軍縮条約
海軍軍拡とワシントン・ロンドン軍縮条約
1. 海軍軍拡の背景
日露戦争後、日本は海上防衛力の重要性を再認識し、欧米列強に対抗す
るための海軍拡張を加速させました。この背景には、以下の要因が存在
しました。
日英同盟:日本は同盟国である英国の影響を受け、艦隊構成や戦術にお
いて英国海軍をモデルとしました。
第一次世界大戦の教訓:第一次世界大戦中、日本海軍は護衛任務やユト
ランド海戦での参加を通じ、近代戦の経験を積みました。この経験を基
に艦艇設計や戦術を革新しました。
米国との対立:日本の勢力拡大が進む中、中国市場の開放問題やフィリ
ピンの問題を巡って米国との緊張が高まりました。特に米国の大艦巨砲
主義に対抗するため、艦隊拡充が急務となりました。
2. 八八艦隊計画の展開
日本海軍は、大正末期から昭和初期にかけて「八八艦隊計画」を推進し
ました。この計画では、8隻の戦艦と8隻の巡洋戦艦を基幹とした強大な
艦隊を整備することを目指しました。
戦艦
長門型:41cm砲4基、優れた防御力と速力を持つ。
加賀型:41cm砲5基、砲力・装甲の向上が特徴。
紀伊型:41cm砲5基、高速性能と耐久力を重視した設計。
巡洋戦艦
天城型:全艦が戦艦として完成、41cm砲5基。
富士型:46cm砲を初めて搭載、火力と装甲の究極形。
さらに、航空母艦「鳳翔型」「龍驤型」の整備により、艦隊運用に航空
戦力が加わりました。
### **ワシントン軍縮会議(1921-1922年)**
1. **主な議題**
- 戦艦・巡洋戦艦の保有制限。
- 新規建造の凍結期間(10年間)を設定。
- 各国の海軍力をバランスさせるためのトン数制限。
2. **日本の交渉戦略**
- **八八艦隊の維持を主張**
日本は「八八艦隊は1922年以前に予算化され、建造決定済み」と主
張し、全艦の保有を認めさせます。
- **米国への圧力**
サウスダコタ級・レキシントン級が米海軍に加わることは容認する
が、それ以降の新規建造は凍結させる条項を盛り込むよう要求。
- **日英同盟の活用**
英国の支持を得て、米国を外交的に孤立させ、妥協を引き出しま
す。
- **第一次世界大戦の功績を活用**
日本が第一次世界大戦に積極参戦したためフランス・イタリアも日
本の主張を黙認。逆に米国は不参戦だったため主張を貫けず。
3. **会議結果**
- 日本の八八艦隊完成が承認され、保有トン数が米:英:日=5:5:4で合
意。
- サウスダコタ級・レキシントン級が建造されるものの、それ以降の
新規戦艦建造は10年間凍結。
- 巡洋艦・駆逐艦・潜水艦は制限が緩く設定され、日本が一定の柔軟
性を確保。
政治的対立:四カ国条約(日本、英国、米国、フランス)も成立せず、
日英同盟が強化される結果となった。
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### **ロンドン軍縮会議(1930年)**
1. **主な議題**
- 戦艦の建造凍結期間の延長(追加5年)。
- 補助艦(軽巡洋艦・駆逐艦・潜水艦)のトン数制限。
2. **日本の交渉戦略**
- **戦艦の現状維持**
戦艦に関する新規建造をさらに5年間凍結する代わりに、既存の八八
艦隊を維持。
- **補助艦の柔軟制限**
日本は補助艦について、太平洋の防衛力確保を理由に一定の保有枠
を要求。米国の制限を引き出す。
- **米国への牽制**
サウスダコタ級・レキシントン級が十分な戦力を持つとし、それ以
降の新規建造を断念させる。
3. **会議結果**
- 戦艦の建造凍結期間が延長され、新規戦艦は1936年まで建造禁止。
- 補助艦のトン数制限が導入され、米国の補助艦建造も抑制。
- 日本は補助艦で柔軟な制限枠を確保し、広域防衛力を維持。