短編1 騎士団主催のお祝い会
有翼獣騎士団主催のお祝い会が終了し、ふたりがようやく大使館の借家に帰宅したのは日付が変わるころだった。
大使館には帰宅が遅くなる旨を伝えていたため、門番は「お疲れ様でした」とあいさつまでしてくれた上に、メイドたちは時間を見計らって家に明かりまでいれてくれていた。
おかげで酔って足がおぼつかないアレックスが暗闇で転倒する、という最悪の事態は免れた。
「ほんと、明日改めて大使館にはお礼を伝えないといけませんね。ショコラとかも添えた方がいいでしょうか」
リドリアは抱えきれないほどの花束やブーケをテーブルの上に置き、やれやれと肩を回す。
「それでいいんじゃないか」
投げやりというより疲れ切った声がソファから聞こえてきて顔を向けた。
そこには軍服を着崩したアレックスが足を投げ出すようにして横たわっている。
リドリアは彼の顔じゅうについたキスマークを見て苦笑いだ。
あれはリドリアがつけたものではない。お祝い会の余興によるものだ。
お祝い会の終盤。
女装したアレックスの後輩たちが乱入してきた。その数たるや、数十人。女装が似合っているものなど皆無で、会場は大爆笑だった。
「育ててくれたお礼です!」「お幸せに、副団長!」とひとり、いちチューを彼の顔にしたのだ。
たぶん、酔ってさえなければ彼も抵抗したのだろうが、アルコールが許容量を超えていたためほぼやられたい放題だった。すぐそばにいたリドリアは、弱った獣に群がる若い猟犬の群れに見えてちょっと怖かったのを思い出す。
「ちょっと待っててくださいね」
リドリアは切り花だけを選んで手に取り、花瓶に入れた。きれいに活けなおすのは明日にして、そのまま水回りに移動し、ピッチャーから汲み置きの水をグラスに注ぐ。
ついでに作り置きしておいたレモンのハチミツ漬けを数枚グラスに入れた。
タオルを水で濡らし、硬く絞ってからソファに死に体のように横たわるアレックスのところへ戻った。
「飲めますか?」
声をかけると、うっすらと目を開いてリドリアが手に持つグラスを見た。無言で頷き、ゆっくりと起き上がる。
「先にタオルが欲しい」
リドリアは笑いながら彼に手渡した。
「顔がどうなっているか鏡で確認しますか?」
「いや、いい。あいつらめ……っ。覚えていろよ」
ぎりぎりと歯ぎしりをしながらも濡れタオルでゴシゴシと顔をぬぐう。リドリアはタオルと引き換えにグラスを渡すと、そのタオルを持って移動。洗濯籠に入れ、ついでにピッチャーを持ってふたたびソファに戻った。
案の定、アレックスは空になったグラスを持ち、物足りなさそうな顔をしている。
「結構飲んでましたもんねぇ」
笑いながらリドリアは彼のグラスに水を注ぐ。
かなり軽くなったピッチャーをテーブルに置いていると、ぼそりとアレックスが呟いた。
「君があんなに飲めるとは知らなかった」
目をまたたかせて彼を見ると、むっつりとした顔でアレックスがグラスを呷っている。
「あ。気を遣ってくださってた……んですね」
ようやく気付いた。
主賓席に酒を注ぎに来る団員たちは、当然リドリアのグラスにも注ぐのだが。
たぶん、リドリアが泥酔するのを心配して、アレックスは自分のほうに注ぐよう目くばせしていたに違いない。
結果的にかなりの酩酊状態だ。
「ゾーイ伯爵領の名物は葡萄酒なので。秋には収穫祭があるんですよ」
アレックスの隣に座りながら、リドリアは言う。
「領地の修道院とか酒蔵とかが一斉に新酒を出して品評会をするんですね。私、フィンリーが成人するまではそこの審査委員長ですから。しょちゅう飲むんです、お酒」
「どうりで」
「そんな化け物をみるような眼で見ないでください」
「よくあの量の酒が……というか液体が君の胃に入ったな」
「酒は液体じゃないです。アルコールですから時間とともに気化します。思っている以上にいけます」
「詭弁だ」
「化学です」
「まさか俺が呑む量で負けるとは」
「まだまだですね、副団長殿」
リドリアが意地悪気に笑って見せると、アレックスはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「アレクはとても後輩に人気があるんですね」
「え?」
手を伸ばして空になったグラスをテーブルに置き、ふう、とアルコールの濃い匂いをさせてため息を吐くアレックスが、リドリアに視線を向ける。
「あんなにお祝いしてくれるなんて」
「遊んでるんだ、あいつらは俺で」
「参加するまでは面倒くさいなぁ、と思っていましたが」
「俺はいまでも思っている」
「あんなに『おめでとう』って言われるのならもう少しいてもよかったですね」
「俺はすぐさま帰りたかった」
「そうですか?」
きょとんと尋ねると、アレックスがじっとリドリアをみつめる。
「あんまり君が着飾るから」
「いや、だってお祝いの場ですし……」
「また誰かにちょっかいをかけられたら腹が立つ」
むっつりと不機嫌そうな顔でアレックスが言う。モリス王子のことだろうか、とリドリアは苦笑する。その先でアレックスが暗澹たる声を出した。
「まだ王太子主催の披露宴もあるのか……」
「あ、でもあっちは大丈夫です。妖精王妃ですから。着飾るというより仮装ですからね」
「俺は大丈夫じゃない……。妖精王だ……」
うなだれるアレックスを見てリドリアはおなかを抱えて笑った。じろりとにらんだアレックスも次第に笑いはじめ、最後には大笑いし始める。
ふたりでそうしてひとしきり笑うと、一緒の仕草でソファのせもたれにもたれた。
ふと。
同じタイミングで互いを見つめる。
目が合った。
ぱちり、と。
リドリアがまばたきをひとつする間に。
アレックスの腕が伸びてきてリドリアの頬にふれる。
もう一度。
まばたきをする間に彼の唇がリドリアの唇と重なった。
ぎゅ、と。
手を握りこむと。
彼がやわらかく唇をはむ。
その刺激に「ん」と声が漏れる。
濃いアルコールと。
淡いレモンの香りと。
それから甘いはちみつの味。
ぽわりと。
軽い酩酊感にめまいを感じた。
アレックスがそっと距離を詰めるから、リドリアは逃げ場なくソファに仰向けに横たわる。
アレックスが唇を離す。
鼻先がくっつきそうな距離に彼がいる。だけどこの距離がやけに遠く感じる。
というかもどかしい。
リドリアは彼の首に腕を伸ばしてからめとる。
「もう終わりですか?」
つい甘えるような声が出た。そのままアレックスを引き寄せる。
彼の首のうしろをゆっくりと指でなぞった。そのまま彼の髪を指でもてあそぶ。ふわふわして柔らかい髪。それを堪能していたのに。
彼はリドリアの首筋にキスを落とす。やわらかく、やさしいそのキスはくすぐったくもあり、心の中を沸き立たせるようなものでもあった。
「くすぐったい」
そうやって軽やかな笑い声をたてたのも最初だけだ。
アレックスのキスはそのままリドリアの鎖骨までおよび、その間に気づけば衣装の前ははだけていた。
彼の指がリドリアの胸にふれる。まるで大切で高価なものを扱うように。だけどその指はリドリアの敏感なところを逃さなかった。
「あ」
リドリアが吐息と共に声を漏らす。そのときには、彼のキスはリドリアの胸にしるしを残しはじめた。
「ん……」
ちくりとした痛みまで甘い快感になる。
喉をそらして、ソファの上でみじろぎをするが、アレックスは逃げるのをゆるさない。
執拗にキスを落とされ、彼の指はリドリアの肌をやわらかく撫でる。
リドリアが甘い吐息を漏らすと、アレックスも早い呼吸でリドリアの身体に唇と指をはわせていたのだが……。
不意にアレックスは唇を離すと、リドリアを抱きしめた。
「……今日はここまで」
まるで自分に言い聞かせるようにアレックスが耳元で言う。
「アレク……?」
「なんか、このままことに及んだら酒のせいだと思われそうだから」
抱きしめたままアレックスが言う。
それをきょとんとしたまま聞いたリドリアだったが。
小さく吹き出した。
「思いませんよ、別に。というか、そんなに自制心を失うぐらい酔ってるんですか?」
「うるさい」
「まだまだですねぇ、副団長」
「君がうわばみなんだ」
「そうかなぁ」
「それより俺の鉄の自制心をほめてほしい」
「えらいえらい」
「このまま最後まで襲うぞ」
「撃退できます」
途端にふたり、抱き合ったまま大笑いをする。
これは。
そんなふたりが。
本当の夫婦になる前日の話である。




