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第四章 目覚めの時、青の残響

静かな朝だった。

 白瀬紗菜しらせ・さなは、そっと自分の部屋の扉を閉めた。

 中では、桐生遼がまだ浅い眠りの中にいる。

 熱は下がったものの、顔色はまだ青白く、時折、誰かの名を呼んでうなされていた。


 ――司。


 その名前の意味は分からない。

 けれど、その声があまりに切実で、紗菜は放っておけなかった。


 防衛省勤務の父と外務省国際調整局勤務の母は共に両省の合同プロジェクトメンバーで、しばしば家を空け気味。

家には紗菜一人――それが、いまの彼女の小さな秘密を守る唯一の状況だった。


 彼を寝かせておくには、今の部屋では手狭なので紗菜は思い切って、庭の奥にある祖母・静江の離れへ彼を移すことにした。

 いまは誰も使っていない、小さな木造の一室。


 遼の体を支えながら、廊下をゆっくり進む。

 朝の光が障子を透かし、二人の影を長く伸ばした。

 ――戦の時代から来た青年と、未来を生きる少女。

 その影はまるで、時の狭間を漂うようだった。


 遼が目を覚ましたのは、それから数時間後のことだった。

 畳の匂いと、外から聞こえる鳥の声。

 目を開けると、見知らぬ天井があった。


 腕を動かすと包帯が軋み、身体中が痛んだ。

 それでも、生きている――その実感が、胸の奥で静かに広がる。


 縁側の向こうでは、青い空が広がっていた。

 焦げた軍服が干され、袖口には「桐生遼」と記された名札が光を反射している。


 「……ここは……どこだ……」


 低く呟いた声に応えるように、障子が開いた。

 制服の上にエプロンを掛けた紗菜が、お盆を抱えて入ってくる。


 「目が覚めたんですね。……よかった。」

 湯気の立つ椀を差し出しながら、彼女は微笑んだ。

 「無理しないでください。……お粥ですけど、少しは食べられますか?」


 遼は静かに頷き、口に運ぶ。

 あたたかい。

 それだけで、涙が滲みそうになった。


 「……君が助けてくれたのか。」

 「はい。でも……怖かったです。あんな爆発、初めて見ました。」

 「……爆発……?」


 遼は眉をひそめ、外を見た。

 遠くには近代的な建物の影。

 見たことのない光と構造。

 「……ここは、どこの基地だ?」


 「え? 基地? ……ここは静岡です。富士のふもと。」

 「しず……おか?」


 遼は目を見開いた。

 「おかしい……鹿屋から出撃したはずなのに……」


 紗菜は言葉に詰まり、そっとタブレットを差し出した。

 画面に映る街の映像。空を行き交う車、ガラスの塔、

 そして右上の隅に表示された日付。


  西暦 2045年 5月17日。


 遼の手が止まる。

 指が震え、喉が鳴る。

 「……にせん……よんじゅう……? じゃあ……あの戦争は……」

 「終わりました。……ずっと前に。」


 静まり返る室内。

 風が吹き抜け、縁側のカーテンがふわりと舞う。

 遼は空を見上げた。


 「……空が……生きている。」

 「え?」

 「俺たちの時代は、空も煙で曇ってた。……こんな空を、守りたかったんだ。」


 その言葉に、紗菜の胸が熱くなった。

 「……私たちは、戦争を知らないけど……

  この青い空は“誰かが守った”って、教わりました。」


 遼は微笑んだ。

 「……そうか。」


 そのとき、紗菜のスマホが震えた。

 > 《静岡山中で旧日本軍機の残骸発見。搭乗者の行方不明。防衛省が調査へ》


 紗菜は画面を握りしめる。

 「……見つかっちゃった……」


 遼はゆっくり立ち上がり、外を見た。

 「俺は、ここにいてはいけないのかもしれないな。」

 紗菜は首を振る。

 「そんなこと言わないで。あなたは……未来を信じた人なんです。」


 夜。二人は離れの縁側に並んで座った。

 星が一つ、ゆっくり瞬く。

 「この星空……どこかで見た気がする。」

 「それ、きっと“帰る場所”なんですよ。」


 遼は目を閉じた。

 その頬を撫でる風は、過去と未来を結ぶように優しかった。


 ――青の残響。

 その夜、時代の境界線が、静かに揺れた。

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