第103話 集う者たち
俺、グレイノース=リオンハーツは――ラナリア王国、王都アルセリオンの夜の街中で、魔族と化した群衆の中に完全に飲み込まれた。何本もの腕が、獣のように俺の体を押さえつけ、魔族化した人間の爪が、俺の腕を、肩を、容赦なく引き裂く。
超回復で塞いでも、押さえつけられている以上、いずれ魔力は尽きる。逃げ場はない。剣を振るう隙すらない。
死を覚悟しかけた、その瞬間だった。
――ヒュンッ、ヒュンッ!
鋭い風切り音とともに、無数の矢が闇を裂く。俺を押さえつけていた魔族化した人間たちの体が、次々と跳ねるように崩れ落ちていった。
体を起こし反射的に矢が飛んできた方向へと視線を向けた。
そこには――
屋根の上に立ち、冷静に周囲を見渡しながら弓を引く一人の女性の姿があった。
月明かりを背に、無駄のない動作で矢を放つ。次の瞬間、彼女は屋根から躊躇なく飛び降り、俺の前へと軽やかに着地した。
その顔を見た瞬間、思わず声が喉から零れ落ちる。
「ミ……ミア!?」
俺の前に立っていたのは、カルバンで共にパーティーを組み、背中を預け合って戦った冒険者――ミアだった。
ミアは一瞬だけ俺に視線を向ける。血にまみれた俺の姿を確認すると、ほっとしたようにわずかに表情を緩めた。
だが、次の瞬間にはもう正面へと意識を戻している。
「――間に合って、よかった……」
そう呟きながら、彼女は再び弓を引き絞る。襲いかかろうとしてきた魔族化した人間の肩へ、寸分違わず矢が突き刺さる。矢が命中した瞬間、そいつは勢いを失い、地面を滑るように倒れ込んだ。
殺さない。
だが、確実に動きを奪う――それが分かる射撃だった。
ミアは間髪入れず、一本、また一本と矢を放つ。次々と迫ってくる魔族化した人間たちの急所を外し、確実に無力化していく。
その背中を見ながら、俺は呆然と問いかけていた。
「な、なんでミアがここに……?」
ミアは弓を構えたまま、視線だけをこちらに向ける。
「私だけじゃないわよ」
その言葉に、俺は改めて周囲を見渡した。
すると――
街を囲むように、屋根、塔、建物の縁。そこかしこに、鎧を纏い、杖を構えた魔術師たちの姿が見えた。
詠唱を唱え、魔力を練り上げる彼らの鎧には、はっきりと刻まれている。
――ラナリア王国の紋章。
(あの人たちは……ラナリア騎士団の、魔術部隊?)
屋根の上に展開する魔術師たちの陣形を見て、ようやく理解が追いつく。無秩序に見えた光と詠唱は、明確な統率のもとに動いていた。
――その瞬間。
ドドドドッ!!
重く、規則正しい足音が大地を揺らした。
俺の目の前を、鎧を纏った複数の騎士たちが一斉に駆け抜けていく。
彼らは迷いなく、迫り来る魔族化した人々の前へと展開し、盾を構え、剣を抜いた。
「――よく聞け!」
鋭い号令が夜の街に響く。
一人の騎士が前に出て、全体を見渡すように立ち、声を張り上げた。
「いいか!姿を変えられた人たちは洗脳されている!決して命まで奪うんじゃないぞ!制圧し、拘束しろ!!」
その言葉に応じるように、騎士たちは一斉に動く。斬るためではなく、抑え込むための剣捌き。盾で弾き、足を払って倒し、数人がかりで拘束していく。
――戦場の空気が、明確に変わった。
そして、その指示を出していた騎士が、ふっと表情を緩めてこちらを向いた。
(ろ……ロナンさん?)
見間違えるはずがない。
ラナリア騎士団副騎士団長、ロナン。
ロナンは俺の前に立つと、静かに手を伸ばし、俺の肩に触れた。
「……無事でよかった」
その一言に、胸の奥で張り詰めていたものが、少しだけ緩む。
俺は思わず目を見開き、ロナンに問いかけていた。
「どうして……ここに?」
ついさっきまで――ロナンたちはモデリスク王国の王都カルバンにいたはずだ。カルバンからアルセリオンまで、馬車で急いだとしても一日はかかる距離。
それなのに、この速さは――。
ロナンは、戦場全体を見渡しながら、落ち着いた声で答えた。
「君がカルバンの王宮から忽然と消えた後な、あの地下施設で“大量の転移石”が見つかったんだ」
その言葉に、俺は息を呑む。
「その転移石を使って、私たちは一斉に移動して来た」
ロナンは、魔族化した人々を拘束していく騎士たちの動きを確認しながら、続ける。
「それだけじゃない」
そう言って、彼は一度だけ俺の方を見た。
「アングハルトさんだ。アルセリオンが襲撃されると聞いて、カルバンにいた冒険者たちに呼びかけてくれた」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
「だから、安心しろ!今、この街には我々騎士団だけじゃない。転移石で駆けつけた冒険者たちも、この街を守るために戦ってくれている!」
ロナンの力強い言葉が、混乱と恐怖に満ちていた胸の奥へ、じんわりと染み込んでいく。
そして、ロナンは踵を返し俺とミアへと視線を向ける。
「すまんが……ここは君たちに任せる。私は、この状況を直接、陛下に報告してくる」
そう言い残すと、ロナンは迷いなく駆け出した。アルセリオン城へと続く道を、夜の街を切り裂くように。
その背中を見送る間も、戦いは止まらない。
ミアは一歩前に出ると、ロナンの進路を遮ろうと迫る魔族化した人々へ、間髪入れず矢を放った。
――ヒュン、ヒュンッ!
放たれた矢は正確無比に肩や脚を射抜き、相手の動きを止める。
殺さず、止めるための一射。
彼女の弓は、戦場の流れを確実に制御していた。
ザザ……。
その時、足元から這い寄るような、嫌な音が耳に届いた。
俺は反射的に、その音の方向へと視線を向ける。
そこにいたのは、俺とミアを真っ直ぐに見据え、ゆっくり、だが確実に歩み寄ってくる魔族化した人間だった。
ーー来る
腰に携えた剣に手をかけ、身構えた、その瞬間だった。
『――魔法《氷結凍縛》!』
鋭く、澄んだ声が夜気を切り裂く。
次の瞬間、魔族化した人間の足元から氷が噴き上がり、絡みつくように脚を覆い尽くした。氷は一瞬で地面と一体化し、歩みを完全に封じる。
『今よ!!』
その声を合図に、ミアが一歩踏み込み、弓を引き絞る。
――シュンッ!
放たれた矢は、狙い違わず肩へと突き刺さった。魔族化した人間は、呻き声すら上げることなく、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちる。
眠るように、静かに。
そして――
声の主、一人の少女が俺に向かって駆け寄ってきた。
「グレイくん?大丈夫でしたか?」
その声を聞いた瞬間、張り詰めていた意識が一気に現実へと引き戻された。
俺は、信じられないものを見るように、目の前の少女を見つめてしまう。
「フィ……フィーネまで……」
そこに立っていたのは、ラディナ村の迷宮でグラッドに深手を負わされ、意識不明に陥っていたはずのフィーネだった。
あの時、二度と目を覚まさないかもしれないとまで思った少女が、今は白い魔導服に身を包み、しっかりと杖を握っている。
――生きていた。
フィーネは俺に一瞬だけ安心させるような微笑みを向けると、すぐに戦場へと視線を戻した。迫り来る魔族化した人たちに向かい、躊躇なく杖を振る。
「――魔法《氷結凍縛》!!」
地面から伸びる氷と光が、魔族化した人々の足や腕を絡め取る。動きを止められたその瞬間を、ミアが逃さない。
――ヒュンッ。
放たれた矢は急所を外し、確実に相手の意識だけを刈り取っていく。
二人は初対面のはずなのに、まるで長年組んできたかのような連携だった。
息を合わせ、視線を交わし、次の標的へ。
その動きに、無駄が一切ない。
「私たちだけじゃないわ!」
矢をつがえながら、ミアが声を張る。
「アルバートも、ブラムも、街の別区画で戦ってる!」
その言葉に続くように、フィーネも振り返り、強く頷いた。
「冒険者や騎士団だけじゃありません!エルフの戦士たちも、この国を守るために駆けつけてくれています!」
その一言一言が、俺の胸に深く突き刺さる。
――独りじゃない。
逃げ惑う人々、必死に剣を振るう騎士たち、屋根の上から援護する冒険者、そして遠くで弓を構えるエルフの影。それらすべてが、この夜のアルセリオンで、同じ方向を向いて戦っている。
胸の奥に溜まっていた不安と恐怖が、少しずつ、確かな熱へと変わっていく。
この戦いは――
俺一人のものじゃない。
そう思えた瞬間、剣を握る手に、再び力が戻っていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回
第104話 炎帝
【明日19時】に更新予定です。
引き続き
モデリスク王国 侵攻編を進めていきます!
ブックマーク・評価・リアクション、とても励みになってます!




