日露戦争
日露戦争(1904–1905年)
日露戦争の背景
1. 朝鮮半島の緊張
• 日清戦争後、日本は4億両の賠償金を基に近代化を進める一方、朝鮮は独立を維持しているものの、政治的混乱が続き、ロシアがその隙を突いて半島への影響力を拡大。
• 日英同盟の強化により、イギリスが日本の朝鮮半島防衛を後押し。ロシアとの緊張が激化する。
2. 満州問題
• 義和団の乱後、ロシアは満州を事実上占領し、撤退を渋る。これが日本の国益を脅かすとして対立が決定的に。
3. 国際的な支持構築
• 日本は英国を主な同盟国として利用し、フランスやドイツを牽制。米国も中国市場への門戸開放を望む立場から日本に一定の支持を表明。
戦争の経過
1. 開戦(1904年2月)
• 旅順港奇襲
日本海軍は旅順港のロシア艦隊に奇襲攻撃を実施し、太平洋艦隊を一時的に無力化。
• ロシア側の反撃を受けつつも制海権を確保。陸軍の朝鮮半島上陸と満州進軍を支援する。
• 朝鮮半島の制圧
日本陸軍は迅速に朝鮮半島を掌握し、義州を経由して満州へと進撃。ここでロシア軍と初の本格的な戦闘が行われる。
2. 陸戦の拡大(1904年後半)
• 遼陽会戦
日本軍は遼陽でロシア軍と激戦を繰り広げ、辛うじて勝利。ロシア軍は戦線を後退させるが、大損害を出した日本軍も進撃を一時停止。
• 双方が膠着状態に陥り、次の大規模会戦が奉天(瀋陽)で計画される。
• 旅順攻防戦
日本軍は海軍の支援を受けて旅順港の占領を目指すが、近代要塞化されたロシア軍陣地に苦戦。
• 何度も総攻撃を行い、1905年初頭にようやく占領。
• しかし、消耗した日本陸軍は戦力補充が追いつかず、奉天会戦に影響を及ぼす。
3. 奉天会戦(1905年3月)※1
• 最大規模の陸戦
日本軍約30万人、ロシア軍約35万人が奉天周辺で激突。
• 日本軍は分進合撃による包囲を試みるが、ロシア軍の防御と増援により進撃が阻止される。
• ロシア軍も日本軍を撃退する決定打に欠け、膠着状態が続く。
• 結果
• 日本軍は奉天占領を達成できず、攻勢を維持することが困難に。
• ロシア軍も反撃に転じる余力がないため、戦線は停滞。双方が多大な損害を被り、戦争継続が難しい状況に。
4. 海戦の展開(1905年5月)
• 日本海海戦
ロシアのバルチック艦隊が極東に到着。日本海軍は連合艦隊を動員して迎撃。
• T字戦法を駆使し、圧倒的勝利を収める。ロシア海軍は事実上壊滅し、制海権を完全に掌握。
5. 戦争終結への道(1905年後半)
• 日本の疲弊
• 奉天会戦で勝ちきれなかった日本は、財政と人的資源の限界に直面。国民の間で戦争終結を求める声が高まる。
• 英国からの借款が継続しているものの、戦争長期化は国力を大きく削ぐ。
• ロシアの内政問題
• ロシア国内では戦争の不満から第一次ロシア革命が勃発。軍事と内政の両面で危機に陥り、戦争継続が困難に。
• ポーツマス条約交渉
米国の仲介で停戦交渉が開始され、以下の内容で合意に至る。
ポーツマス条約の内容
1. 朝鮮における日本の優越権
• 朝鮮の独立は維持されるが、日本が外交・軍事面での優越権を得る。
• ロシアは朝鮮半島への干渉を放棄。
2. 満州の利権譲渡
• 旅順・大連の租借権、および南満州鉄道の管理権を日本に譲渡。
• 満州北部は引き続きロシアの影響下に。
3. 賠償金なし
• 日本は戦争賠償金の要求を断念。ただし、ロシアから満州の利権を譲渡されることで損失を補填。
戦争後の影響
日本
• 限定的な勝利
奉天会戦での膠着により、国民は「完全勝利」を期待していたが、それに至らなかったことへの不満が噴出(「勝って賠償金なし」)。※2
• 財政難の影響で復興や軍備拡張が停滞する一方、満州利権を経済的基盤として活用。
• 英国との同盟関係がさらに強化され、国際的地位が向上。
ロシア
• 極東での後退
• ロシアは極東における影響力を大幅に失うが、満州北部を保持しつつシベリア鉄道を強化。
• 国内では革命運動が活発化し、社会的混乱が続く。
国際関係
• 列強の反応
日本の軍事的成功は列強に驚きを与える一方、極東における日本の台頭に対する警戒感を高める。特に米国はアジア政策の見直しを開始。
※1:史実では日本の勝利。
※2:陸軍の政治力低下と大陸への領土的野心の減少が目的の改変