自動車の黎明
## 日本の自動車産業の発展とモータリゼーション
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### **第一次世界大戦中: 欧州派遣とバイク文化の導入**
#### **欧州派遣兵によるバイクの導入**
- **背景**:
- 第一次世界大戦中、日本は日英同盟に基づき、欧州へ兵士を派遣。日
本兵は戦場でヨーロッパの先進技術や文化に触れる機会を得る。
- 特にイギリスやフランスでは、戦場での伝令や偵察にバイクが広く使
用され、その利便性に日本兵が感銘を受ける。
- **エピソード**:
- 日本兵が現地でイギリス製のBSAやトライアンフ、フランス製のプ
ジョーなどのバイクに触れ、帰国時に「土産」として持ち帰る例が増
加。
- 帰国後、持ち帰られたバイクが軍や民間の注目を集め、模倣や試作が
始まる。
- **軍部への影響**:
- バイクの実用性を軍部が認識。伝令や偵察用としての採用が検討さ
れ、試験運用が開始される。
#### **民間への波及**
- **農村部**:
- 帰国兵が持ち帰ったバイクが農村部で注目され、馬や荷車に代わる効
率的な移動手段として需要が高まる。
- **都市部**:
- 配送業者や警察、消防がバイクの実用性に着目し、都市部での公用車
として採用される動きが出てくる。
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### **1920年代: 関東大震災と復興計画**
#### **復興と道路インフラの整備**
- **1923年: 関東大震災**
- 大震災後の復興計画により、後藤新平主導で自動車道路の整備が開始
される。
- 東京を中心とした主要都市間での道路網が形成され、自動車利用のイ
ンフラが整備され始める。
- **ロマノフ公国の成立と北樺太の油田**:
- ロマノフ公国の成立により、日本は北樺太の油田採掘権を獲得。これ
により、石油資源の安定供給が可能となり、アスファルト生産も強化。
- アスファルトを用いた本格的な道路舗装が進み、自動車交通網の基盤
が整備される。
#### **自動車産業の萌芽**
- **戦時中の欧州メーカー進出**:
- 第一次世界大戦中、イギリスやフランスは軍需増産のためにオースチ
ン、モーリス、ルノーなどの技術を日本に提供。
- 日本政府がこれらのライセンス権を安価に取得し、生産体制を構築。
三菱、日産、川崎造船がそれぞ
れ契約を結び、小型車や商用車を生産。
- **米国メーカーの参入**:
- フォードとGMも戦後の日本市場を重要視し、ライセンス生産契約を
締結。
- **理由**: 日本は第一次世界大戦時からオースチンやモーリスなどの
欧州メーカー車両をライセンス生産し、技術力を比較的高い水準に引き
上げていたため、フォードやGMも日本の生産能力を信頼した。
- フォードは四輪トラックと乗用車、GMは大型バスや商用車を中心に
ライセンス生産を行い、日本国内での市場シェアを拡大。
- **影響**: フォードの大量生産方式が日本の伝統的な手工芸的自動車
生産の見直しに多大な影響を与え、後のJIS規格の設定に繋がった。
- **インフラ投資と道路網の拡張**:
- 世界恐慌対策として、政府は全国規模でのインフラ投資を開始。石油
コンビナートを各地に設置し、石油の精製や輸送を効率化。
- 地方都市にも自動車道路網が整備され、交通網がさらに拡大。
- **日本メーカーの参入**:
- 自転車メーカーや農機具メーカーがバイクの国産化を進め、オート三
輪の開発に着手。
- 1928年、東洋工業が「マツダ号オート三輪」を発表。
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### **1930年代: オート三輪の普及と国民車構想の発表**
#### **オート三輪の普及政策**
1. **政府の支援策**:
- 農業振興政策の一環として、オート三輪の購入補助金を提供。
- 農協や自治体による共同購入を促進する法整備を実施。
- 無免許運転可能な排気量を500ccから750ccに引き上げ、普及を後押
し。
2. **用途ごとの普及状況**:
- **農村部**:
- 農作物の輸送や市場への搬送にオート三輪が大活躍。
- 特に井関農機やダイハツが開発したモデルが普及。
- 欧米メーカーの大型車両は主に農協や地域団体が共同購入し、長距
離輸送に使用。
- **都市部**:
- 配送業者や個人商店がオート三輪を活用。
- 警察や消防などの公的機関でも採用が進む。
#### **国民車構想の提案と具体化(1935年~1936年)**
- **背景**:
- ナチスドイツが「国民車計画」を発表し、大衆向け低価格車の普及を
目指した動きが日本にも影響を与えました。
- 日本政府は、経済振興と産業発展を目的に1935年に「国民車構想」
を提案。翌1936年にトヨタAA型の発表を契機に具体化が進められまし
た。
- **条件**:
1. **価格**: 平均的な労働者が購入可能な低価格(現在の金額換算で
100万円程度)。
2. **耐久性**: 日本の未舗装道路や山間部でも走行可能。
3. **燃費**: 維持費が安価で燃費性能が優れること。
4. **生産性**: 国内での大量生産が可能な設計。
- **実現のための政策支援**:
- **補助金支給**: 開発に取り組むメーカーへの研究開発補助。
- **税制優遇**: 国民車に該当する車種の販売時の税金を軽減。
- **技術協力**: 欧州や米国メーカーの技術を活用し、生産効率を向
上。
- **成果と影響**:
- トヨタ自動車は1936年に「トヨタAA型乗用車」を発表し、大量生産
の基盤を築きました。
- 日産自動車は「ダットサン(Datsun)」ブランドで小型車市場に進
出。
- ダイハツやマツダはオート三輪市場から四輪車市場への進出を目指し
ました。
- 農協や自治体を通じた共同購入の奨励や、都市部での分割払い制度の
導入が購入のハードルを下げました。
#### **軍用車両の開発と採用**
- **1930年代前半: 国産軍用車両の開発**:
- 日本軍では1930年代前半から国産による軍用車両の開発が開始され
ました。
- 満州事変以降、悪路や山岳地帯での運用を想定した四輪駆動車の必要
性が高まり、開発が加速。
- 特に1935年には、傑作として知られる九五式小型自動車「くろがね
四起」が採用され、日本初の四輪駆動軍用車両として注目を集めまし
た。
- ドイツのDKW製小型車やアメリカ製四輪駆動車から着想を得た設計
が特徴で、日本の地形に適応した高い機動性と耐久性を誇りました。
- 「くろがね四起」で培われた四輪駆動技術や小型車両の設計ノウハウ
は、後の国民車構想における軽自動車の開発にも応用されました。
- **二式小型貨物車の開発**:
- くろがね四起を基盤とし、国民車構想で得られたノウハウを統合して
大型化した「二式小型貨物車」を開発。
- キューベルワーゲンやジープに触発された設計思想を取り入れ、偵
察、輸送、指揮車両として多用途に活躍。
- 第二次世界大戦では物資輸送や兵員移送、戦後は農村や復興事業にも
広く利用されました。
- **ハーフトラックの導入**:
- 「九八式半装軌貨物車」としてハーフトラックを開発。ドイツの
Sd.KfzシリーズやアメリカのM3ハーフトラックを参考に、兵員輸送や
火砲牽引車両として採用。
- 第二次世界大戦中および戦後も多用途車両として活用。
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### **運転技能者育成と普及促進**
- 陸海軍が自動車操縦技能者を増やすため、自動車運転講習を積極的に
実施。
- 免許取得者には資格手当を支給し、技能者の増加を促進。
- この取り組みを見た大企業が、従業員向けに同様の施策を開始。運転
免許の普及が加速。
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### **影響と意義**
#### **1. 日本メーカーの技術基盤確立**
- 欧州や米国からの技術導入を通じて、日本メーカーがエンジンや
シャーシ技術を習得。
- オート三輪で得た経験が、後の四輪車や大型車両の開発に応用され
る。
#### **2. 農村部の振興と物流改善**
- 農村部でのオート三輪普及により、農作物の流通効率が大幅に向上。
- 農家の生活水準が改善し、地方経済の活性化に寄与。
#### **3. 運転技能者の増加による波及効果**
- 陸海軍および大企業の施策により、運転免許取得者が増加。
- 自動車の普及と技能者の確保が進み、産業全体の効率化が実現。
#### **4. 国際競争の活性化**
- 欧州・米国メーカーとの競争が、日本市場の活性化と技術革新を促
進。
- 特にフォードやGMの競争圧力が、日本メーカーの品質向上に寄与。
#### **5. 戦後産業への影響**
- 戦前に培われたオート三輪技術と市場基盤が、戦後の自動車産業の発
展を支える重要な要素となる。
- 「二式小型貨物車」の成功により、日本は戦後の多用途車両市場でも
強い競争力を発揮。
- 日本は戦後、自動車輸出産業として世界的に成長を遂げる下地をこの
時期に築いた。