第101話 壊れた群衆
俺、グレイノース=リオンハーツは、数名の騎士たちと肩を並べ、石畳を蹴りながら城下の路地を駆け抜けていた。夜の空気は張りつめ、遠くから聞こえてくる叫び声や金属音が、否応なく事態の深刻さを物語っている。
路地を抜け、城下街の中央へ――その瞬間、俺は思わず足を止めた。
「……なんだよ、これ……」
喉から漏れた声は、ひどく乾いていた。
目の前に広がっていたのは、もはや“暴動”という言葉では片付けられない光景だった。
街灯に照らされる広場一帯で、人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、その背後から、異形の影が無数に迫っている。
紫色に変色した肌。
血走った瞳。
異様に伸びた爪と、頭部から突き出した角。
――人だった者たち。
路地で見た、あの一体だけではない。数える暇もないほど、至る所に同じ姿の者たちが蠢いていた。建物の影から、路地の奥から、まるで街そのものが吐き出したかのように、次々と現れてくる。
「……こんなに……」
背後で、誰かが息を呑む気配がした。俺と共に来た騎士たちも、その異常な光景に一瞬だけ動きを止める。だが次の瞬間、互いに視線を交わし、言葉を交わすことなく理解し合った。
――やるしかない。
「突入するぞ!」
誰かの号令をきっかけに、騎士たちは一斉に散開し、街の各所へと走り出した。
「動くな!抵抗するな!」
「大人しくしろ!」
怒号と金属音が夜に響く。騎士たちは連携し、数で囲み、次々と“人だった者たち”を取り押さえようとする。
だが――
「ぐ……ッ!」
拘束に入った騎士が弾き飛ばされる。人だった者たちは、正気を失った獣のように暴れ回り、常人とは思えない力で腕を振り回していた。
その時だった。
「や、やめてくれ!!」
切羽詰まった男の悲鳴が、街全体に響き渡った。
その声に引き寄せられるように、俺の視線は自然とそちらへ向かう。
街灯の下、石畳に尻もちをついた一人の男性。そして、その前に立ちはだかる――牙を剥き、爪を振り上げた“人だった者”。
「くそ……!」
考えるより先に、俺は地を蹴っていた。
一直線に距離を詰め、男に襲いかかろうとした異形の背後へ回り込む。
腕を伸ばし、脇の下から抱え込むように――
「――っ!」
力任せに、羽交い締めにした。
暴れる。信じられないほどの力で、腕を振りほどこうとしてくる。骨が軋む感触が、腕を通して伝わってきた。
「落ち着け……!」
叫びながら、必死に体重をかける。
周囲を見れば、同じように騎士たちが各所で奮闘していた。
「ガァ……あ……あ゛……!」
拘束されていた“人だった者”は、喉の奥を擦るような異様な声を上げ、なおも暴れ続けていた。人間だった頃の面影は、その呻き声の奥にかろうじて残っているだけで、今や動きのすべてが獣じみている。
俺は歯を食いしばり、必死に体重をかけながら、腰を落として震えている男性へ叫んだ。
「今のうちに……逃げろ!」
その一言に、男性ははっと顔を上げる。怯え切った目で一瞬だけ俺を見つめ、そして我に返ったように立ち上がった。
「あ……ああっ!」
足をもつれさせながらも、必死に背後へと走り去っていく。闇に溶けるように遠ざかっていくその背中を見届け、俺はゆっくりと腕の力を緩めた。
拘束を解かれた瞬間、“人だった者”は、ぎこちない動きで首を鳴らし、ゆっくりとこちらへ振り向いた。血走った瞳が俺を捉え、次の瞬間、牙を剥き出しにして飛びかかってくる。
「――っ!」
反射的に、俺は腰の剣へ手を伸ばした。
だが。
脳裏をよぎるのは、さっきまでこの存在が“人”だったという事実。
誰かの家族で、誰かの隣人で、普通に生きていたはずの存在。
(……切れない……)
その一瞬の躊躇。
鋭い牙が、俺の視界いっぱいに迫る。
「くっ……!」
俺はとっさに踏み込み、両手で相手の顎を押さえ込んだ。
次の瞬間――
ガチガチッ!
歯と歯がぶつかり合う鈍い音。押さえ込まれた顔は、なおも俺に噛みつこうと、顎だけを狂ったように動かしている。
涎が飛び、荒い息が顔にかかる。その力は、もはや人間のものではない。
(どうする……このままじゃ……!)
焦りが胸を締め付けた、その時だった。
「取り囲め!!」
複数の足音が一気に迫る。気づけば、先ほどの騎士たちが一斉に動き、俺と“人だった者”を中心に包囲網を形成していた。
「今だ!押さえろ!」
数人が同時に飛びかかり、腕、脚、胴へと一斉に組みつく。俺が距離を取った直後、縄が投げられ、荒々しく縛り上げられていく。
「グァ……ァ……!」
なおも暴れるが、数の力には抗えない。
やがて、地面に押さえつけられ、完全に拘束された。
その様子を確認し、一人の騎士が俺に駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫だったか?」
鎧越しでも分かるほど、息が上がっている。
俺は深く息を吸い、ようやく落ち着いた声で答えた。
「はい……助かりました……」
そう言って、ゆっくりと周囲を見渡す。
月明かりの下、広場のあちこちで同じ光景が繰り返されていた。縄で縛られ、地面に転がされている“人だった者”たち。
だが、その数は決して少なくない。
一人、また一人と拘束されていく一方で、まだ暴れている影も至る所に見える。街全体が、まるで巨大な檻になったかのようだった。
一人の騎士が、縛り上げられた者たちに視線を向け、低く呟く。
「……魔族化した人間が、多すぎる……」
彼の視線は、縄で拘束された“人だった者”たちと、なおも暴れ続ける影、そのすべてを見渡すように彷徨っている。
「六人がかりで……一人を押さえ込むのが、精一杯だ……」
剣を握る手が震えているのが、月明かりの下でもはっきりと分かった。
疲労だけではない。相手が“魔物”ではなく、“人だった”という事実が、騎士たちの判断と動きを鈍らせていた。
「団長が……団長がいれば……」
その言葉が、希望なのか、縋りなのか、自分でも分からないまま、騎士は夜の闇を睨んだ。
――その時だった。
ドドドドドド……!
遠くから、地面を揺らすような轟音が響き渡る。
何かが崩れ落ちる、いや――叩き潰されるような、生々しい音。
俺と騎士たちは、思わず一斉にそちらへ顔を向けた。
夜空に、土煙が立ち上っている。月明かりに照らされ、倒壊した民家の輪郭が浮かび上がる。
「あそこは……!」
騎士の一人が、叫ぶように声を上げた。
「先ほど、我々がいた場所だ……団長が……!」
その言葉が示す先。そこでは今もなお、剣聖ライエルと、“クライン”と名乗った騎士の激突が続いているのだろう。建物すら巻き込む衝撃が、それを雄弁に物語っていた。
――そして。
ザザザザザザザ……!
はっきりと聞こえた土を踏みしめる音。
無数の足が、一斉に動く音。
数ではない。
“群れ”だ。
嫌な予感に背筋を凍らせながら、俺と騎士たちは、音のする方向へと視線を向けた。
月明かりの下、闇の奥から現れたのは――
「……っ……」
言葉を失った。
紫色に変色した肌。
血走った瞳。
剥き出しの牙と、獣のように伸びた爪。
それらが、壁のように並んでいる。
1人や2人ではない。
10人ーーいや、30人はいる。
路地を埋め尽くすほどの、“魔族となった人々”が、ゆっくりと、しかし確実にこちらへ迫ってくる。
唸り声、荒い息、牙を鳴らす音が重なり合い、夜の街そのものがうめいているようだった。
騎士たちの喉が、はっきりと鳴る。
「……囲まれる……」
逃げ場はない。
背後には市街地。
前方には、魔族化した人々の“壁”。
その軍勢の奥――
俺の視線は、自然と一点に吸い寄せられた。
黒い鎧を纏った、一人の騎士。
周囲を埋め尽くす魔族化した人間たちが、まるで避けるように、その男の周囲だけに空間を空けている。
誰一人として、牙を向けない。
(……あの騎士……)
異質だった。
明らかに、この場の“外”にいる存在。
その瞬間、俺の直感が、はっきりと告げた。
(あいつが……この人たちを操っている……)
だが、同時に現実が重くのしかかる。
(……どうする……?これだけの数……避けようにも……)
考えがまとまる前に――
黒い鎧の騎士が、静かに動いた。
腰に携えた剣を、ゆっくりと引き抜く。月光を反射する刃先が、真っ直ぐに俺たちを指し示す。そして、闇の中で、低く、冷たい声が響いた。
「……やれ……」
黒い鎧の騎士が、淡々と、まるで駒を動かすように呟いた。
その一言が合図だった。
「「「「「グァァァァァァァ!!」」」」」
無数の呻き声が重なり合い、夜の街に轟く。
立ちはだかっていた“魔族だった人間たち”は、一斉に前傾姿勢となり、雪崩のようにこちらへ襲いかかってきた。
数が違う。
圧が違う。
ラナリアの騎士たちは反射的に剣を構えようとするが、動きが鈍る。
「くっ……!」
剣に手はかかっている。
だが、振り下ろせない。
紫色に染まった肌。
歪んだ顔。
それでも――元は、人だった。
その事実が、判断を鈍らせる。
俺も、同じだった。
(切れない……)
一瞬の迷い。
その一瞬が、致命的だった。
魔族だった人間たちは、ためらいなく距離を詰める。
次の瞬間、俺たちの陣形は――飲み込まれた。
「うわぁぁっ!」
騎士たちの悲鳴が上がる。剣が弾かれ、盾が押し潰され、体ごと引き倒されていく。
俺もまた、背後から突き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
息が詰まる。
その上に、さらに影が重なる。
何本もの腕。
何人もの体重。
狂気に満ちた顔が、すぐ目の前に迫る。
「ぐっ!!」
上から、横から、背後から、狂気に満ちた顔が迫り、鋭い爪が皮膚を裂いた。
「ぐぁぁぁぁ!!」
牙が肩に食い込み、血が噴き出す。
爪が腹を裂き、視界が赤く染まる。
「ぐ、ぁぁ……!」
痛みが、意識を揺さぶる。
しかし――
――スキル《超回復》
淡い光が、俺の体を包み込む。裂けた皮膚、噛みちぎられた肉が、強引に繋ぎ合わされるように塞がっていく。
治る。
だが――
(……動けない……)
手足を押さえ込まれ、身動きが取れない。
回復するたびに、再び爪と牙が襲いかかる。
魔力は無限じゃない。
このまま削られ続ければ、いずれ――
(……ここまでか……)
死を、はっきりと意識した。
その――瞬間だった。
―――バシュッ!!
空気を裂く、鋭い音。
俺の上にのしかかっていた一体が、突然、力を失って崩れ落ちる。
「……?」
理解するより早く、次の音が続いた。
――バシュッ!
――バシュッ!
――バシュッ!
立て続けに、周囲の魔族化した人間たちが倒れていく。
気づけば、彼らの身体には――
矢が突き立っていた。
さらに。
今度は、別方向から淡い光が降り注ぐ。
その光に包まれた魔族化した人達が、まるで糸を切られた人形のように、次々と地面へ崩れ落ちていく。
(……何が、起きた……?)
俺は、信じられない思いで、拘束が解けた体を起こす。地面に膝をつき、荒く息を吐きながら、周囲を見渡した。
視界に映るのは――
光に包まれ、次々と倒れていく大勢の敵。そして、同じように傷だらけの体を引きずりながら、必死に立ち上がるラナリアの騎士たち。
「……助かった……?」
誰かが、呆然と呟く。
俺の視線は、自然と“矢が放たれてきた方向”へと向かっていた。
民家の屋根の上。
月明かりを背に、一人の女性が立っていた。
風に揺れる外套。弓を構え、次の矢を番える、その姿は迷いがなく、凛としていた。
夜の街を見下ろしながら、彼女は、ただ静かに、戦場を射抜いていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回
第102話 聖劍《神威》
【明日19時】に更新予定です。
引き続き
モデリスク王国 侵攻編を進めていきます!
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