気がつくと俺は炎の方へと走り出していた。




