第100話 魔人
私、ライエル=アウルオンは、"冒険者による暴動が発生している"という報告を受け、部下の騎士たちを率いて夜の城下街へと急行していた。
夜闇に沈む街路は不気味なほど静かで、遠くから微かに聞こえる怒号と破壊音だけが、この街で何かが起きていることを告げている。
その道中――
先行していたグレイノースと、路地で合流した。だが、再会を交わす間もなく、私たちの進路を塞ぐように、一人の男が闇の中から姿を現した。
男の名は、カルバンの騎士、クライン。
彼は無言のまま剣を抜き、迷いなく私へと切っ先を向けてきた。その身から溢れ出す殺気と魔力は、隠す気など微塵もない。
(……強い)
剣を交えずとも分かる。
この男は、本物だ。
だからこそ私は決断した。
ここで全員を巻き込むわけにはいかない。
私はグレイノースと騎士たちに視線を向け、短く命じた。
――救援を優先しろ。
彼らが夜の街へと駆けていく背中を見送り、胸の奥で小さく安堵する。
(これで、守るべき命は任せられる。)
そして私は、改めて剣を構え、クラインと向き合った。私の剣先と、クラインの剣先。互いの刃が、一直線に夜空を切り取る。
張り詰めた沈黙を破るように、クラインが口を開いた。
「まさかよ……最強と言われる剣聖、ライエル=アウルオンと、こうして殺り合える日が来るとは思わなかったぜ」
その声音は、明らかに楽しげだった。まるで、長年待ち望んだ舞台に立てたかのように。その異様な高揚を前に、私は静かに問いかける。
「なぜだ……君ほどの実力を持つ者が、なぜこんなことをする。何のためにだ?」
問いには、怒りよりも困惑が滲んでいた。だが、クラインは一切迷わず、即座に答える。
「あぁ、簡単な話だ」
彼は肩をすくめ、淡々と告げた。
「理由なんて無い。俺はモデリスク王に忠義を誓っている。王のため、国のため……騎士として当然だろ?」
その言葉に、一片の疑念も混じっていない。
「だからさ、国のために……誘拐した子供たちを、この国に連れてきたんだよ」
あまりにも軽い口調。その内容との落差に、胸が軋む。
「俺たちが一緒だと怪しまれるからな。途中からは子供だけ行かせた。『命令に従えば首輪を外してやる』って言えばさ……」
クラインは、どこか愉快そうに笑う。
「みんな、素直に言うことを聞いてくれてな」
――その瞬間。
私の中で、何かが決定的に折れた。
(この男は、剣を握る資格を、騎士を名乗る資格を、とうの昔に捨てている)
静かな怒りが、ゆっくりと、しかし確実に私の内側から溢れ出してくる。剣を握る指に力が籠り、革の柄が軋む音が、夜の静寂の中で小さく響いた。
「……そうか」
私は息を整え、感情を押し殺すように、低く呟く。
「私もだ……私も、この国のために……君をここで止める」
私は、怒りを刃に乗せることなく、冷静に、淡々と告げる。
「君ほどの実力者なら分かるだろう……君は、私には勝てない」
それは、剣聖として積み重ねてきた戦場と、死線の数が導き出した結論だった。
その言葉を受けたクラインは、意外にも苦笑しながら、大きく頷いた。
「ああ……確かにそうかもな……」
否定も、反論もない。
むしろ、どこか納得したような声音。
だが、次の瞬間。クラインはゆっくりと懐へ手を伸ばした。彼の手に現れたのは、小さな――だが異様な存在感を放つ注射器だった。中には、見たこともない紫色の液体が満ちている。
(……あれは……一体……)
視線が、吸い寄せられるように注射器へと向かう。嫌な予感が、背筋を冷たく撫でた。
クラインは、その注射器を鎧の隙間から覗く地肌へ――自らの首筋へと、迷いなく構える。
「確かに……今の俺じゃ、あんたには到底敵わねぇ……」
そう言いながら、クラインは私を真正面から見据えた。その瞳には、恐怖も躊躇もない。
注射器を握る手に、ぎり、と力が籠る。
「……だがな!!」
叫ぶように言い放った次の瞬間――クラインは、勢いよく、自分自身の首筋へと注射器を突き刺した。
「ぐ……っ……!」
針が皮膚を貫いた瞬間、注射器の中に満ちていた紫色の液体が、まるで生き物のように、みるみるうちにクラインの体内へと吸い込まれていく。
夜の路地に、嫌な沈黙が落ちた。
「ガァ……ア、ア……」
クラインの喉から、もはや人のものとは思えない濁った呻き声が漏れた。
自らの首に突き刺した注射器を乱暴に引き抜くと、彼はそれを地面へ叩きつけるように放り投げる。
パリン――。
乾いた音とともに、注射器は石畳の上で粉々に砕け散った。紫色の液体の残滓が、夜の闇に不気味な光を残して滲む。
「はぁ……はぁ……がぁぁぉぁぁ!!」
呼吸は荒く、喉を掻き毟るような咆哮が路地に響き渡る。
その瞬間だった。
クラインの肉体が、内側から押し広げられるように、異様な音を立てて膨張し始めた。
筋肉が隆起し、皮膚の下で何かが蠢く。限界を迎えた鎧が、耐えきれずに弾け飛ぶように剥がれ落ち、金属音が夜道に散乱した。
肌は、みるみるうちに人の色を失い、濁った紫へと染まっていく。瞳孔は開き切り、理性の光を失った獣の眼へと変わる。指先から伸びる爪は黒く変色し、刃物のように鋭く、異様な長さへと成長していった。
そして――
頭部から、肉を裂くような嫌な音とともに、二本の角が突き出す。
その姿は、先ほど拘束された「魔族」となった人間と、酷似していた。
だが、決定的に違う。
――強さが違う。
身体の内側から噴き上がる魔力は、先ほどの比ではない。まるで濁流のように、制御もなく溢れ出し、周囲の空気すら歪ませている。
私は、その禍々しい変貌を前に、無意識のうちに息を呑んでいた。
「……まさか……」
喉が、わずかに震える。
「……君まで、魔族になるとは……」
剣を握る手に、自然と力が籠もる。
魔族となったクラインは、低く、腹の底から響くような唸り声を漏らしながら、ゆっくりとこちらを睨めつけた。
「……勘違いするな、剣聖」
低く、嗤うような声が闇の中に落ちた。
「あんなのと一緒にするな……」
魔族と化したクラインは、地を踏みしめるたびに重い足音を響かせながら、こちらへと距離を詰めてくる。
一歩、また一歩。
その動きには焦りも迷いもなく、獲物を追い詰める捕食者そのものだった。
「俺たちはな……"人として生きる"が者魔物の力を得た存在だ」
牙を覗かせ、クラインは胸を張る。
「“魔人”。そう呼んでいる」
その言葉には、誇りすら滲んでいた。
「まぁ、学者連中は小難しい名前を付けていたがな。《魔造人型投与薬》……だったか。だが、そんな名前はどうでもいい。魔人――その方が、よほど分かりやすいだろ?」
紫色に染まった口元が、歪んだ笑みを形作る。まるでこの姿こそが“進化”であり、到達点だとでも言いたげに。
私は、その表情を真正面から見据えた。
――余裕。
それも、根拠のない虚勢ではない。
溢れ出す魔力、変質した肉体、立ち姿の安定感。剣士として、騎士として積み上げてきた技量が、この異形の身体にそのまま引き継がれているのが、嫌というほど分かる。
喉の奥がひりつく。
だが、私は剣を下げなかった。
大きく息を吸い込み、胸の奥に溜まった動揺を押し殺す。
クラインもまた歩みを止めることなく、じりじりと距離を詰めてくる。
夜の路地に、私と堕ちた騎士――二人が対峙した逃げ場のない空気が、重く、重く、張り詰めていく。
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次回
第101話 壊れた群衆
【明日19時】に更新予定です。
引き続き
モデリスク王国 侵攻編を進めていきます!
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