統合兵部省
## **統合兵部省設立の経緯と意義**
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### **1. 戦時中の提案と議論**
#### **1.1 背景**
1945年、日本が第二次世界大戦の終盤に差し掛かる中、陸海軍間の対立
や資源配分の非効率性が戦局に悪影響を及ぼしているとの批判が高まり
ました。特に、
- 陸軍と海軍の独立した指揮系統による連携不足。
- 軍種間の資源競合や優先順位の混乱。
- 戦争遂行における国家戦略の不統一。
これらの問題が顕在化したことで、軍全体を統括する新たな省の設立が
提案されました。この提案は、軍の指揮系統を一本化し、資源や人員を
効率的に運用することを目的としていました。
#### **1.2 提案内容**
- 陸軍省、海軍省を統括する「兵部省」(仮称)を設立。
- 各軍種の運用計画や資源配分を統一的に管理。
- 戦略的意思決定を一元化し、内閣との連携を強化。
#### **1.3 議論と問題点**
提案には以下の問題点が指摘され、議論は長期化しました。
- **権力の集中**: 新設される省が過剰な権限を持つことで、軍部の暴走
を助長する可能性。
- **既存勢力の抵抗**: 陸軍省と海軍省の既得権益を守りたい勢力からの
強い反対。
- **戦局の影響**: 提案が戦争遂行に直接効果をもたらすまでの時間的猶
予がないこと。
また、提案が枢軸国との戦局に直接的な影響を与えにくいとの判断もあ
り、この時点での設立は見送られました。
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### **2. 戦後の再提案と実現**
#### **2.1 第二次日米戦争後の教訓**
1957年、第二次日米戦争の終結を受けて、日本政府は戦争の教訓を検証
する中で、軍事組織の再編が必要であるとの結論に至りました。
- **軍種間の連携不足**: 第二次世界大戦や第二次日米戦争では、陸海空
軍が統合作戦を多く実施したものの、調整の難航が戦局に影響を与えた
事例が報告されました。
- **資源配分の非効率性**: 戦争中、人的・物的資源の配分を巡る軍種間
の競合が戦略遂行に悪影響を与えた。
- **国際的影響**: 日英同盟ブロック内での協力を深めるには、統一的な
軍事体制が必要とされました。
#### **2.2 修正版提案**
この提案では、以下のような点で1945年の提案が修正されました。
- **文民統制の明確化**: 統合兵部省の指揮系統に内閣や議会の監視を加
え、軍部の暴走を防止。
- **省内の分権化**: 陸海空軍省それぞれの権限を一定程度維持し、統合
兵部大臣の役割を調整役に限定。
- **運用効率の向上**: 軍種横断的な補給部門や研究部門を設置。
#### **2.3 統合兵部省の設立**
1957年、統合兵部省が正式に設立されました。
- **組織構造**:
- 統合兵部大臣の下に、陸軍省、海軍省、空軍省を設置。
- 各省はそれぞれの軍種を代表しつつ、統合兵部大臣の指揮下で調整を
行う。
- 省内に「作戦部」「技術研究部」「補給部」などの部門を設け、軍種
横断的な協力を促進。
- **初代統合兵部大臣**:
- 初代大臣には堀悌吉が任命されました。
- 海軍の理論派であり、戦略的思考に優れた堀が選ばれた背景には、初
代空軍大臣を務めた山本五十六の強い推薦もありました。
- 陸軍や空軍からの反発もあったものの、堀の調整能力が評価され、最
終的には各軍種が了承しました。
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### **3. 統合兵部省の意義と影響**
#### **3.1 戦争遂行能力の向上**
統合兵部省の設立により、以下のような成果が得られました。
- 軍種間の情報共有と作戦統一が促進され、迅速かつ効率的な意思決定
が可能となった。
- 資源配分が合理化され、無駄の削減や戦力の最大化が実現。
#### **3.2 日英同盟ブロック内での役割強化**
- 統合兵部省の設立により、日英同盟ブロック内での日本の地位が向
上。
- 統一的な軍事体制を持つことで、他国との連携が円滑化し、共同作戦
や技術交流が容易になりました。
#### **3.3 戦後日本の軍事体制の基盤**
- 統合兵部省は、戦後日本の安全保障政策の中核として機能。
- 冷戦期において、日英同盟ブロックの一員として国際的な役割を果た
しました。
#### **3.4 文民統制の強化**
- 統合兵部省の設立に際し、「兵部委員会」が設置され、議会が定期的
に統合兵部大臣の活動を監視。
- 各軍種の運用計画や予算配分に対する透明性を高めることで、軍事行
政への信頼が向上しました。