第23話 森人の平穏と少女の帰路
戦いが終わったあと、俺はエルフの村にある診療所へと運ばれた。簡素だが清潔な木造の部屋に横たわると、隣ではセリヴァンがフェリシルに手際よく包帯を巻かれている。
俺はというと、残っているわずかな魔力を搾り出し、《超回復》を発動して自分の傷を癒していた。その光景を見た瞬間、セリヴァンとフェリシルの動きが止まる。二人の目が驚きに大きく見開かれ、その空気がじわりと伝わってくる。
そして、フェリシルが静かに息をつき、呟いた。
「そのスキル…….便利だな……」
どこか羨ましげな視線を向けてくるフェリシル。
……まぁ、確かに《超回復》は便利だ。
だが、魔力の少ない俺には連発なんてできないし、他のスキルも使うとなると、併用するタイミングを見極めるのがかなり難しい。今回だって、戦闘中はいつ魔力が尽きるか分からなかった。
だからこそ、回復よりも速度と攻撃――戦況を覆す力に魔力を回したかったのだ。
そのとき、フェリシルの視線をふっと遮るように、弾けるような少女の声が診療所いっぱいに響いた。
「おにいさんっ!」
顔を上げると、入口に立っていたのはメルナだった。その隣には長老ヨルフェンの姿もあり、どうやら一緒に俺の様子を見に来てくれたらしい。
メルナは心配と安堵の入り混じった目で俺をまっすぐ見つめている。
ヨルフェンはゆっくりと俺の前に歩み寄り、深々と頭を下げた。年老いたエルフがここまで深く身を折る姿に、思わず呼吸が止まる。
「グレイノースよ……心から感謝する。」
その真摯な言葉に続くように、フェリシルが勢いよく声を上げた。
「本当にありがとう!君がいてくれたおかげで、みんなが助かった!」
セリヴァンもまた、包帯の巻かれた腕を押さえながら俺を見つめ、静かに言葉を紡ぐ。
「……ありがとう。君がいなければ、村は全滅していたかもしれん。」
三人の想いがまっすぐ胸に届き、心の奥が熱く満たされていくのを感じた。長老、フェリシル、セリヴァン、そしてメルナ――。
彼らの笑顔と涙が入り混じる表情を見るだけで、胸の痛みも忘れるほどだ。
ヨルフェンは優しく微笑むと、白髪の髭を揺らしながら言った。
「今夜、村の広場で宴を開く。君への感謝と……そして旅立ちを祝う宴だ。ぜひ参加してほしい。」
その言葉を最後に、ヨルフェンはメルナの肩に手を添え、満足そうに診療所を後にした。扉が閉まる音が響いた後、部屋にはどこか柔らかい空気だけが残されていた。
――そしてその晩。
エルフの村の中央広場は、昼間の静けさが嘘のように賑わい、眩しいほどの灯火と笑い声に包まれていた。料理の香りが風に乗って流れ、あちこちで酒樽が開かれ、村人たちは踊り、歌い、抱き合って喜びを分かち合っている。まるで、悲しみや恐怖なんて最初から存在しなかったかのように——。
俺は大きな木製テーブルの端に座り、料理を頬張っていた。戦いの疲れは確かに残っているはずなのに、不思議と体が軽い。
この村の空気が、祝福そのものだからだろう。
すると、ふわりと甘い木の香りが近づき、フェリシルが俺の隣に腰を下ろした。金色の髪が炎の光に照らされ、ゆらりと揺れる。
「こんなふうに村のみんなが騒いでる姿、ほんと久しぶりに見たわよ……」
呆れ半分、嬉しさ半分といった目でフェリシルは広場を見渡す。
その視線の先には——上半身裸になり、腹に描いた“妙に完成度の高いオークの顔”を揺らしながら踊り狂うセリヴァンの姿があった。
……あれは.....ひどいな......
「全く……あれが私の父なんだから、恥ずかしいったらないわ」
フェリシルは額に手を当て、ため息をつく。
宴会の中心で、一番テンションが高いのが村長本人……確かに娘としては複雑だろう。
そして、ふっと表情を戻すと、俺の横顔を覗き込みながら尋ねてくる。
「ところで、君の剣術……どこで学んだんだい?」
フェリシルの問いかけに、俺は少しだけ言葉を選んだ。焚き火の光が揺れる中、父の姿がふっと脳裏によぎる。
「……父から、教わったんだ」
短く答えると、フェリシルは一瞬だけ目を細めた。俺の表情から、何か余計なものまで読み取ったのだろう。だが彼女は踏み込まない。
ただ、そっと寄り添うように静かに口を開く。
「そうか。君の父君は……きっと素晴らしい剣士だったのだな。君の動きは研ぎ澄まされていて、覚悟と努力がにじんでいた。それに——」
そこまで言うと、フェリシルは手にしていた木製の杯をぐいっと一気に飲み干し、喉を鳴らした。
「それに、正直に言うとね……スキルなしの素の剣だけなら、私は君に勝てる気がしないわ。私、もう百年も鍛錬してるのに……まったく、世の中理不尽よね」
ぼそりと呟き、肩を落として酒杯をテーブルに置くフェリシル。普段は凛とした口調だが、酒のせいか、年相応の少女のような話し方をしていた。
その姿を見ていたら、ふと胸の奥に疑問が芽生えた。そして気づけば、俺の口は勝手に動いていた。
「……フェリシルって、何歳........なの?」
言い終えた瞬間、自分でも“しまった”と思った。
だが遅い。
エルフが長命なのは知っている。
だがフェリシルは十代後半にしか見えない美貌で、“百年の鍛錬”と口にしたのだから……気になるなというほうが無理だ。
そ焚き火がぱちりと火の粉を弾く。赤い炎に照らされたフェリシルは、驚きに目を見開いたまま、じっと俺を見つめていた。
……うん。これ以上
この話をするのは辞めておこう……
あの、優しいのに鋭いフェリシルの視線は、まるで矢のように俺の胸へ突き刺さっていた。
その夜の宴は、結局、朝の光が森に差し込むまで続いた。
そして今――
俺は旅支度を整え、エルフたちに見送られるように村の入り口に立っていた。澄んだ朝の空気の中、エルフたちの穏やかな笑顔と、森の向こうから昇る柔らかな陽光が、まるで俺たちの旅立ちを祝福しているかのようだ。
俺とメルナの側には、護衛として選ばれたエルフの兵士たちが凛と立ち、静かに周囲へ目を配っている。
前に進み出た長老ヨルフェンが、深みのある声で告げた。
「ラディナ村は、この森を抜けてすぐの場所だ。しかし魔物が出る可能性もある。この森を出るまでは、我が村の兵が護衛を務めよう」
その気遣いが胸に染みて、俺は思わず微笑む。
「……ありがとう。もしさ、冒険のどこかで“昔この村を救った英雄”に出会うことがあったら……その時は、あんたらのこと、ちゃんと伝えておくよ」
俺の唐突な言葉に、ヨルフェンは一瞬きょとんと目を丸くしたが、すぐに柔らかく笑ってうなずいた。
「……ふふ、よろしく頼むよ」
その言葉を背に、俺はメルナ、そしてエルフの騎士たちと共に歩き出した。
朝の光の中、長老ヨルフェンと、村のエルフたちの姿が小さく、小さくなっていく。
その景色を胸に刻むように――俺は、村から見えるほどの大きな、大きな動作で手を振り進み出した。
メルナを、ようやくラディナ村へ送り届けられる。そして──ついに、村長とも会える。
その事実だけで胸の奥が少し熱くなり、村へ続く道を踏みしめる足取りは自然と軽くなっていった。風がそっと背中を押し、木々が揺れる音がまるで歓迎の声のように聞こえる。
一歩、また一歩。
近づくにつれて高まっていく期待が、静かに俺の心を満たしていった。




