第32話 挑む"叡傑竜との戦い"
俺、グレイノースと仲間であるグラッド、フィーネ、アルの三人は――巨大な“影”の前で、ただ立ち尽くすしかなかった。
それは、迷宮の天井すら圧迫するほどの巨体。鼓動だけで空気が震え、赤黒い鱗はまるで生きているように蠢いている。
名は――叡傑竜
伝説の中で語られ、決してD級の迷宮に存在するはずのない、上位の竜種。
叡傑竜の吐き出す圧倒的な威圧と、耳を貫く咆哮。そのすべてが、俺の心を、体を、骨の髄まで震わせていた。
呼吸がうまくできない。
視界が揺れ、手足が氷に閉ざされたように動かない。
そして――。
俺の頭上へ、巨大な影が覆い被さる。鋼鉄すら紙のように裂く巨大な爪。龍の腕は、まるで大地そのものが動いていると錯覚するほど重く、太かった。
その爪が、今、振り下ろされる。俺という存在を、この世界から消し飛ばすために。
死が――迫っていた。
だが――
ーー魔法《氷の槍》!
ーー技能《雷の矢》!
耳元を切り裂くように、二つの光が俺を追い越す。氷の蒼光と、雷の黄金が交差し、叡傑竜の腕を正確に撃ち抜いた。
「……フィーネ!アル!」
俺は思わず名を叫んでいた。叡傑竜の腕が、わずかに――ほんのわずかだが、止まった。その隙を生み出したのは、二人の魔法だ。
だが、その瞬間。
叡傑竜の瞳が、ぎょろりと動き、フィーネとアルへ向けられる。氷のように冷たく、処刑の前に対象を見定める死神のような眼光。
視線が触れただけで、フィーネの肩が震え、アルの喉が乾いた音を立てる。
二人とも恐怖を覚えたのは明白だった。それでも彼らは唇を強く噛みしめ、決して退かず、前を見据えていた。
そして――。
ーー《猛虎覚醒》!!
その一瞬の隙、その極めて小さな“揺らぎ”を、グラッドは逃さなかった。獣が唸るような衝撃音と共に、グラッドの身体から覇気が溢れ出す。筋肉が膨張し、足元の石床が砕ける。
彼は剣を握りしめ、叡傑竜へと一直線に飛び掛かる。
仲間を守るため。
生き延びるため。
絶望的な敵に、真正面から挑むために。
グラッドは床を蹴ると同時に、まるで爆ぜるような勢いで跳躍した。
叡傑竜の眼前――人間など視界にも入らないはずの高さまで一気に迫り、そのまま剣を振り下ろす。 狙いは竜の頭部。
どんな魔物であれ、最も硬く、最も危険で、しかし最も“効く”急所。
グラッドの剣が叡傑竜の鱗へ触れ――
カンッ!!
甲高い、金属同士がぶつかり合ったような衝撃音が響き渡った。
「……っ!?」
グラッドの目が限界まで見開かれる。
剣が、跳ね返された。
斬れなかったのではない。
“届きもしなかった”のだ。
叡傑竜の鱗は、まるで神代の鋼鉄のように硬く、剣を弾き返した衝撃で、グラッドの身体が空中で無防備に浮いてしまう。
そこへ――。
叡傑竜の爪が横薙ぎに迫る。
巨大な、地形すら変える一撃。当たれば、グラッドの体など肉片すら残らない。
その瞬間、俺の全身が熱く跳ねた。
ーー《瞬速》
世界がスローモーションになったかのように、視界が一気に伸びる。俺の体は雷のような速度でグラッドへ飛び込み――宙に浮いた彼の身体を抱きかかえる。
そしてすぐさまもう一つのスキルを重ねる。
ーースキル《雷走》
地面まで一直線に、青白い閃光が尾を引く。
雷鳴のように軌跡を残し、俺たちは地面へ向けて急降下し――
ザザッ!
石床へと滑り込みながら、衝撃を殺して着地する。俺の腕の中で、グラッドは肩で息をしながら、かすれた声を漏らした。
「……た、助かった……っ」
その表情は、強面の彼には似つかわしくないほど、怯えと安堵が入り混じっていた。
すぐにフィーネとアルが駆け寄ってくる。二人とも顔が青ざめていたが、それでも俺とグラッドの無事を確かめるように頷いた。
俺たち四人は、肩を並べるように立ち、ゆっくりと――しかし確かな覚悟を込めて、叡傑竜へ視線を向ける。
そして、それぞれの武器を構えた。
その瞬間――俺たちは、同時に息を呑んだ。
叡傑竜の巨体がわずかにのけぞったかと思えば、次の瞬間にはその口元が不気味な赤で満ちていく。牙の隙間からぼたぼたと零れ落ちるように、炎が滴り――まるで、竜の喉奥そのものが溶鉱炉と化したかのようだった。
嫌な予感が、全身を駆け抜ける。
俺の脳裏に浮かんだのは――最悪の未来。
そして、それは的中した。
叡傑竜が大口を開ける。大口からは喉の奥から収まりきらないほど巨大な炎の塊が膨れあがり――
ドォッ!!
轟音とともに、巨大な炎球が発射された。地を焦がし、空気を焼き、熱波が迫り来る。顔を覆いたくなるほどの熱気が押し寄せ、息をするたび肺が焼け付くようだった。
瞬速で――避ければ、俺だけは助かる。
だが、その一歩を踏み出せなかった。
俺が避けたら、三人が焼かれる。
そんな明白な未来が、俺の足を縛りつけていた。
そのとき――。
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
咆哮のような声を上げて、グラッドが俺たちの前へ飛び出した。彼の剣が、振るわれる瞬間、魔力の奔流が刃に宿る。
赤く、青く、金属の中で雷を孕んだかのように輝き――グラッドは、迫る炎球に向けて剣を横薙ぎに振る。
ーー技能《物理反射》!!
刃が炎に触れた瞬間、耳をつんざくような甲高い音が響き――炎球は、まるで叩きつけられた鉄球のように軌道を変え、反転した。
巨大な炎球は一直線に逆戻りし――叡傑竜の顔面に直撃する。爆炎が竜の頭部を包み込み、咆哮とも悲鳴ともつかぬ音が響き渡る。
今だ――!
俺は勢いよく地を蹴った。
思考より先に身体が動く。爆ぜるように前へ、叡傑竜へ。
その動きを捉えたグラッドが、振り返りざまにフィーネとアルへ叫ぶ。
「フィーネッ!!アルッ!!」
短い叫び。
だがその声に込められた意図は、二人にしっかり届いた。
フィーネが即座に魔力を練り上げる。凍てつく空気が彼女の周囲に広がり、白い息が漏れる。
ーー《氷の槍》
鋭く尖った氷の槍が叡傑竜めがけて一直線に放たれる。同時に、アルがその横で魔力を引き絞り、炎の矢を生成する。
ーー《紅蓮火弓》
「行けぇぇぇッ!」
アルが放った炎の矢は、氷の槍の軌道を追うように飛び、直後――
バシュッ!!
氷と炎が空中で激突し、瞬時に莫大な水蒸気が巻き起こった。白く濃い霧が爆発するように広がり、叡傑竜の視界を覆い隠す。巨大な影が、霧の中でわずかに動揺した。
俺は足にさらなる力を込める。
ーー《縮地》《底力》《闘志》
世界が一瞬で縮み、景色が線となって流れる。
次の瞬間、俺の体は叡傑竜の眼前に跳び上がっていた。
掴んだ剣に渾身の力を込める。
狙うは――唯一、鱗に覆われていない急所。
叡傑竜の“眼”
「おぉぉぉぉぉ!!」
叫びと共に剣を振り下ろす!
俺の刃が眼球に触れ――ようとした瞬間、
ガキィィィィンッ!!
耳をつんざく衝撃音が跳ね返るように響いた。
俺の一撃を阻んだのは、透明の壁――いや、“障壁”だ。
「なにっ……!?」
叡傑竜の眼前に、まるで見えない盾のように現れた魔力の壁。蒼い火花を散らしながら、俺の刃を完全に止めている。
だが――
それでも俺は力を緩めない。
腕は震え、剣を握る指先は痺れ、筋という筋が悲鳴を上げている。それでも俺は――その刃に込めた力だけは絶対に緩めなかった。
だが、必死の抵抗も虚しく、斬りつけたはずの剣は叡傑竜の障壁に触れた瞬間、まるで粘つく壁に押し返されるように弾かれる。ひび一つ入らない。
「くっ……!」
次の瞬間だった。叡傑竜が“鬱陶しい虫でも払う”かのように、巨大な腕をゆっくりと、しかし圧倒的な重さをもって振り上げる。その動きが視界を覆い尽くした時には、すでに遅かった。
鋭い爪が俺の胴を横薙ぎに叩きつけ、凄まじい衝撃が臓腑にまで突き刺さる。
「が……ッ!」
空気が肺から強制的に押し出され、体は力なく空を舞い、糸が切れた操り人形のように地面へと落下した。
遠くから、グラッド、フィーネ、アルの声にならない悲鳴が聞こえる。
……熱い。
骨が砕ける音すら聞こえた気がする。
視界が揺れ、意識がかすれていく。
――駄目だ、ここで終わるわけにはいかない。
ーー《超回復》
俺の全身に淡い光が満ちた。裂けた皮膚が、砕けた骨が、まるで巻き戻しのように繋がっていく。焼けるような痛みも、重い倦怠感も、すべてが霧のように溶けて消えた。
「……まだ、やれる」
俺は地を踏みしめ、叡傑竜に向けて再び剣先を突きつける。抵抗の意思を、決して折れてはいないという証を示すように。
だが、このまま正面から挑み続けても、ジリ貧なのは明らかだった。
――このままでは、全滅する。
どうする?
何か、突破口はないのか?
俺は叡傑竜の動き、いままでの戦い、自分の持つスキルや経験……そのすべてを引っ掻き回すように思考を巡らせた。
頼む……何か、ひとつでもいい。
打開の糸口を――。
俺の視界いっぱいに、その巨躯が影を落とす。
まるで大地そのものが形を成したかのような叡傑竜が、ゆっくり……しかし逃げ場を奪う確信に満ちた足取りで近づいてくる。
その迫り来る圧力に、背筋を氷の指でなぞられたような恐怖がじわりと這い上がってくるのを俺は、"はっきり"と感じていた。
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叡傑竜とグレイノースたちの戦いどうやってグレイノースは勝つのか!?
次回 第33話「挑む"叡傑竜への反撃"」
明日20時30分の投稿です!
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