日露戦争前夜
日清戦争後の東アジア情勢
日本の台頭と戦略
• 経済的発展
日本は日清戦争の賠償金4億両(約8億円相当)をもとに急速な経済発展を遂げた。特に産業革命を加速させ、鉄道や港湾の整備が進行。また、軍備拡張にも多額の資金を投入し、陸軍と海軍の近代化をさらに推進。
• 外交戦略
日本は清国との戦争で得た影響力を維持しつつ、ロシアの南下政策に対抗するため、英国との協調をさらに強化。日英同盟の締結に向けた準備が進められた。英国も日本の成長を評価し、アジアでのロシアへの牽制を期待していた。
朝鮮の状況
• 改革と困難
日本の影響を受け、朝鮮では近代化改革が進行。鉄道敷設や教育制度の導入が行われたが、財政基盤が弱く、日本や英国への依存度が高まった。一方で改革派と保守派の対立は続き、国民の不満も根強かった。
• 独立維持の試み
清国の衰退により朝鮮の独立は一応確立したが、列強からの干渉は続き、特にロシアの圧力が増大。ロシアは満州から朝鮮半島への進出を図り、朝鮮半島における日露の緊張が高まっていった。
清国の再編と列強の介入
• 清国の衰退と改革
清国は日清戦争の敗北で威信を失い、国内では義和団の乱(1900年)が発生。これにより、清国は列強による共同出兵(日本も参加)を受け、さらに弱体化した。一方で、清国内では改革派が台頭し、洋務運動の延長線上で近代化の模索が進んでいた。
• 満州の緊張
義和団の乱後、ロシアは満州に軍を駐留させ、経済的・軍事的影響力を拡大。これに対し、日本は満州を自国の勢力圏とみなす英国の支持を取り付け、ロシアとの衝突が不可避となっていった。
ロシアの南下政策と日本の対抗
ロシアの動向
• 満州と朝鮮への進出
ロシアは東清鉄道の建設を通じて満州での影響力を確立。さらに、旅順・大連の租借により黄海の制海権を確保しようとした。また、朝鮮半島への圧力を強め、朝鮮国内の保守派を利用して日本を排除しようと図る。
• シベリア鉄道の完成
1904年にはシベリア鉄道が完成し、ロシアは極東への兵力投射能力を向上させた。これにより、東アジアでの影響力をさらに拡大。
日本の反応
• 軍備拡張
日本は日清戦争後の賠償金を活用し、軍事力の大幅な増強を図る。陸軍は近代戦の経験を活かして編成を改め、海軍は六六艦隊計画の実現に向けて戦艦・巡洋艦を増強。特に敷島型戦艦などが英国により建造され、日本海軍の中核となった。
• 日英同盟の締結(1902年)
英国との協議を経て、日英同盟が正式に締結された。これにより、日本はロシアとの戦争に備えつつ、英国の支援を取り付けることができた。同盟条約には以下が含まれる:
• アジアでのロシア南下政策に対する共同対抗
• 一方が第三国と交戦した際、もう一方は中立を維持するか、必要に応じて軍事支援を行う
開戦への道
交渉の決裂
• 日本はロシアとの交渉を通じて、朝鮮半島における勢力圏分割を模索したが、ロシアは満州からの撤退を拒否し、むしろ朝鮮への圧力を強化。
• 交渉決裂後、日本はロシアとの開戦を決断。外交的には英国の支持を得て国際的な孤立を避けることに成功した。
戦争準備
• 陸軍は満州への遠征を想定した動員計画を策定。近代化された装備と戦術をもとに、清国北部での作戦を計画。
• 海軍は旅順港に駐留するロシア太平洋艦隊を封じ込めるべく、大規模な海上作戦を準備。