短編3 妖精王登場
アレックスとリドリアの披露宴は、王都郊外にある王太子所有の別荘地庭園にて華々しく開催された。
「っていうかさ」
ひな壇に座り、無心にグラスを傾けていたリドリアは、弟の声に視線を上げた。
ぴたりと寄り添うように立つフィンリーは、あきれたような、あきらめたような瞳で目の前に広がる様子を眺めている。
別荘地の庭園。
中央に設えられた噴水があげる水滴が陽光を反射させ、時折ちいさな虹を作ったりしている。
椅子やテーブル、日傘には風船や紙飾り、いろとりどりのランタンや玻璃の細工で飾られており、参加者たちは楽しそうに会話をしていた。
そう。
一見、普通の結婚披露宴会場だ。
《《参加者が》》みな、魔法使いだの動物だの、架空の神獣だのに《《仮装していなければ》》。
「これ、完全に仮装パーティーだよね。余興だよね?」
そういうフィンリーだって、水色の一角獣騎士団の制服こそ着てはいるものの、頭にはウサギ耳のカチューシャを装着している。
耳部分に入っている針金が弱っているのか、時折、へちゃりと折れて片耳になるのがめちゃくちゃかわいい。それを言ってさっき怒られたところだからあえて言わないが、いっそのこと片耳にすればいいのにとリドリアは思っている。
「違うわよ。フィンリーくん」
ひな壇に並んで座り、フォークを動かしながらもくもくと食べていた侍女仲間のセイラが声を飛ばした。そのセイラもとんがり帽子をかぶり、黒いマントを着用して魔法使いに仮装している。
「これはね、王太子夫妻が主催の『妖精王を祝う会』なの」
「違う。一応、これは私とアレックスの結婚披露宴なんだって」
口をへの字に曲げ、それからぐい、とリドリアはグラスを空けた。
リドリアは、というと妖精王妃だ。
緑のドレスにオーガンジーのショールを肩にかけ、背中にはレースを貼った羽根をつけていた。その羽根のせいで椅子にもたれられず、現在四苦八苦している。
「ディール子爵持参のヘイゼル産ワイン、問題なし」
リドリアは背後に首をねじり、そう告げた。
背後に立っていた王太子妃付き侍従が素早くボードにチェックを入れる。
別の侍従がリドリアに今度は白ワインの入ったグラスを渡した。
「続きまして、サマンサ夫人が持参したリラ産の白ワインです」
リドリアがグラスを受け取ると、ひな壇の隣では、魔法使いのセイラが、同じく背後の侍従に「レイアス男爵のケーキ、問題なし」と告げていた。
「さっきからふたりともなにしてんの?」
いぶかし気にフィンリーに尋ねられ、リドリアとセイラは声をそろえた。
「毒味」
「は?」
目を丸くするフィンリーに、リドリアは眉根を寄せた。
「なんかね、最近王太子妃さま周辺がきな臭くって。ねえ、セイラ」
「そう。10日前からずっとなんか小さな事故が続くの」
セイラはピンクのマカロンを口に放り込みながら言う。
庭園を散歩中に三階から壺が落ちてきたり、馬車で移動中に車軸が折れたり。
とうとう、昨日などは執務中に窓ガラスに投石される始末。
すわ、また王女の仕業かとなったのだが、いまあの王女は隣国へ嫁ぐ準備で忙しい。
ではセナ嬢の復讐かとも思ったが、修道院に動きはない。
そこで〝王太子の猟犬〟が動いた。
その報告によると、王太子妃を排斥しようとする動きが一部にあるらしい。
理由は懐妊の兆しがないためだ。
側妃を、と王太子に勧めてみても王太子は首を縦に振らない。いろんな高位貴族の女性たちが誘惑まがいのことをしてみてもなびかない。
王太子は王太子妃しか眼中にない。
王太子妃は隣国から招いた姫君だ。おいそれと離婚というわけにはいかない。
では。
もういっそ、王太子があきらめのつくような形になればいいのではないか。
そんな動きがあるらしい。
いままでそれが表立って出てこなかったのは、王女が率先して王太子妃をいじめていたからだ。
その王女が海を越えて嫁ぐことになってしまった。
そこで代わりにとばかりにその一派が暗躍しているらしい。
「〝猟犬〟たちがいろいろ探りをいれているけど、まだ実行犯特定まではつながっていないらしくてね。……問題なし」
リドリアは白ワインを空ける。続いてロゼのグラスを手渡された。
「この披露宴にも敵が潜り込んでいるかもしれないし。なんなら、王太子妃さまへの貢ぎ物に変なものが入っていたら困るじゃない? だから毒見してるの」
「なにも本日の主役がしなくてもいいんじゃない?」
フィンリーがあきれる。リドリアは肩をすくめてロゼの入ったグラスを鼻先に近づけた。匂い、よし。
「アマンダの妊娠がわかったのよ」
「あ、そうなんだ」
「本人は食べづわりだから、毒見するって言うんだけど、させられるわけないじゃない」
セイラが、次はクッキーを口に放り込みながら顔をしかめた。
「で、セイラはそんなにお酒が飲めないって言うから、私がお酒担当で、セイラが食事担当になったってわけ」
ロゼを飲み干し、次のグラスに手を伸ばす。
「侍女も大変だな」
若干引き気味に言うフィンリーに、リドリアは苦笑する。
「でも警備は一角獣騎士団がしっかり引き受けてくれたから。それだけでもラクよ。つい最近までは侍女が警備もしてたもん」
「リドリアは優秀だもんね」
うなずきながら、今度はカップケーキに手を伸ばしているセイラを見て、リドリアは彼女の胃袋はどうなっているのかと不思議で仕方ない。本人は胃下垂だと言うがあれだけ食べてどうしてがりがりなのだろう。
セイラはセイラで、どうしてリドリアはあんなに液体を飲んでトイレに行かないんだと訝しそうだ。
「なにより王太子妃さまが楽しそうなら、私、なんだっていいわ」
グラスのワインを喉に流し込み、しまった、香りをチェックしなかったと思ったが、現在苦しくもないので毒はないんだろう。
視線を庭園の中心、噴水の側にむける。
そこには王太子夫妻がいた。
今日、ふたりは幸せを呼ぶという青い鳥をイメージした服装をしている。
その周囲にはさまざまな仮装をした参加者たちがいて、楽しそうに会話をしていた。
ついこの前までは王女の嫌がらせのせいもあり、どちらかというと孤立しがちな王太子妃。
それがまるで嘘のようだ。
同じぐらいの年代の高位貴族たちと王太子妃は打ち解けて会話をしている。
それがリドリアにもセイラにも、もちろんこの場にはいないがアマンダもなによりうれしい。
「で? 本日の主役の妖精王はどこにるの?」
フィンリーがきょろきょろと周囲を見回す。
ひな壇には、現在リドリアとセイラ。それから王太子妃つきの侍従たちばかりだ。
最早、関係者席になりつつある。
「アレックス? たぶん、あのあたりのどこか」
リドリアは空になったグラスで、別荘の最上階を指し示す。
そこはガーデンテラスになっており、多種多様な植物が植えられていた。
「え? あの警備兵?」
手で庇を作ってみているフィンリーに、リドリアは首を横に振った。
「あれは〝見せ〟警備兵。警備してますよーってやつ」
ガーデンテラスには、ライフルとクロスボウを持った有翼獅子騎士団がふたりいるが、それはある意味威嚇だ。「ちゃんと警備しているぞ。見ているぞ」と。
実際に会場内を視界に入れて攻撃に備えているアレックスは、ガーデンテラスのどこかにいる。はず。リドリアにも教えられていない。
「あの植栽のどこかに紛れてるってことでしょう?」
セイラがプリンを口に運びながら感心している。
「わかんないわー。私、さっきからずっと植物の中を見てるけど、全然わかんない」
フィンリーも驚き、再度目を凝らしてガーデンテラスに視線を向ける。
「え。マジで。いんの、あそこに? えー……。ギリースーツとか着てんの?」
「ギリースーツってなに? うわ、このワイン」
思わず顔をしかめると、侍従が前のめりに「毒ですか⁉」と尋ねる。
「いや、まずかっただけ。このワイン持ってきた人の評価を下げてください」
「わかりました」
「で、ギリースーツってなに?」
「狙撃手とかが草むらや木立に潜むときに、擬態しやすいように肩とか身体に木の枝とか葉っぱとかを取り付けるんだよ」
「ああ! 見たことある! あのもじゃもじゃお化けみたいなやつ!」
リドリアが声を上げるが、フィンリーはますます眉根にしわを寄せて首をかしげる。
「でもさ、どこが一番見つかりやすいかっていうと、顔なんだよね」
「顔?」
「ほら、いくら頭や胴体を偽装してもさ、顔は白いだろ? 結構目立つんだよね。だからさ、普通は顔にも迷彩メイクをするんだよ」
酔いもあってか、リドリアは笑った。
「そうそう! フィンリーが迷彩メイクしてるの一回見たことある!」
「なんで知ってんの!」
実はこっそり士官学校に潜入したのだとは言えず、リドリアは慌てた。
「で? それで?」
「いや……。アレックス卿、あれだろ? 一応新郎なんだよな? 時間交代で狙撃兵やってるんだろうけど……。こんだけわかんないってさ。え。アレックス卿の仮装はなに?」
「妖精王」
リドリアとセイラは声をそろえて答える。
「だよな? 妖精王ってどんな格好してんの?」
改めてフィンリーは尋ねる。尋ねながらもやっぱり目はガーデンテラスにくぎ付けだ。見つけようとしても本当にわからない。あんまり凝視しているから、見せ警備兵たちが挙動不審になっている。
「全体的に緑色の服をきてたわよ。あと、ところどころ造花の花をつけられてた」
リドリアの言葉に、フィンリーはうなる。
「うう……ん。だったら擬態……しやすいか」
「あと、角ついてた」
「角⁉」
フィンリーが素っ頓狂な声を上げてリドリアだけではなく、セイラも見る。
「うん、そう。二本あったわよ、こうやって」
セイラは両手にフォークを持ち、自分の頭にあててみる。
「妖精王って角あるんだって思ったわよね、リドリア」
「結構立派だったわよね、セイラ。王太子殿下が『いろんな角を吟味してこれぞ妖精王というものを選びました』っておっしゃってたもの」
「でもあれ重そう」
「相当重かったわよ。よくあんな頭飾りをかぶる気になるなって私思ったもん」
「だよねー」
「アレックスの忠誠力が試されてたわよね」
「ってか、じゃああそこにそんな角突き立てているのにわかんないの⁉ どうなってんの!」
フィンリーが言うが、「さあ」とリドリアはセイラと顔を見合わせる。
「まあ、とにかく。警備がひと段落したら来るでしょう、妖精王」
「それまでに毒見を終わらせないと。私、席を空けなきゃ。ここ、妖精王の席でしょ?」
「いいんじゃない? もう」
「そうはいかないわよ」
セイラが必死にまた毒見を再開する。
「ねえ、姉さま」
「なに? フィンリー」
「アレックス卿とうまくやってんの? 結婚生活、大丈夫?」
急にそんなことを言われてリドリアは盛大にむせて酒を噴き出した。
「な、なにいってんの! 大丈夫よ!」
ゲホガホとせき込み、口元をナプキンでぬぐいながら言う。
な、なんてことだ。披露宴までしているというのにまだ弟は偽装を疑っているというのか。
「そうよ。このふたり、なんだかんだ仲いいんだから」
セイラの声に顔を向けると、冷かすように笑う彼女と目が合った。
「この前なんてはじめて遅刻しちゃうし、その前なんてここにキスマークつけて出勤してきて……」
「ぎゃああああ! セイラ、なにを言うのよ!」
リドリアが悲鳴を上げる。いくら酒を飲んでも赤くならない顔がいまや火を噴く勢いだ。
「ち、ちちちち違うのよ、あれはアレクが……っ!」
フィンリーに対して必死に説明しようとしたら、弟は「ああ!」と声を出す。
「アレックス卿が顔に張り手のマークつけてたことがあったけど! あれ、姉さま⁉」
隠しきれないところにキスマークをつけられたことに気づくや否や、リドリアはアレックスの顔を張り飛ばしたのだ。
結果、その日。リドリアは首にキスマークを付け、アレックスは頬に張り手マークをつけて出勤した。
「……仲が良くてほっとしたよ」
「ち、ちちちちち違うの!」
否定しようとしたリドリアだが。
ぱあん、と。
乾いた破裂音がした。
一瞬、会場中の音が止む。
参加者たちの会話だけでなく、楽団も音を止めた。
まずリドリアは風船が割れたのだと思った。
だが、違うと気づいてひな壇から立ち上がった。
アレックスが狙撃したのだ。
敵を。
「賊よ!」
指をさす。
噴水付近。仮面をかぶり、道化の衣装を着た男が撃たれた右腕を押さえて片膝をついている。
その男の手にはナイフが握られていた。
「王太子妃さまをお守りして!」
セイラがフォークを放り出して叫ぶ。
同時にリドリアはドレスをつかんでテーブルを飛び越えた。
そのあとをフィンリーが慌ててついてくる。
だが、参加者が一斉に散り散りに逃げ出して行く手を邪魔する。
「ちょっと、どいて!」
リドリアは怒鳴り、人をかき分けながら前方を見た。
噴水付近では、王太子が王太子妃を背中にかばい、ナイフ男と対峙している。
有翼獅子騎士団はまだ近づけていない。
ナイフ男がナイフを振り上げる。
ぱんっ、と。
再び破裂音が鳴り、男はナイフを取り落とした。
「アレックス卿の狙撃だ!」
フィンリーの声に視線だけ背後のガーデンテラスに向ける。
だがどこにいるかまだ判別つかない。
「賊に仲間がいるぞ!」
誰かが叫ぶ。
見ると、ナイフ男の側にふたり、同じように仮面をかぶった男たちが集まっていた。手にはそれぞれナイフを握っている。
「手荷物検査係はなにしてんだよ!」
「そんなことより! 王太子妃さま、逃げて!」
フィンリーが憤然と怒っているが、リドリアは走りながら叫んだ。
いくら王太子が側にいるとはいえ、多勢に無勢だ。このままでは危ない。
そんなとき。
風きり音が庭園内に響いた。
どんっ、と腹に響く音が続く。
ガーデンテラスのある向かいの建屋。その壁に、矢が撃ち込まれた。
その矢の先端には縄がくくりつけてある。
ガーデンテラスからクロスボウを打ち込んだらしい。
リドリアだけではない。皆が見上げた。
その縄に滑車をひっかけ、緑の塊がガーデンテラスから滑空してくる。
一瞬、葉が茂りまくった植木鉢かと思ったが。
違う。
リドリアは、その植木鉢状のものの頭部に二本の角があるのを確認し、声を上げた。
「妖精王!」
「妖精王⁉」
フィンリーも叫ぶ。
そう。
ガーデンテラスから一気に噴水まで滑空してきたのは、ギリースーツを着て、顔に迷彩メイクを施し、頭に二本の角を生やしたアレックスだった。
勢いが良すぎるために、ギリースーツからは木の枝や葉が盛大に散り、参加者の頭の上に降り注いだ。そのままアレックスは王太子の側に着地する。
暴徒たちはしばし呆然と彼を見たが、ぽつりとつぶやいた。
「悪魔」
「誰がだ。妖精王だ」
言うなりアレックスは抜刀し、暴徒たちに一閃する。
ようやく金縛りが解けたように暴徒たちは応戦し始めた。
アレックスの剣をひとりの男がナイフで受け止める。そのすきに別の男がアレックスに襲い掛かったが、彼は器用に左手で角を抜くと、それを叩きつけて撃退した。
「に、逃げろ!」
ひとりの暴徒が叫び、残りのふたりも人を押しのけるようにして逃げ出す。
「追え!」
アレックスが怒鳴ると、有翼獅子騎士団の団員数人が走り出した。
「お怪我はありませんか、王太子」
アレックスが王太子に尋ねる。
王太子は満面の笑みを浮かべ、王太子妃と視線を合わせてうなずいた。
「ありがとう、妖精王! さすがだ」
そうして片角になったアレックスに抱擁をした。
「妖精王をたたえろ!」
「ありがとう、妖精王!」
「すごいぞ、妖精王!」
披露宴会場は、「やったぞ、妖精王!」コールがいつまでも木霊した。
その様子を、フィンリーは終生語り続けた。
「なんなんだよ、『やったぞ、妖精王!』って!」と。




