第24話 森人の別れと少女の帰還
エルフの村を後にした俺たちは、セレンディア大森林の奥深くを進んでいた。
先導するのは熟練のエルフ兵士たち。後ろにはメルナが俺のマントをぎゅっと掴んでついてくる。
時折、木々の合間から魔物が姿を現し、襲いかかってくる。そのたびに、エルフ兵士たちは矢と剣で寸分の隙もなく連携し、見事に魔物を仕留めていく。
その光景を見ながら、俺はただ感心するしかなかった。
一人だったら——メルナを守りながら戦うなんて、到底うまくやれなかっただろう。
そして、今の俺には一つ、強い武器が増えていた。
——スキル《雷走》。
盗賊のボスが使っていた、あの恐ろしいほどの瞬発力。
あの時の戦いで、俺はそのスキルも、奴の短い生涯も取り込んだ。
《瞬速》が一直線の速度に特化しているのに対し、《雷走》は——横跳び、踏み込み、回避。
まるで稲妻が枝分かれするように、瞬間的な横方向の動きを爆発的に強化する。
だからこそ盗賊のボスは、俺が攻撃した直後に影のように背後へ回り込み、致命の一撃を狙えたのだ。
俺は地を蹴った瞬間、《雷走》が発動し、身体が稲妻の軌跡を描いて森を駆け抜ける。襲いかかってくる魔物たちの姿が、まるで止まって見えるほどだった。
一歩踏み込む。
視界が閃光に変わり、次の瞬間には一体が斬り伏せられている。
二歩目で二体目。
三歩目で四体目。
まさに鬼神の勢いで魔物を切り裂いていく俺を見て、後ろを走るエルフ兵士たちは声を失っていた。
呆然とした視線が背中に突き刺さるが、それを気にしている暇もない。
「……そこだ!」
振り向きざまに一閃。
さらに、倒れた魔物に手をかざしてスキルと加護を吸収する。
淡い光が俺の身体を包み込み、ステータスに新たな情報が刻まれる感覚が走った。
この流れにも、もう慣れてきた。
雷光の尾を引きながら走る俺の身体は、自分でも驚くほど軽い。《雷走》の持つ瞬間的な横の加速は、今こうして戦ってみると、尋常じゃないレベルだと分かる。
息を吐きながら、ぽつりと漏らす。
「……うじゃうじゃ湧いて、鬱陶しいな」
その言葉を聞いたのか、横で魔物を相手にしていたエルフの兵士が、申し訳なさそうに声を張った。
「グ、グレイノース殿!其方ばかり戦わせてしまい、面目 戻れない――。
ここで退けば、きっと誰かが死ぬ。
いや、全員が死ぬ。
喉の奥がひりつくほど乾き、心臓は耳元で爆撃のように鳴り続けている。恐怖で足は震え、理性は逃げ出したがっていた。
それでも。
それでも俺たち四人は、生きるために覚悟を決めた。
せめて――抗う。
最後の一瞬まで、諦めるつもりはない。
胸の奥で何かが燃え上がる。
それを掻き集めるように、俺は叫んだ。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
自分を奮い立たせるための、渾身の咆哮だ。
するとすぐに、背後から重く心強い声が追いかけてきた。
「いくぞぉぉぉぉ!!」
グラッドだ。
彼は迷いを振り切ったかのように、大地を蹴って上位竜へと突進する。
その姿を見て、フィーネも、アルも、ぎゅっと武器を握りしめ、震えを押し殺しながら上位竜へ向けて構えた。
四人の意志が、一つになった瞬間だった。
だが、その様子を見た上位竜は――。
――グワァッハッハッハ!!
腹の底から響き渡る大笑いを放った。
「ハッハッハ! 我の姿を見てもなお挑むとは……!」
その金色の瞳が愉悦に輝く。
巨躯の鱗がカチカチと打ち合い、次の瞬間、上位竜はゆっくりと前足を下ろし“戦闘体制”を取った。
そして、天へ突き抜けるほどの声で咆哮した。
「ならば……叡傑竜たる我が! 全力で貴様らを相手しよう!!」
――ドォンッ!!
世界そのものが震えたかのような衝撃が襲いかかる。その咆哮は、音ではなく圧力となって全身を打ち据えた。
頭が割れそうだ。
肺が押しつぶされそうだ。
細胞一つ一つが悲鳴を上げている。
恐怖――。
逃げ場のない恐怖が、俺の身体の隅々まで支配していく。面目ない!」
息を切らせながらも、彼は真剣な顔で頭を下げる。
だが、俺は思わず笑ってしまった。
魔物の胴を切り裂き、血を払って返す。
「大丈夫ですよ! 俺の経験にもなりますし!」
それは強がりでもなんでもなく、本音だった。
もちろん——怖くないわけじゃない。目の前に牙を剥く魔物が現れれば、心臓は嫌でも跳ねる。
だが、《雷走》で駆け、刃を振るう。魔物から奪ったスキルが確かな経験値となって自分の中へ積み重なっていくのを、俺ははっきりと感じていた。
だが――今の力では、まだ誰も守りきれない。
胸の奥に燻る悔しさが、じわりと熱を帯びて広がっていく。昨日の戦いが脳裏をよぎり、俺はふと足を止めると、エルフたちに向けて静かに言葉を落とした。
「昨日は……情けないところを見せた。本来なら盗賊の一人でも捕まえて、アジトを吐かせるべきだったのに……俺は、それすらできなかった」
言いながら、自分の未熟さが喉に刺さるようだった。
握った拳に力が入る――そのとき。
「そんなこと、ありません!」
魔物を斬り払いながら並走していたエルフ兵の一人が、横目でこちらを見て強く言い切った。
「グレイノース様がいなければ、村はもっと甚大な被害を受けていました。あの窮地を救ったのは、紛れもなくあなたです」
真っ直ぐな言葉だった。
その優しさが妙に心に刺さる。責めていない。慰めでもない。ただ事実として、俺を肯定してくれた。
胸の奥が少しだけ軽くなった気がして、俺は前を向き直る。
「……ありがとう。でも、まだ終わってない。モデリスク王国へ行ったら――必ず子供たちを助け出す。だから……信じて待っていてほしい」
その決意を込めた言葉に、周囲のエルフたちは立ち止まるほど強く頷いた。
森の静寂の中、その頷きは誓いのように響いた。
俺が放った決意の言葉に、周囲のエルフたちは魔物を斬り払いながらも、迷いのない力強い頷きを返してくれた。
その瞬間、どこか張り詰めていた空気が少しだけ柔らかくなった気がした――。
だが、そのわずかな隙が命取りになる。
俺たちが一瞬だけ視線を外した、そのわずかな間に。
メルナの背後へ、影のような気配が迫っていた。
低く唸る声。
振り返るより早く、巨大な狼型の魔物"ファングウルフ"が鋭い牙を剥き、メルナに飛びかかる。
「――ッ!」
間に合わない、と脳裏をよぎった瞬間。
ズガンッ!
空気を裂く音とともに、数本の氷槍が横から飛来し、"ファングウルフ"の頭部と胴体を貫いた。
魔物は悲鳴を上げる暇もなく地面に崩れ落ちる。
直後、森の奥から複数の足音と声が響いた。
「「「大丈夫ですか!?」」」
駆け出すように姿を現したのは、鎧を纏った大柄の剣士、弓を構えた俊敏そうな男、そして杖を握るローブ姿の女性魔導士。
三人とも、ただの旅人や冒険者とは明らかに格の違う雰囲気をまとっていた。
その大柄な剣士が、倒れ込むメルナを見つけ、驚愕の声を上げる。
「えっ……!?メルナ!!?」
どうやら彼女を知っているらしい。
エルフの兵士たちも、そして俺も、胸を撫で下ろすように安堵の息をついた。
メルナは状況が掴めていないまま、ぱちぱちと瞬きを繰り返しているだけだったが――無事でいてくれたことが、ただそれだけで心から嬉しかった。
事情を聞けば、三人はラディナ村を拠点とする冒険者パーティ――《蒼天の翼》。
大柄の戦士はグラッド。
弓使いの男はアル。
そして氷の槍を放った女性魔導士はフィーネ。
彼らはラディナ村の村長から依頼を受け、メルナの捜索に来ていたという。
エルフの兵士の一人が、息を整えながら三人へ歩み寄り、深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます!我々は森の警備は慣れていますが……魔物との実戦となると経験が浅く……あなた方の助力には、心から感謝します」
その言葉に、グラッドたち《蒼天の翼》の三人は照れくさそうに笑い合い、エルフたちと次々に手を取り合う。
握手が交わされるたびに、安堵と連帯感が広がっていく。
つい先ほどまで緊張で張り詰めていた空気が、少しずつ和らいでいくのを感じた。
《蒼天の翼》との合流以降、俺たちの進行は驚くほど滑らかになった。
魔物の出現にも落ち着いて対処できるようになり、気づけば長かったセレンディア大森林の木々の壁が途切れ、視界の先に開けた平地が広がっていた。
その中央に、素朴で温かな灯りを宿した小さな村――《ラディナ村》が姿を見せる。
村の入り口へ近づくと、ちょうど見回りをしていた男性がこちらに気づき、何度も瞬きをした後、信じられないものを見るように駆け寄ってきた。
その瞬間――。
「パパ!!」
メルナが弾かれるように走り出す。
男性――メルナの父親も、大地を蹴って娘に向かって飛び込んだ。
ふたりは勢いのまま抱き合い、しがみつくように離れない。娘を失った絶望と、帰ってきた事実が入り混じり、男は声を上げて泣いた。
その泣き声は、森を震わせるほどだったが……なぜだろう、不思議と胸にしみる優しい音に聞こえた。
メルナもまた、父の胸に顔をうずめてわんわん泣いている。
俺は少し離れた場所で、その様子を見守った。
エルフの兵士たちも、《蒼天の翼》の三人も――誰もが自然と微笑んでいた。
安堵、喜び、そして救えたという確かな実感。あたたかな感情が、胸いっぱいに満ちていく。
長い旅路の果てにたどり着いた、ひとつの“帰還”。
森を渡る風が静かに頬を撫でていく。
――ああ、救えてよかった。
その思いだけが
いつまでも心の奥に優しく灯っていた。
明日も20時20分投稿します!
次回はついにグレイノースと村長が再会!?
ぜひ、ご閲覧ください!




