第20話 森人が願う村の平和
その声を聞いた瞬間、フェリシルは椅子を弾かれたように立ち上がった。血の気が引いていくのが目に見えるほどで、震える唇からかすれた声が漏れる。
「……っ!! 場所はどこだ!!」
急ぎすぎて言葉が追いつかない。それでも必死に絞り出そうとするその声音に、焦燥と恐怖が混じっていた。
報告にきた女性エルフは、荒い息を必死に整え、喉を震わせながら答える。
「む、村の……っ、中央広場の……あたりに……!それと......魔法封じの......結界も......」
その瞬間、フェリシルの瞳に強い光が宿った。
腰の剣に素早く手を添え、迷うことなく走り出す。
「――今行く!」
鋭い音を立てて扉が開き、フェリシルは風のような勢いで外へ飛び出していった。彼女の後ろ姿を目で追っていた長老ヨルフェンは、すぐ傍らにいる村長セリヴァンへと視線を向ける。
言葉にはしないが、込み上げる不安と焦りがその皺の深い瞳に宿っていた。
それを察したセリヴァンは、小さく頷き、静かだが決意を含んだ声で言う。
「……娘が心配です。私も向かいます」
ヨルフェンは眉を寄せ、苦しげな表情でセリヴァンに言葉を返した。
「ああ……頼む。どうか……」
その声には、老いた身で何一つ力になれない――そんな悔しさが滲んでいた。震える手を握り締めるその姿は、孫を思う祖父としての強さと弱さが入り混じった、痛ましいほどの想いを物語っていた。
俺は、扉の向こうへ駆けていくセリヴァンの背中を見送りながら、胸の奥がざわつくのを抑えられなかった。このまま座っているなんて到底できない――血の気が騒ぎ、体が勝手に立ち上がろうとする。
外から聞こえてくるのは、切羽詰まった叫び声。
悲鳴、怒号、剣戟の音――村の混乱が、風に乗ってこの部屋まで押し寄せてくる。
その音に怯えたのか、メルナがぎゅっと俺の服を握り締めてしがみついてきた。小さな体が震えている。俺の心まで締めつけられるようだった。
「……ヨルフェンさん」
立ち上がった俺は、長老へと視線を向ける。
そしてすぐにメルナを見下ろし、その頭にそっと手を置いた。黒曜石のような瞳が、不安で揺れている。
「この子を頼みます!」
ヨルフェンは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに厳しくも優しい表情で頷いた。メルナは泣きそうな顔で俺を見上げる。
その表情に胸がドクンと鳴った。
守らなきゃ――そんな強い思いが心の底から湧き上がる。
俺は彼女の頭をやさしく撫で、しっかりと目を見て言った。
「大丈夫だ。必ず……一緒にラディナ村へ帰ろう」
メルナの瞳が一瞬、涙で揺れた。
だが次の瞬間、まるで決意が宿ったように強い光を帯び、小さな拳をぎゅっと握りしめる。そして、大きく、大きく頷いた。
その姿に背中を押されたように、俺は本能のままに身体を走らせていた。
扉を開け、外へ飛び出す。
視界に飛び込んでくるのは――逃げ惑う……エルフたちの姿。
すれ違うたび、恐怖に引きつった表情が目に入る。誰もが怯え、誰もが混乱し、ただ必死に生き延びようとする群衆の波――。
胸の奥がざわつく。
――この先に、何が待っている?
押し寄せる人の流れを読み、体をひねって群衆の合間をすり抜ける。横道へと飛び込み、喧騒の壁を抜けた。
その瞬間――視界に、冷たい光景が映った。
倒れ伏すエルフの男性。
その傍らに立つ、一人の男。
月の光が雲間から覗き、その男の握る剣を照らした。刃には、赤黒い血がべったりと付着している。
そして男は――不敵に、心底愉しげに笑っていた。
その瞬間、俺は全てを悟った。
胸の奥で、怒りと憎しみが爆発する。
「……お前が」
喉が震え、言葉が熱を帯びて漏れる。
「お前が――ッ!!」
俺は腰の剣を乱暴に引き抜き、力任せに握り直す。
そして、怒りに任せて大地を蹴った。
「殺したのかぁぁぁぁッ!!」
叫びと共に俺は男へ突進し、振り下ろした剣に全ての力を込めた。
金属がぶつかる音が夜気を裂く。
男は驚愕の表情を浮かべながらも、ぎりぎりのところで俺の一撃を受け止めていた。
男は、まるで自分が追い詰められたことに気づいていないかのように──いや、気づいた上で楽しんでいるかのように──驚愕と愉悦の入り混じった顔で俺の剣を受け止めていた。
金属がきしむ音が、月の静寂を裂く。
交差した刃の向こうで、月明かりに照らされたその男の顔が、不気味に笑う。
「……ッ!」
反射的に、俺は男の胴を左足で蹴り飛ばした。
男の体がわずかに揺らぎ、その一瞬の隙に俺は距離を取り直す。
そして問いかける。怒りで声が震えていた。
「……なぜ、罪のない人を殺した?」
男は肩をすくめ、まるで天気でも語るかのように呟く。
「エルフの男は売れねぇんだよ。だから、殺しても……問題ねぇだろ?」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が灼けるような熱で満たされた。怒りで視界が揺れる。
深く息を吸い、吐き、必死で心を繋ぎ止める。
──落ち着け。
今は、仕留めることだけを考えろ──
次の瞬間、俺は地を蹴り、再び男との距離を詰めた。
だが。
「──ッ!?」
男は俺より速かった。
一瞬で視界が揺れ、気づいたときには、男は目の前に迫っていた。
頬を、冷たい刃の風が掠める。
今のは、、スキル……"縮地"!?
「避けるかぁ……残念だねぇ」
男は口元を吊り上げ、愉快そうに言った。
「あんた、なかなか良い反応すんじゃん──」
言葉を終えるより早く、男の剣が再び閃く。
獣が跳びかかるような鋭い軌道で、俺へと迫った。
男の剣が、風を裂く音とともに俺へ迫る──そのギリギリの間合いで、俺は刃を受け止めた。
金属が噛み合う甲高い音が響く。
一撃一撃の重さは大したことはない。
だが――
“縮地”を織り交ぜた緩急のある歩法。フェイントと瞬間移動のような踏み込みに、俺の攻撃リズムが乱される。
それに、こいつの背後に何人仲間が潜んでいるのかも分からない。
無駄に魔力を使い切るわけにはいかない。
こいつは……俺の力だけで叩き潰す
覚悟を決めた瞬間、男の刃が再び滑り込んでくる。俺と男の剣が交差するたび、足元の土が跳ね上がり、火花が散った。
「ほらほら、もっと楽しませろよ!」
男は嗤い、次の瞬間、再び“縮地”で距離を消す。
だが――見えた。
“縮地”を使う前、ほんの一瞬だけ重心が沈む。
足に力を溜める、癖のような動き。
その一拍の揺らぎを、俺は逃さない。月明かりで光る男の剣先が迫る。
その瞬間――俺は横薙ぎに刃を振り抜いた。
風を裂く音。
俺の剣は男の腕を正確に捉え――
ザシュッ。
「……っ?」
男は一歩先にすり抜け、勝ち誇った顔で振り返ろうとした。
だが、次に響いたのは男の――自身の悲鳴だった。
「うわぁぁぁぁあああ!!」
男の足元に、剣と、切り落とされた自分の腕が転がる。遅れて溢れた激痛に、男は地面に崩れ落ち、悶絶した。
「はぁ……っ、はぁ……っ……!」
男は震える声で、俺を睨みながら言葉を絞り出す。
「な……ぜだ……最後、どうして俺の攻撃が……分かった……!」
俺は男の首元に剣を突きつけ、静かに吐き捨てた。
「お前が俺の顔を狙ってたのは、一目で分かった。縮地を使う……お前の癖もな……」
その言葉を聞き、男の表情は絶望に染まる。
「く……そ……がぁぁ……!」
男は悔しさにまみれた叫びを夜空へ吐き散らし地面に爪を立てながら、ただ泣き叫ぶしかなかった。俺は地面でもがく男に、一切視線を向けなかった。
あの悲鳴も、うずくまる気配も――もはや俺には関係がない。
優先すべきものは、別にある。
俺は倒れ伏したエルフの男性へと歩み寄る――その瞬間、一目で理解した。
男は、薄く目を開いたまま、すでに息絶えていた。
月光がその瞳を虚しく照らし出している。
俺はその前で静かに膝をつく。
震えないように意識しながら手を伸ばし、そっと、その冷たくなった瞼に触れ、ゆっくり、ゆっくりと閉ざしていく。
せめてもの安らぎを与えるように。
「……助けられなくて、すまない。」
その言葉は、ほとんど囁きのように空へ溶けた。悔しさが喉の奥でうずき上がる。
だが、立ち止まっている時間はない。ここで後悔に囚われている暇など、俺には――ない。
俺は立ち上がり、気持ちを振り払うように村の中心へ向かって走り出した。仄暗い夜道に、俺の足音だけが鋭く響く。
向かう先は――エルフの村の中央広場。
確信があった。
男と剣を交えた時に感じた感覚。
こいつらは“ただの盗賊”なんかじゃない。
胸がざわつく。
悪い予感が全身を駆け巡る。
フェリシルが……危ない。
俺はさらに速度を上げ、夜の村を駆け抜けた。
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明日、10時に1本と20時に1本投稿予定です!
次回「第21話 森人が逃げる闇の正体」
本編20時投稿です!




