第102話 聖劍《神威》
私、ライエル=アウルオンは、魔人と化したカルバンの騎士――クラインと、夜の城下で静かに刃を向け合っていた。崩れた民家の瓦礫の間を踏みしめながら、クラインは獣のような気配を隠そうともせず、じり、じりと距離を詰めてくる。
その一歩一歩が重い。
地面に伝わる振動が、彼の身体に宿る異常な力を雄弁に物語っていた。
(……来る)
私が足裏に力を込め、重心を落としたその瞬間だった。魔人クラインは、まるで合図でもあったかのように、片手で剣を振りかぶり、地面を蹴って一直線に突っ込んでくる。
速い。
そして、重い。
私は反射的に剣を横に構え、その一撃を真正面から受け止めた。
「ぐ……っ!」
金属同士が噛み合う鈍い音と同時に、腕を通して衝撃が骨まで伝わる。
まるで暴走する馬車を受け止めたかのような圧力に、私の体は耐えきれず、ずるずると後方へ押し流されていった。
ザザザザ――
靴底が地面を削り、砂埃が舞う。
歯を食いしばり、足に力を込め、大地を踏み締める。全身の筋肉を振り絞りようやく押し戻される勢いが止まった、その刹那。
私は剣に魔力を流し込んだ。
――技能《無双連舞》。
剣身が淡く光を帯び、私の身体が軽くなる。
受け止めていたクラインの剣を弾き飛ばし、そのまま一気に間合いへ踏み込んだ。
胴――
腕――
脚――
一瞬の間に、幾重にも重なる斬撃が走る。
視界が追いつかないほどの速度で、私は何度も、何度も、何度も剣を振るった。
肉を裂く感触。紫色の血が夜空に飛び散り、クラインの身体に無数の傷が刻まれていく。
(……決まった)
そう確信した、次の瞬間だった。
「……ははっ」
耳障りな笑い声。
クラインは、血を流しながらも、嗤っていた。全身に力を込めると、隆起した筋肉がうねるように盛り上がり、裂けたはずの傷口を内側から押し潰す。
紫色の肌が蠢き、肉が閉じていく。
「浅かっ――」
言葉が終わるより早く。
ドンッ。
衝撃が腹部を貫いた。
クラインの拳が、まるで杭のように深く食い込み、内臓が揺さぶられる。
次の瞬間、私の視界は宙へと放り出された。
身体が軽くなる感覚。
夜景が流れ、星空が反転し――
ドガァンッ!
壁を突き破る轟音と共に、私は民家の外壁を次々と貫きながら吹き飛ばされていった。
ガガガガガ――ッ。
一軒、二軒、三軒。
壁を突き破るたびに衝撃が全身を打ち、四軒目の家屋の外壁に叩きつけられたところで、ようやく私の身体は勢いを失った。
壁にめり込むようにして止まり、遅れて痛みが全身を駆け巡る。背後では、支えを失った家々が軋む音を立て、次々と崩れ落ちていった。地鳴りのような轟音とともに、夜の城下が揺れる。
私は瓦礫に埋もれた身体を押し起こし、崩れた石材や木片を払いのけながら立ち上がる。
「……くぅ……」
喉から漏れた呻きは、思った以上に低かった。だが、視界はまだ澄んでいる。剣を握る感覚も、確かだ。
その私に向かって――
ズシリ、ズシリと。
重たい足音を響かせながら、クラインが瓦礫を踏み砕き、こちらへ歩み寄ってきた。魔人となったその巨体が近づくたび、地面が小さく震える。
「最強と呼ばれるだけはあるな……」
クラインは、愉快そうに口角を歪めて言った。
「今の一撃で、まだ立っているとはな。普通なら、内臓ごと潰れているはずだ」
私は答えず、静かに剣を両手で握り直す。胸の前で柄を構え、剣先を天へと掲げるように姿勢を正した。
「……技能――《天翔剣》」
呟きと同時に、両腕から剣先へと魔力を流し込む。剣身が淡く輝き、その光が形を成していく。
私を中心に、五本。
実体を持たぬはずの魔力が、明確な“剣”として具現化し、空中に舞い上がった。夜気を裂くように回転しながら、五本の魔力剣が私の周囲を巡る。
私は剣を高く振り上げ――
一気に、振り下ろした。
その合図と共に、五本の剣が獲物を定めた獣のように、一斉にクラインへと飛翔する。
一本目が、右脚へ。
二本目が、左脚へ。
鈍い音を立て、魔力の刃が突き刺さる。
三本目、四本目は右腕、左腕へと迫るが、クラインは手にした剣を振るい、豪快に薙ぎ払った。金属音と共に、魔力剣は弾き飛ばされ、空中で霧散する。
そして――
最後の一本。
一直線に、顔面を狙って迫る魔力剣を、クラインは躊躇なく右手で掴み取った。
「――っ」
素手で、だ。
魔力で形作られた刃が、ギリギリと音を立てて握り潰される。次の瞬間、その剣は力を失ったように淡く揺らぎ、クラインの掌の中で霧となって消え去った。
その瞬間。
私は、剣を握る手に力を込めた。指先が白くなるほど、柄を強く握り締める。同時に、体内を巡る魔力を意識し、流れを変える。
剣ではなく――足へ。
――スキル《超加速》
魔力が足先へと集まり、筋肉の一本一本にまで浸透していく感覚が走る。世界が、わずかに引き延ばされたように感じられた。
私は迷わず地面を蹴った。
砕けた瓦礫が弾け、視界が一気にクラインへと引き寄せられる。
加速した身体は、一直線にその懐へ。
「――っ!」
剣を振り翳し、今度は迷いなく、深く踏み込んで斬り込む。
狙いは胴。
先ほどの牽制とは違う、確実に“斬る”ための一撃。刃は、確かな手応えと共にクラインの身体を裂いた。
ズバリ、と。
肉を断ち、骨に届く寸前まで食い込む感触。
紫色の肌が裂け、鮮血が噴き出す。
「ぐ……っ……!」
初めて、クラインの顔が苦痛に歪んだ。
私はその感触を逃さず、間髪入れずに次の一撃へ移る。
剣を引き戻し、そのまま振り下ろそうとした、その時だった。
ガシッ――。
「……なっ……!」
私が振り下ろした剣を、クラインは左手で掴み取っていた。
素手で。
血に濡れた掌で、刃そのものを押さえ込んでいる。
次の瞬間、右腕が大きく引かれ――
「――ッ!!」
拳が、一直線に迫る。
避ける暇はなかった。
重く、硬い衝撃が顔面を直撃する。
ドンッ――!!
視界が白く弾け、私の身体は弾丸のように吹き飛ばされた。空中で何度も回転し、背中から地面に叩きつけられる。
「……っ……」
肺から空気が強制的に吐き出され、喉が焼けるように痛んだ。私は膝をつき、ゆっくりと立ち上がる。
その間に。
クラインは、私の剣の剣先を握ったまま、無造作に腕を振る。
カラン――。
乾いた金属音が夜の街に響き、私の剣は地面を転がった。
「剣聖も……」
クラインは、口の端を吊り上げ、嘲るように言う。
「聖剣がなければ、ただの人間同然……だろ?」
私は、地面に横たわる剣へと視線を落とした。
「……あの剣はな……」
私は、地面に転がる剣から視線を外し、静かにクラインへと言葉を向けた。
「私が剣聖に任じられた、その日に――陛下から授けられた。人を守り魔を切り裂く聖剣だ」
夜の風が瓦礫の間を抜け、沈黙が落ちる。
クラインは、私の言葉の意味を測りかねるように、わずかに眉を動かした。
「私は最後まで迷っていた。君が“人間だった”からだ」
そう口にした瞬間、胸の奥に沈めていた躊躇が、はっきりと形を持って浮かび上がる。
「だからこそ、あの聖剣 《ディバイン・クルセイド》で決着をつけるつもりだった。あれは――“魔のみを斬る剣”。人と魔の狭間に立つ君になら、命までは奪わずに済むと思っていた」
それは言い訳ではない。剣聖として、人として、最後まで踏み越えたくなかった一線だった。
だが――
クラインは、その言葉を鼻で笑い飛ばす。
「……だから?」
嘲るような笑みを浮かべ、クラインは一歩、また一歩と距離を詰めてくる。地面を踏み締めるたび、重い音が夜に響く。
「だが……」
私は静かに、しかしはっきりと言い切った。
「この国を守るために。そして、君を止めるために――もう、迷っている場合じゃないようだ」
その瞬間、クラインの拳が強く握られ、爪が食い込む。
「迷っていた……だと?」
紫色の肌が蠢き、怒りが形を成して溢れ出す。
「死に損ないが……偉そうに語ってんじゃねぇよ!!」
怒号と共に、クラインは大地を踏み砕いた。
衝撃で瓦礫が跳ね、魔人の巨体が一直線に突進してくる。
私は、深く息を吸い込んだ。
そして、両手に魔力を集束させる。
――聖劍《神威》。
次の瞬間、夜を切り裂くような眩い光が私を包んだ。空間そのものが震え、形を成す。
そこに現れたのは――純白の光で鍛え上げられた剣。私が持つ本来の聖剣。この技こそが、聖剣スキルの真価である。
私は、その柄を強く握り締める。
(迷いは、もうない。)
突進してくるクラインへ向けて、私は剣を真横に振り抜いた。
一閃。
光の刃は、ただ“斬る”のではない。空間そのものを切り裂くように、一直線に伸びる。
その瞬間。
クラインの動きが、完全に止まった。
時が凍りついたかのような静寂。
次の刹那、光の軌跡が通り過ぎた民家が、遅れて真っ二つに裂け、轟音と共に崩れ落ちる。
そして――
静止していたクラインの身体もまた、ゆっくりと、音もなく、上下にずれた。
紫色の血が宙に舞う。
魔人の身体は、抵抗することなく、二つに分かれて地面へと崩れ落ちていった。
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次回
第103話 集う者たち
【明日19時】に更新予定です。
引き続き
モデリスク王国 侵攻編を進めていきます!
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