第一次世界大戦
### **4. サラエボ事件と大戦勃発**
#### **(1) サラエボ事件(1914年6月28日)**
- セルビアの民族主義者ガヴリロ・プリンツィプが,オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公を暗殺。この事件が第一次世界大戦の直接的な引き金となりました。
#### **(2) オーストリア=ハンガリーの動き**
- オーストリア=ハンガリー帝国は,ドイツの支援を受けてセルビアに最後通牒を突きつけました。セルビアは一部の条件を拒否したため,オーストリアはセルビアに宣戦布告しました。
#### **(3) ロシアの参戦決定**
- ロシアは「スラヴ民族の擁護」という大義名分のもと,セルビアを支援するために動員を開始。これがドイツへの挑発と見なされました。
- フランスと英国はロシアを支持し,協商側の結束を強調しました。
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### **5. 第一次世界大戦開戦**
#### **(1) ドイツの参戦**
- ドイツはロシアの動員を受けて8月1日にロシアへ宣戦布告。続いてフランスにも宣戦布告し,西部戦線での進撃を開始しました。
#### **(2) 英国の参戦**
- ドイツ軍がベルギーを通過してフランスに侵攻したことで、英国が参戦を決定(8月4日)。ドイツへの包囲網が形成されました。
#### **(3) 日本の動き**
- 日本は日英同盟を根拠に8月23日、ドイツに宣戦布告。極東でのドイツ植民地(青島や太平洋諸島)を攻略する行動を開始しました。
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第一次世界大戦(1914–1918年)
1. 開戦背景と日本の参戦
• 開戦経緯
1914年、オーストリア皇太子暗殺事件を契機に第一次世界大戦が勃発。英仏ロの協商国と独墺の同盟国が衝突。
• 日本の立場
日英同盟に基づき、英国の要請を受けた日本は参戦を決定。目標は以下の通り:
1. 南洋諸島(ドイツ領)を確保。
2. 中国におけるドイツ権益(山東半島)を奪取。
3. 英国への軍事的支援で国際的地位を向上。
2. アジア・太平洋戦域での日本の行動
(1) 山東半島での戦い
• 青島攻略戦
• 1914年10月、日本海軍と陸軍が共同でドイツ租借地の青島を包囲。
• 日本陸軍は大規模な砲撃戦と塹壕戦を展開。英国軍も支援に加わる。
• 11月、青島が陥落し、日本は山東半島の権益を掌握。
(2) 南洋諸島の占領
• ドイツ領南洋諸島への進撃
• 1914年末、日本海軍がドイツ領のマリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島を無血占領。
• 南洋諸島は戦後、委任統治領として日本の管理下に入る。
3. 欧州戦線での日本軍の活動
### **1. 背景:日本の対露戦備**
#### **(1) 日露間の緊張継続**
- 日露協商不成立のため,日本は日露戦争後も極東でのロシアの動向を強く警戒していました。ロシアが北満州やウラジオストクで軍備を再建していたことに対し,日本は常に対露戦争を想定して軍備を整えていました。
- **八八艦隊計画**の推進により、日本海軍はロシア太平洋艦隊への圧倒的優位性を維持するよう努めました。また、日本陸軍は満州や朝鮮での大規模戦闘を想定し、火砲や兵站システムを強化しました。
#### **(2) 迅速な動員体制**
- 日本陸海軍はロシアとの再戦を念頭においた軍事計画(例えば、満州での迅速な兵站構築や北方防衛戦略)を構築しており、対露緊張が高まればすぐに戦力を展開できる態勢を整えていました。
- 満州鉄道防衛の経験から,寒冷地作戦や鉄道輸送における高い準備能力を持つようになりました。
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### **2. 第一次世界大戦の勃発と日本の迅速な派遣**
#### **(1) 日英同盟の義務**
- 第一次世界大戦が勃発した際,英国がドイツのベルギー侵攻を理由に参戦を決定。日英同盟に基づき,日本にも参戦を要請しました。
- 英国からの要請は、主に極東のドイツ拠点(青島や太平洋諸島)への軍事行動を求めるものでしたが、英国はさらに欧州戦線での協力も要請しました。
#### **(2) 日本の対応**
- 日本は,長年の対露戦備によって整備された即応体制を活用し,欧州への派兵を迅速に決定。特に,対露戦を想定して準備されていた部隊を転用する形で,動員が加速しました。
- 派遣された部隊は以下のような特徴を持ちます:
- **陸軍**:火砲や重機関銃を重点的に装備した精鋭部隊。
- **海軍**:八八艦隊計画で整備された最新鋭艦を一部投入し、地中海での船団護衛を担当。新鋭戦艦金剛型を含めた部隊を大西洋に派遣。
#### **(3) 地中海での日本海軍の活動**
- 日本海軍は、地中海に展開し、ドイツとオーストリア=ハンガリーのUボート(潜水艦)による輸送船団攻撃を防ぐ任務を遂行。これにより、協商側の物資輸送が大幅に安定しました。
- 英国海軍との連携を強化し,地中海での制海権確保に貢献しました。
- ユトランド沖海戦に金剛型戦艦が参加。英国海軍の勝利に貢献。
#### **(4) 陸軍の欧州派遣**
- 陸軍はフランスや英国の要請を受け,一部の精鋭部隊を欧州戦線に派遣。特に西部戦線での塹壕戦において,火力と機動力を発揮しました。
- 日本の部隊はフランス北部やベルギーでの戦闘に参加し,協商側の戦力として大きな役割を果たしました。
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### **3. 日本の迅速な派遣がもたらした効果**
#### **(1) 欧州戦線での協商側の支援**
- 日本が迅速に兵力を派遣したことで,フランスや英国がドイツ軍の攻勢を防ぐための時間を稼ぐことができました。特に西部戦線での塹壕戦において,日本の火砲や工兵部隊の技術が活用されました。
#### **(2) 地中海の安全確保**
- 日本海軍の地中海での活動により,ドイツUボートの活動が抑制され,物資輸送の効率が向上。これにより,協商側の持久力が強化されました。
#### **(3) 日本の国際的地位の向上**
- 日本は、対露戦備を背景に迅速な派兵を行うことで、協商側における信頼を得ました。特に英国やフランスとの関係が深まり、戦後の講和交渉(ヴェルサイユ条約など)において、より強い発言力を確保しました。
- 欧州戦線での貢献により,日本は国際社会での評価を高め,列強としての地位を確立しました。
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### **4. 日本の迅速な派遣が極東に及ぼした影響**
#### **(1) 極東でのロシアとの緊張緩和**
- 日本が欧州戦線に集中する間,ロシアは極東での軍事行動を抑制。日露間の直接的な衝突は回避されました。
- 一方で,日本の欧州派兵による戦力分散を見越して,ロシアはシベリアや北満州での軍備をさらに強化する動きを見せました。
#### **(2) 対米関係の複雑化**
- 日本が欧州で協商側に貢献する一方,太平洋での影響力を強化する動きは,アメリカの警戒感を高めました。
- 特に,日本がドイツ領太平洋諸島を占領したことは,アメリカとの対立の火種となります。
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### **5. 戦後への影響**
#### **(1) 日本の戦後目標の達成**
- 日本は第一次世界大戦後,ドイツ領太平洋諸島の委任統治権を得るなど,戦後秩序において明確な利益を得ました。
- 欧州戦線への貢献を通じて,列強としての地位をさらに確立します。
#### **(2) ロシアとの緊張継続**
- 戦争後,ロシア革命やシベリア出兵を契機に,日露間の緊張は再燃。極東における勢力争いが続きます。
#### **(3) アメリカとの摩擦**
- 日本の国際的地位の向上と太平洋での影響力拡大は,アメリカとの対立を激化させ,後の第一次日米戦争の伏線となります。
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(1) 派兵の決定
• 1915年、英国から西部戦線での増援を求められ、日本陸軍が派兵を決定。
• 初期派遣部隊:約4万人(1個軍団規模)。
(2) 西部戦線での戦闘
• 第一次イーペル会戦(1915年)
• フランス軍の支援として参戦。初の毒ガス戦に直面し、甚大な被害を受ける。
• 日本陸軍は塹壕戦の消耗性と西洋の火力重視戦術に衝撃を受ける。
• ソンムの戦い(1916年)
• 日本軍は突撃部隊として参戦。高い犠牲を払いつつ一部戦果を挙げる。
• 歩兵突撃の非効率性を痛感し、戦術改革を検討。
• ヴェルダンの戦い(1917年)
• 防御線維持に投入。継続的な砲撃と機関銃戦術により日本軍の損害が増大。
(3) 航空戦力の活用
• 英仏との協力で、陸軍航空部隊を編成。フランス製戦闘機を導入し偵察や空中戦に参加。
• この経験が後の日本航空機産業発展の基礎となる。
4. 日本海軍の活躍
(1) 海上護衛作戦
• 日本海軍は英国と連携し、地中海における輸送船団護衛を実施。
• 特に、Uボート対策として護衛艦隊を派遣。
• 日本の巡洋艦が何度か潜水艦を撃沈し、連合軍から高評価を得る。
(2) ユトランド沖海戦への参加
• 1916年、英国艦隊と共にユトランド沖海戦に参戦。
• 金剛型巡洋戦艦が投入され、ドイツ艦隊に対して重要な役割を果たす。
• 海戦後、日本海軍の評価が高まり、英国からさらなる協力を求められる。
5. 戦後の日本の台頭
(1) 戦争特需による経済成長
• 欧州諸国への物資供給で重工業が成長。特に造船業と鉄鋼業が急速に発展。
• 戦後、日本の経済力がアジアで突出するようになる。
(2) 軍事面の影響
• 欧州戦で得た経験を元に、陸軍と海軍の近代化が進む。
• 陸軍:火砲、機関銃、航空機の導入拡大。
• 海軍:八八艦隊計画を推進。
(3) 国際的地位の向上
• 日本はヴェルサイユ条約で以下を獲得:
• 山東半島の旧ドイツ権益。
• 南洋諸島の委任統治権。
• 国際連盟の常任理事国として認められる。
6. 戦後の対米摩擦の開始
(1) 太平洋での対立
• 日本が南洋諸島を支配下に置いたことが、米国の警戒を招く。
• 太平洋の海洋権益を巡る緊張が高まる。
(2) 中国における摩擦
• 日本は山東半島での権益拡大を進めるが、米国は門戸開放政策を主張して対抗。
• 米国の対日感情が悪化し始める。
(3) 軍拡競争の激化
• 日本の八八艦隊計画に対し、米国は建艦競争を開始。
• 日米間の軍事的緊張が徐々に高まる。
結論
第一次世界大戦は日本にとって軍事的・経済的に成長する重要な機会となりました。特に陸軍と海軍は近代戦術を学び、国際的な地位を高めました。一方で、戦後の領土拡大や軍備拡張により米国との対立が深まり、これが後の太平洋を巡る日米摩擦の伏線となります。この時代、日本は列強の一角に加わると同時に新たな試練の時代に突入しました。