第17話 旅路で出会う一人の少女
俺は耳を澄まし、声のする方へと走り続けた。進めば進むほど、その少女の叫びは鮮明になっていく。
やがて――遠目に“それ”が見えた。木々の隙間から覗いた光景。粗雑な鉄格子の馬車。男が四人、一人の少女の腕を掴み、無理やり押し込もうとしている。俺は反射的に足を緩め、木陰へ滑り込んだ。荒い息を殺しながら、そっと様子を伺う。
男は四人……盗賊か?
いや、何者でもいい。
放っておく選択肢はない。
心臓がうるさいほど脈打つ。だが足は静かに、確実に前へ出る。二人は少女を押し込もうとし、残りの二人は馬車の中で何かをしている。そのうち一人が、ふと俺に気づき、首を傾げた。
――今だ。
四対一。
まともにやって勝てる相手じゃない。
だが、“油断”を突くなら話は別だ。
俺は地面を蹴り、一直線に飛び込む。
ーー《真眼》
移動の一瞬。揺れる視界の中で写った男のステータスの"瞬速"の文字。俺は躊躇なく、そのスキルを自分のステータスへ
――《転移》
次の瞬間、男がスキルを発動するが……何も起きない。
「……あれ?」
戸惑いの声が漏れた、その一拍の隙。迷いはなかった。
一閃……男の首が落ちる。
その光景を見たもう一人の男が腰の剣へ手を伸ばすが――
ーースキル《瞬速》
身体が風のように軽くなる。視界のすべてが引き伸ばされたように遅く見える。
男の背後へ一瞬で回り込み、胴を真横一文字に薙ぐ。刃が肉を裂く感触のあと、男の身体はゆっくりと地面へ崩れ落ちた。
「……体が....軽い」
思わず声が漏れた。新しいスキル"瞬速"の感覚がまだ身体に残っている。
その余韻を断ち切るように、鉄格子の中から怒声が響いた。
「おい!!何してる!早くその子供を連れてこい!中の準備はできたぞ!」
鉄格子の馬車から出てきた男は、その光景を見て唾の呑む
首を失った仲間。
胴を両断された仲間。
転がる二つの死体。
その惨状を見た男は、一瞬で状況を理解した。そして、ゆっくりと俺へ視線を向ける。
「……お前が、やったのか?」
俺は静かに頷いた。頷く俺の姿を見た男は考える間もなく、罵声を上げる。
「なら……死ねぇ!!」
その怒号とともに男が腰の剣を抜き、一直線に突っ込んでくる。刃は迷いなく俺の心臓へ向けられていた。
だが―――俺はその剣先を片手で弾く。
構えが緩い。
脇も甘い。
感情で振ってる……負ける気は――しない。
弾いた勢いのまま、俺は男の顔面へ剣を振り下ろす。男は咄嗟に剣を横にして受け止めた。金属がぶつかり十字の形を描く。
ギリ……ギリ……。
俺の剣が、じわじわと男の剣を押し込んでいく。
「お前……やるな。だがな……」
男の身体が淡く光った。
次の瞬間、逆に俺の手が押される感覚。
これは……スキル?
その違和感の正体を見定めるようにーー《真眼》を発動。表示されたステータスに、見慣れないスキル名が浮かぶ。
【スキル】・底力
やっぱりか……長引けば押し切られる
その一瞬の逡巡を突くように、男が力任せに剣を弾いた。
「くっ――!」
続けざまに、雨のような連撃が襲いかかる。剣先が光の残像を描きながら降り注ぐ。
だが、この程度の剣筋――父との稽古で、嫌というほど味わっている。
俺は一本一本、正確に受け流し、削いでいく。
でも……補正された腕力が厄介だ。
押し切るなら、速さで――
ーー《瞬速》
視界が伸び、俺の体に足に力が漲る。俺は男の連撃のわずかな隙間をすり抜け、その懐へ滑り込む。
横薙ぎに、一直線――。
鋭い斬撃が男の胴を割り、血しぶきが弧を描いた。
男はそのまま膝を折り、地面へ崩れ落ちる。その光景を見た、残ったひとり――細身の男が、目を見開き叫んだ。
「ア、アニキ!!」
だが、次の瞬間。血を浴びた俺の姿を見た途端、声の質が変わった。
恐怖に押し潰されるような悲鳴。
「ひっ……ひいいいっ!!」
細身の男は踵を返すと、一度も振り返らずに森の奥へと逃げ込んでいった。残されたのは、三人の男の死体。血の臭いが、いやに濃く感じられた。
……俺が、やったんだ
胸の奥がじくりと痛む。
初めて、明確に人を殺した。
誰かを助けるため――そう理由を並べ立てても、胸に広がるこの感覚は消えない。
嫌悪
憎悪
そして…………吐き気。
喉が痙攣しそうになるのを必死に押さえ、俺は深く息を吐く。
……気持ち悪い
このまま崩れ落ちそうになる自分を叱りつけるように、剣を強く振るった。刃についた血飛沫が地面に落ち、赤黒い点を作る。
カチリ
音を立てて剣を鞘に収めた時――視線を感じた。
鉄格子の前で、助けた少女がじっと俺を見ていた。
青ざめた顔。
震える肩。
そして、まるで“化け物”を見たような怯えの目。
あれ??
俺は、助けたはずの少女の――まるで怯え切った小動物のような表情に、思わず言葉を失った。
……え、なんでそんな顔を……
自分でも驚くほど戸惑っているのが分かった。慌てて頬についた血を袖で拭い取り、できる限り“普通”の顔を作ろうとする。刺激しないように、深く息を整え、ゆっくりと少女に近づいた。
俺の足音ひとつでさえ恐怖を与える。
それが、痛いほど分かったから――。
少女の前で膝をつき、そっと目線の高さを合わせる。敵意なんてない。ただそれだけを伝えたくて。
震える小さな頭へ、ためらいがちに手を伸ばす。
そして、そっと触れた。
「……頑張ったな」
その一言を置いた瞬間。少女の瞳が大きく揺れ、堰を切るように涙が溢れた。
「……う、うわぁぁぁあん……!」
胸の奥が軋むほどの泣き声だった。恐怖なのか、安堵なのか……それとも、俺が怖いのか――分からない。
ただ、その小さな体が震えるのを前に、俺はどうしようもなく動揺した。
「ご、ごめん!怖かったよな!本当にごめん!悪かった!」
何度謝っても、泣き止む気配はない。
――そして、ふとよぎる。
いや、もしかして……これって。
「……もしかして、お腹……空いてたりする?」
少女は涙をぽたぽた零したまま、小さく、小さく頷いた。
マジか……泣いてた理由?
いやいや、そんな訳あるかっ!
俺は唖然として言葉を失う。森の木々の間を通り抜ける風が静かに鳴り、どこからか鳥が――**アホー……アホー……**と、くぐもった声を落とした気がした。
まるで俺に"違うだろ"と伝えるように、そのわずかな嘲りめいた響きに、思わず空を見上げる。
込み上げかけた悲しみを、胸の奥で無理やり振り払い――すぐに俺は"転移"でパンを数個取り出し、少女へ差し出した。
「ほら。食べな」
少女はこくりと頷き、パンへ手を伸ばす。その小さな姿を確認したあと、俺は彼女の視線を盗むようにして、倒れた三つの死体へ歩み寄った。
ステータスの確認。
だが、傍目には――
……完全に死体を漁る怪しい奴に見えるよな
小さな子供に見せられる光景じゃない。気配を殺して一体ずつ確認していく。
取得スキル
〈縮地〉〈底力〉〈忍耐〉
加護
〈攻撃強化〉×2〈魔力強化〉〈体力強化〉
〈防御強化〉〈俊敏強化〉
「……まあ、このくらいか」
俺の"転移"は片手が空いていないと使えず、発動にも若干のラグがある。だから、咄嗟の対応が難しい。
それにしても――
"瞬速"はかなり使える……。
魔力消費がバカみたいに重いけど
そんなことを考えながら、ふと横目で少女を見る。少女はパンを口いっぱいに頬張り、涙のあとも忘れたように幸せそうな顔をしていた。
その表情に、俺の肩の力も自然と抜けていく。
パンを食べ終えた少女――メルナと名乗った――と共に、俺たちはラディナ村へ向け森を抜ける為、歩き出した。
道中、メルナはぽつりぽつりと言葉を漏らす。メルナはラディナ村の子供で彼女を襲ったのは冒険者。冒険者はメルナを奴隷商へ売るつもりだったという。奴隷制度はこの国では何年も前に廃止されていたはずだ。
なのに――なぜ。
胸の奥に疑問が生まれた、そのとき。
ヒュッ――。
風を裂く音が、俺の耳元を滑り抜けた。
「……っ!」
思わず足を止める。足元には、鋭い鉄の矢尻をつけた一本の矢。俺は矢が飛んできた方向――斜め上へと視線を向ける。
木の上。
そこには弓を構え、こちらを射抜くように見下ろす人影。
だが――人じゃない。耳が、尖っている。
「……エルフ……!?」
瞬間、周囲の気配がざわりと揺れた。
慌てて周囲を見渡す。
木々の上、枝の影、幹の陰――そこかしこに数えきれない数の弓兵が潜み、鋭い矢を一斉にこちらへ向けている。
俺とメルナは……
エルフの軍勢に完全に包囲されていた――




