第35話 驚愕"叡傑竜からの提案"
俺――グレイノース・リオンハーツは、迷宮最深部。叡傑竜の巨体が沈んだその場所で、地面に這いつくばるように倒れ伏していた。
背中を貫いた痛みは、もはや“痛い”という言葉では足りない。呼吸をするたび、ごりっと骨に触れるような鈍痛が全身へ波紋のように広がり、肺の奥まで灼けつく感覚が襲ってくる。息を吸うだけで、意識が闇へ引きずられそうになる。
視界の端には、俺と同じように倒れ込み、荒い息を繰り返すフィーネの姿が映る。彼女の腹部から広がる赤い染みは、見るだけで胸が潰れそうになるほど深刻だった。
その隣には——まるで眠るように動かないアル。返事も、震えすらも返ってこない。
そして。
俺たちを見下ろすように立つ男――グラッド。
手には、仲間たちの血で濡れた剣。その剣先から滴り落ちる赤が、冷たい地面に音もなく吸い込まれていく。
どうして……。
胸の奥から湧き上がる疑問は、苦痛と混乱のせいか言葉にすらならない。思考はぐちゃぐちゃに掻き乱され、怒り、悲しみ、絶望、裏切られた痛み――数え切れない感情が嵐のように心を占領していく。
その渦の中で――ふと、フィーネの視線が俺と重なった。彼女は苦しげに眉を寄せながらも、懸命に口を動かす。
に……げ……て……
かすれきった息が零れるように、口の形だけで伝わる言葉。それでも、確かに分かった。
"逃げて"フィーネは――こんな状況でも、俺の身を案じたのだ。
その瞬間。
胸に渦巻いていた混乱の嵐が、すっと引いていくのを感じた。頭の奥に、冷たい何かが戻ってくる。
フィーネの震える口元を見た瞬間、俺の中で何かが静かに定位置へと戻っていった。
そうだ……助けなきゃいけない。
フィーネも、アルも。
そして――メルナだ。
グラッドはメルナを襲った連中とも繋がっている。この男を逃がせば、また誰かが犠牲になる。こいつは危険だ。絶対に、ここで止めなければならない……
――そう、頭では理解している。
だが。
俺の身体は、指先ひとつ動かない。焦りが胸を締めつける。息を吸うことすらままならず、全身が自分のものじゃないように重い。
どうしてだ……どうして動かない……!
悔しさだけが無駄に膨れあがり、俺は唇を噛み締める。皮が裂け、鉄の味が口に広がっても、痛みすら遠く感じた。
そんな俺の必死の思いなど知る由もないといった様子で、グラッドは叡傑竜の骸から抜き取った禍々しい赤い玉に付着した血を、ゆっくりと布で拭い始める。その横顔は、まるで宝物を手にした子供のように無邪気だった。だが、そこにあるのは純粋な喜びではなく――歪んだ欲。
「最初にドラゴンが出た時はよ、正直焦ったぜ。だけどよ……まさかほんとに倒すとは、思わなかったよなぁ」
布で丁寧に血を拭き取ると、グラッドは倒れる俺の高さに合わせるようにしゃがみ込み、にやりと笑った。
「ほら、見てみろよ。これは“竜玉石”って言うんだ。長い長い年月をかけて竜の体内で魔力が凝縮されてできる秘宝だ。お前には、一生お目にかかれねぇ代物だぜ?――お前らのおかげで、最高の宝が手に入った」
まるで俺たちを踏み台にしたことが誇らしいとでも言うように、満足げな表情を浮かべて立ち上がる。
竜玉石をポーチに無造作にしまい込むと、今度は別の――小ぶりの黒い石のようなものを取り出した。その石を指先で軽く弾きながら、グラッドはまるで別れを告げるように呟く。
「……あばよ。成仏してくれよな」
次の瞬間。
カンッ! と乾いた音を立てて、黒い石が地面に叩きつけられた。同時に、空気が揺らぎ、視界が歪む。
――残像。
グラッドの体が薄くぼやけ、いくつもの影のようにぶれていく。
そして。
まるで最初からそこに存在しなかったかのように――グラッドの姿はあっさりと掻き消えた。グラッドの姿が霧のように掻き消えた瞬間、俺は驚愕で息を呑んだ。
だが――
俺は"消えたこと"に驚いたわけではない。その消え方が、あまりにも見覚えがあるからだ。残像。空気の歪み。そして、存在そのものが滑るように消える、あの感覚。
そう……あれは――スキル《転移》。
俺が日常のように使ってきた、あのスキルそのものの現象。
なぜ……?
どうしてグラッドが……?
疑問が次々と脳裏をよぎるが、背中を中心に全身へと広がる激痛が、思考を容赦なく断ち切った。
くそ……今は考えている余裕なんて――ない。
まずは、ここから……脱出しないと。
俺は限界に近い体をゆっくりと捻り、仰向けになる。天井がぼやけ、視界が揺らぐ。
……魔力が……ない。
超回復すら発動できない。
瞼が重く、鉛でも乗せられたみたいに、どんどん閉じていく。
もう――。
視界が闇に包まれると同時に、記憶の断片が次々と浮かんでくる。
父・マグナスの厳しくも温かい顔。
トリストン村長、村の人々の笑顔。
ヨルフェンをはじめとしたエルフたち。
メルナの不安げな表情。
そして――幼い頃のリゼルの、あの無邪気な笑顔。
胸が締めつけられる。
後悔が波のように押し寄せる。
もっと力があれば――
みんなを……守れたのに。
そんな後悔が胸に刺さる中、俺は静かに死を受け入れようとしていた。
その時だ。
(あき……る……)
誰かが……俺に呼びかけてきた。遠い。水の底から響いてくるような、掠れた声。
(諦……る……ま……)
徐々に、徐々に。その声ははっきりと、俺の意識を揺さぶり始める。
(諦めるには、まだ早いぞ)
低く、重く、鋼のように強い声。
誰だ……?
この声、どこかで……
(……あんたは、誰だ……)
暗闇の中、問いかける俺に、その声はゆっくり、厳かに名を告げた。
(――我は叡傑竜。お主に、生きる術を授けよう……)
自分の意識が薄れゆく闇の中で響く“叡傑竜”の声。ありえないはずの存在が、まるで隣にいるかのように俺へ語りかけてくる。俺は思わず動揺を隠せなかった。
倒したはずだ。
確かにあの瞬間――氷の槍は頭蓋を内側から貫いたはずだ。
なのに、どうして……
数え切れない疑問が脳裏を駆け巡る中、俺の唇――いや、意識が最初に紡いだ言葉はそれだった。
(生きて……生きていたのか?)
次の瞬間、脳内が震えるほどの豪快な笑いが響き渡った。
(ガッハッハッ! あれぐらいで我が倒れると思ったか!)
その声だけで、叡傑竜がいかに常識外れの生命力を持つ存在なのかが理解できた――いや、半ば呆れさせられたと言っていい。
(この程度の傷、数時間もあれば完治するわ!)
その言葉を聞いた瞬間、俺は妙な脱力感に襲われ、気づけば笑いがこみ上げていた。
ああ、そうか。
そんなの、当たり前だよな。
俺は心のどこかで、“上位竜相手に勝ったつもり”になっていたのかもしれない。自分の矮小さに、ようやく納得がいった。そして、これでようやく――最後くらいは惨めに足掻かずに逝ける。そんな安堵すら広がる。
(ハハッ……そうだよな。俺が――俺なんかが、竜に。それも“上位の竜”に勝てるわけないよな)
皮肉でも自嘲でもなく、ただ事実を受け入れた俺の言葉。
その心の奥底は、どこか晴れやかだった。だが、その直後に叡傑竜が放った言葉は、俺の想定をいとも容易くひっくり返した。
(……何を言っておる。手加減したとはいえ――お主は、我に勝ったのだぞ。もっと胸を張らんか!)
手加減——その単語が脳内に響いた瞬間、なぜかライエルの顔がぼんやりと浮かんだ。あの涼しい顔で"余裕"の表情を見せ勝負した日を思い出す。
思い出しただけで、胸の内に、呆れとも苦笑ともつかない感情がじわりと湧く。
(あんたらみたいな強い連中って……すぐ“手加減”をするよな……)
心の声が漏れたのだろうか。
叡傑竜は巨大な瞳をぱちりと瞬かせ、不思議そうに低く呟いた。
(ふむ?)
そして、ゆっくりと喉奥から響かせるように語り始める。
(我ら強者が手加減するのはな、相手に“強さ”を感じるからこそだ。見込みのない者には、わざわざ力を抑えたりはせぬ。だが……才ある者の力の限界を引き出してみたくなる。だから手加減をするのだ)
才能があるからこその“手加減”。
それは褒められているはずなのに、心が妙にざわつく。不思議と喜びと戸惑いが混じり合い、言葉にできない感情が胸の奥で渦を巻いた。
そんな俺の内心を見透かしたかのように、叡傑竜はゆっくりと言葉を続ける。
(ゆえに――お主に、我がすべてを託そうと思う)
叡傑竜のその提案は、俺の理解を一瞬止めるほど突拍子もない内容だった。
主人公がどのように成長させていくか、毎日考えながら、どのように書いていけば面白くなるか試行錯誤の毎日です!
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明日も10時と18時の2本投稿です!
それではまた明日!




