第3話 "剣聖と呼ばれる父"への思い
家の中からは、見知らぬ男と村長が激しく口論している様子が見えた。男は村長の制止を無視し、言葉を続けようとしている。
「だが……マグナスが……」
その言葉を遮るように、村長の声が雷鳴のように響く。
「バカ野郎!!子供がいるんだぞ!」
その怒声が、部屋の壁を揺らすかのように重く響いた瞬間、男から信じられない言葉が放たれた。
「マグナスが……死んだんだぞ!」
その瞬間、世界が一瞬止まったように感じた。
僕の手から力が抜け、膝が震え、心臓が止まりそうになる。耳の奥に響く、村長の荒い呼吸と怒鳴り声、男の低く冷たい声――それらが頭の中で渦を巻き、現実が一気に灰色に染まる。
リゼルの手を握った右手が、まるで氷のように冷たく感じられる。その小さな体が震えているのを、無意識に感じ取りながらも、僕は言葉にならない声を漏らす。
「……嘘だ……そんな……」
胸の奥に刺さった衝撃は消えず、体の重みとともに世界が沈み込むようだった。父――マグナス=リオンハーツが、この世界からいなくなった。その現実が、言葉以上の重さで胸を押し潰す。
リゼルがかすかに僕の肩に手を置き、優しく呼ぶ。
「グレイ……」
その声だけが、暗い世界の中でわずかに光を放つ。僕は震える体を支え、ゆっくりと呼吸を整えるが、心の奥では、まだ父の存在を強く求める思いが渦巻いていた。
「おじさん、本当なの?」
気づけば、僕は声を出していた。かすれ、霞むような声――胸の奥の痛みと絶望が、自然と口を突いて出たのだ。
その声に、村長と見知らぬ男の動きが止まる。男は少し目を見開き、言葉を探すように口を開いた。
「グレノース、、今のはちが、、」
村長は、僕の顔を見つめた。言い訳を、何とか納得させられる言葉を――胸の奥で必死に探していた。しかし、言葉は出てこなかった。声に出そうと口を動かすたび、喉が詰まり、思考が空白になっていく。その沈黙が、言葉よりも重く、残酷に僕の胸を打つ。村長の目がわずかに揺れ、口元が震える。
その表情だけで、全てが語られていた――気がつくと僕はリゼルと村長の静止を振り払い、家を飛び出していた。
心の中で何度も叫ぶ。
うそだ……うそだ!嘘だ!!
嘘だ!嘘だ!嘘だ!嘘だ!!
荒れ狂う感情の波に身を任せ、足は勝手に動いた。周囲の景色はぼやけ、風の音や木々のざわめきが遠くの世界のように感じられる。胸の奥で、父の笑顔、稽古の手ほどき、穏やかな声が次々と蘇る――それらすべてが、現実との境界を曖昧にする。
気がつけば僕は自分の家にいた。
父と過ごした家、父と稽古した庭――切り株に座る父が優しく微笑み、僕に話しかけてくるような――まるでまだそこに父がいるかのような錯覚が胸を締めつけた。
切なさと温かさが交錯し、心臓の奥で痛みが走る。
「ここにいたんだ!」
ふと横を見ると、リゼルが心配そうな表情でゆっくりと僕の方へ歩いてきた。額には汗が滲み、荒い息を整えながらも、僕の姿を探していたことが伝わる。
「隣、いいかな?」
慎重に尋ねる声に、僕はゆっくりと頭を縦に振る。リゼルは隣の切り株に腰を下ろし、少し考え込むように目を伏せた後、口を開いた。
「お父さん、強かったんだってね。村のみんなが言ってたよ!」
その言葉には、僕を励まそうとする優しさが込められていた。でも、涙で言葉が詰まり、声にならない。
答えることができなかった.....。
それでもリゼルは止まらず、ゆっくりと立ち上がり、僕の胸に響くように強く言葉を振り絞る。
「私は……」
少し言葉をためた後、力強く続けた。
「グレイは、お父さんみたいな英雄になれると思う!努力は裏切らないんだ!グレイを見てれば分かるよ!」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが弾けるように震えた。
努力は裏切らない――父がいつも口にしていたその言葉が、懐かしく、優しく、胸に突き刺さる。
涙がこぼれ、頬を伝う。
リゼルは膝をつき、僕の目の前にそっと手を差し出した。その手のひらには、ひんやりとした鋼の感触があった。――籠手。
それは父が旅立つ前、戦いのときに身につけていた鋼の籠手だった。父の汗と血、父の重みと温もりが封じ込められているようなその籠手を、リゼルは静かに僕に手渡す。
「父さんが、グレイに渡してほしいって……」
リゼルの両手が差し出したその鋼の籠手は、陽の光を受けて静かに輝いていた。父が旅立つ前、毎日のように磨いていたものだ。無骨な金属のはずなのに、リゼルの小さな腕の中にあるそれは、どこか温かさを帯びて見える。
胸の奥がぎゅっと縮まり、息が詰まった。父がいなくなった今、父の声も、背中も、記憶の中で薄れはじめている気がして怖かった。
だが――目の前の籠手を見た瞬間、消えかけていた輪郭が鮮明に蘇る。
父の大きな手。
稽古の合間に見せてくれた優しい笑顔。
全部が、胸の奥で強く響いてくる。
「泣きたい時は、泣いていいんだよ、、」
リゼルの声は、あまりにも優しく――触れた瞬間に心がほどけてしまいそうなほど、包み込むような響きだった。そのひどく温かな優しさに触れた瞬間、胸の奥で必死に堪えていた涙が堰を切ったように溢れだした。
気づけば僕は、もう耐えきれずにリゼルの胸元へ顔を埋め、そのまま縋るように泣き崩れていた。情けないと思う気持ちよりも、父の姿を思い返せたことへの安堵と、誰かがそばにいてくれるという温かな救いが、確かに胸の中で勝っていた。
どれほど泣き続けたのか、自分でも分からない。涙を流しても、胸を締めつける痛みは消えてはくれなかった。それでも、その痛みのさらに奥深くに、かすかに揺らめく小さな灯火がひとつ、静かにともったのを感じた。
――僕が、守らなきゃいけない。
父が命を懸けて守ってきた村を。
いつも支えてくれる村長やリゼルを。
父が信じ、託してくれた未来を。
「冒険者になる……。聖神の儀が終わったら……必ず!」
涙に震える声で絞り出した誓いは、森の静寂の奥へと吸い込まれるように消えていった。言葉の代わりに、リゼルはそっと僕の頭を撫でていた。
その温もりが、言葉以上に確かな力となって胸の奥へ静かに降り積もっていく。張りつめていたものが少しずつ解け、呼吸すら深くなるほどに、その温もりは確かで、優しかった。
しかし――この時の僕はまだ知らない。
聖神の儀で与えられる“祝福”が――人生のすべてを決めるほどの意味を持つことを。
希望に満ちて儀式へ向かった僕が――誰よりも深い絶望を味わうことを。
あの日――僕は―――
“無能の村人”となった。




