第96話 無垢の代償
私、ライエル=アウルオンは、ラナリア王国――玉座の間にて、先ほど副騎士団長ロナンから受け取ったモデリスク王国に関する調査内容を、陛下へと報告していた。
重厚な玉座の間には、張り詰めた空気が漂っている。私の言葉一つひとつが、静まり返った空間に吸い込まれていくようだった。
その最中だった。
玉座の間の扉が開き、衛兵が一礼とともに足早に近づいてくる。
「ご報告いたします!」
張り詰めた声色。ただならぬ様子に、私は思わず言葉を止め、陛下もまた視線を向けられた。
「誘拐され、モデリスク王国から逃れてきた者たちが、先ほど城門前で保護されました。その中に……陛下へ、直接お会いしたいと強く願う子供がおります」
その一言で、玉座の間の空気がさらに重く沈んだ。
陛下は一瞬だけ目を閉じ、思案するように短く息を吐かれる。
そして、迷いのない声で告げられた。
「……通せ。今すぐだ」
「はっ!」
衛兵は深く頭を下げ、踵を返して玉座の間を後にした。
――それから。
玉座の間には、言葉のない時間が流れた。柱の影、壁に灯る魔導灯の揺らめき、私と陛下の呼吸音だけが、やけに大きく感じられる。
嫌な予感が、胸の奥に静かに広がっていく。
やがて――
静かに、しかし確かに、玉座の間の扉が再び開かれた。
そこに立っていたのは、先ほどの衛兵と――その隣に寄り添うように立つ、一人の小さな子供だった。
「失礼します!子供をお連れしました!」
衛兵の声が響く。
その脇に立つ子供は、ひどく緊張しているのが一目で分かった。小さな肩は強張り、指先は落ち着きなく震えている。
衛兵はその様子を察したのだろう。
子供の前に屈み込み、視線を合わせると、できる限り優しい声で語りかけた。
「大丈夫だ……ほら、陛下の前だ。失礼のないようにな」
子供はその言葉に、かすかに喉を鳴らし――小さく、静かに頷いた。そして意を決したように、扉と玉座の間の境界線を、一歩、大きく踏み越える。
私は玉座の間の端で起立していたが、その前を、子供は辿々しい足取りで通り過ぎていく。
その歩みはあまりにも頼りなく、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。
近くで見て、胸が締めつけられる。
身にまとっているのは、汚れきった白い布切れ一枚。布の下から覗く肌には、無数の傷跡が残されている。新しいものも、古いものも――どれもが痛みを物語っていた。虚ろな瞳には、生気がほとんど感じられない。
そして、何よりも目を引いたのは――
首元に、まだ外されぬまま残された、金属製の首輪。それが、幽閉されていた時間の長さと、そこで何が行われていたのかを、雄弁に語っていた。
その痛ましい姿に、陛下もまた、思わず眉をひそめられる。玉座に座る威厳ある王の表情に、隠しきれぬ憤りと哀悼が滲んだ。
子供は、やがて玉座の正面まで辿り着き、そこで立ち止まる。小さな身体で顔を上げ、陛下を見上げるその姿は、あまりにもか細い。
陛下から放たれる威厳と気迫に、子供の緊張がさらに強まっているのが、はっきりと分かった。
今にも泣き出してしまいそうなほど、必死に歯を食いしばりながら――それでも子供は、逃げずに、そこに立ち続けていた。
「えっと……その……」
子供は胸の前で指先を絡め、落ち着きなくいじりながら、恐る恐る陛下を見上げた。
何かを伝えたいという意思ははっきりと感じられるのに、言葉が喉の奥で絡まり、うまく形にならない。玉座の間に漂う静けさが、かえって子供を追い詰めているようにも見えた。
その様子を見て、陛下はゆっくりと息を吐き、厳格な王の表情を和らげる。
まるで、威圧ではなく包み込むように――。
「緊張しなくていい……」
低く、穏やかな声。
「言葉を選ばずともよい。思ったまま、素直に話せばよいのだ」
その言葉に、子供は一瞬だけ目を見開いた。そして、震える両手をぎゅっと強く握りしめる。
勇気を振り絞るように、小さく息を吸い――
「あ……あの……」
声はあまりにも細く、かすれていた。玉座の間の広さに呑まれ、ほとんど音にならない。
「その……」
それ以上、言葉が続かない。
陛下はその様子を咎めることなく、ただ静かに、優しい笑みを浮かべた。そして、ゆっくりと片手を差し出し、手招きをする。
「……こちらへ来なさい」
その仕草は、王としてではなく、一人の大人としてのものだった。
子供は一瞬ためらい、それから小さく頷く。俯いたまま、静かに――しかし確かな足取りで、陛下のもとへと歩み寄っていく。
その時だった。
――ぶるり。
私の懐に忍ばせていた《念話石》が、微かに震えた。
(……!?)
胸の奥がざわつく。
このタイミングでの連絡――ただ事ではない。
私は玉座の間の空気を乱さぬよう、そっと一歩下がり、音を立てずに扉の方へ向かった。誰にも気づかれぬように扉を抜け、静まり返った廊下へと出る。
懐から念話石を取り出し、掌に収める。
魔力をわずかに流し込むと、石が淡く光を帯び――次の瞬間、脳内に直接響くように、聞き慣れた声が届いた。
『団長……今、よろしいですか……』
ロナンの声。その落ち着いた調子の奥に、隠しきれない緊張が混じっている。
私は息を整え、念話石に意識を向ける。
(ああ、大丈夫だ。続けてくれ)
一拍置いてから、ロナンは静かに、しかしはっきりと告げた。
『先ほど、魔術班によって――地下施設に残されていた魔導具の解析が、すべて完了しました……』
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がひやりと冷える。
だが私は、それを表に出さぬよう意識し、呼吸を整えながら、ロナンの次の言葉を待った。
『地下施設で発見された首輪型の魔導具ですが……』
――首輪型。
その一言が耳に届いた瞬間、胸の奥がざわりと大きく波打った。嫌な予感が、はっきりと形を持って喉元までせり上がってくる。
『あれは……隷属の首輪を改造して作られたものです……』
ロナンの声は淡々としていたが、その冷静さが、かえって内容の異常さを際立たせていた。
『さらに、刻まれていた術式を解析したところ――装着者自身の魔力を強制的に利用し、暴走、もしくは暴発させる構造になっていることが判明しました』
私は思わず、念話石を握る手に力を込める。
『規模は小さいものの……起動すれば、一人を確実に殺傷できる威力を持っています』
――自分の魔力で、自分が爆弾になる。
そんな狂気じみた発想が、背筋を冷たく撫でる。
そして、ロナンは一拍置き、さらに静かな声で続けた。
『地下施設の生存者の証言では……ラナリア出身の子供たちが、何人か……その首輪を装着させられたまま、カルバンの騎士たちに連れて行かれたそうです……』
その瞬間。
頭の中で、すべての点が一本の線で繋がった。
(まさか――)
私は念話石を握り締めたまま、踵を返した。廊下を駆ける足音が、やけに大きく響く。考えるよりも先に体が動いていた。
嫌な予感ではない。
これは、確信に近い。
玉座の間の扉へと辿り着き、迷いなく押し開ける。
「陛下ッ!!」
扉が開く音と、私の叫びが重なる。
視界に飛び込んできたのは――玉座の前で、陛下と向き合い、言葉を紡ごうとしている小さな子供の姿だった。その光景を見た瞬間、背筋が凍りつく。
そして、視界に映る子供の首元。
そこに嵌められた首輪が、淡く、脈打つように光を放ち始めた。
「……っ!?」
光はみるみる強まり、眩しさに陛下が反射的に目を細める。
私の喉が、ひくりと鳴った。
「陛下、離れてください!!」
叫ぶよりも早く――
――次の瞬間。
白熱した光が、視界すべてを覆い尽くした。
轟音。
そして、灼けつくような熱気が、皮膚を舐めるように襲いかかる。
爆発――いや、豪炎。
玉座の間の中心で、炎が爆ぜるように広がっていた。
吹き荒れる熱風が髪を揺らし、床を焦がし、空気を歪ませる。私は反射的に腕で顔を庇いながら、数歩後退した。
「……な……」
言葉が、出てこない。
炎の向こうで何が起きているのか、理解するにはあまりにも一瞬で、あまりにも残酷だった。
ただ立ち尽くすしかない私の視界いっぱいに、揺らめく火焔が終わりを告げるように映り込んでいた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回
第97話 気配の先へ
【明日19時】に更新予定です。
引き続き
モデリスク王国 侵攻編を進めていきます!
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