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7、面倒でも、いっか。だって――。


 変化は唐突だった。

 その日まではごく普通だったのに、次に会った瞬間には変わっていた。

 言葉の端、視線の強さ、笑顔の意味。

 それは、ほんの僅かな違いだったのかもしれないけれど、私にとっては明確だった。

 そんな些細な差異を感じ取ってしまうほどには、きっと私は子供ではなかったのだ、きっと。




「荷物持とうか?」

 さりげなく言われた言葉に、びっくりして相手を見上げてしまう。

 私の視線に、山階君が固まる。あれ、俺何か変なこと言ったっけ、という感じの固まりっぷりだ。

「……そんな、持ってもらうほど重くないよ」

 重くないものを持ってもらうなんて、なんだか気が引けてしまう。

 私と山階君は、隣町の大きな図書館に行って目当ての本を借りてきた。今はその帰りだ。

 どうせだから本屋にも寄って行こうということになり、現在はその本屋を出てすぐの道を歩いているところである。

 久しぶりに本屋に行くと、ずっと買っている作家の新刊がずらっと並んでいることがよくある。そのせいか、もう野口さん三枚とお別れをしてしまった。

 もちろん、私の右手には、借りてきた本と買った本、合わせて十数冊が袋に入ってがさがさ言っている状態である。

 重いのかもしれないが、今まで何回も同じくらいの冊数を買ってきた自分である。重くてしんどいというよりも、これは幸せの重みだと思っている。

「まあ、いいじゃん。借りてきたほうだけでも頂戴な」

 そう言って手を差し出されると、断りづらい。

 無言で本の入った袋を差し出すと、山階君は嬉しそうに笑った。重労働を買って出るというのは、私に対する何か褒賞の目当てでもあるのだろうか。何もあげられるものなどないというのに。

 この間本を借りていったときから、山階君は常時こんな感じである。

 以前から私に対して気遣ってくれることは多かったが、今はそのとき以上の構いっぷりだ。

 今だってさらりと車道側を歩いているし、歩調も合わせてくれている。

 この間だって、好きな作家の新刊を「バイト代入ったんだ~」と嬉しそうに買って来てくれたときは、多少戸惑ってしまった。

 本を買ってくれた山階君にもだが、それを純粋に喜んでいる自分にもだ。

 山階君が自分のことを見ていてくれたら嬉しいし、考えてくれていたら心が躍るし、笑ってくれるだけでつま先が宙に浮くような感じがする。

 非常に面倒だと思う。そう、紛れもなくこの感情は「恋愛」だ。

 恋に積極的になれないだけで、自分の感情自体に疎いわけじゃない。逸ってしまう心に、知らんぷりをしたいわけでもない。

 ただ、どう応えていいか分からないだけだ。

 相手が惜しみなく与えてくれるものに、どうやって気持ちを返したらいいのか、戸惑っている。

 私には経験が足りない。知識以上に。

 けれど、ない経験をそう簡単に埋められるわけでもない。妙に焦っているのは、そのせいかも知れない。

「……なに?」

 本の入った袋を渡してから、彼がじっと自分を見ているのには気付いていた。

 けれど、何故見ているのかは分からなかったから、暫く気付かない振りをしていた。しかし彼の視線が外れることはなく、思わず理由を尋ねる。

「いや? 可愛いなーと思って見てた」

「……褒めても何も出ないけど」

「いやいや、別に何か欲しいわけでもないし」

「う、うん。分かった」

「……赤くなってる」

「えっ!?」

「……ふ、可愛い」

 こんなとき、普通の女の子だったらどういう反応をするべきなんだろう。

 どうやったら相手を、山階君を喜ばせるようなリアクションを返せるんだろう。

「……そんなに、可愛くなんかないよ」

「ううん、可愛いよ。そういう続木さん、俺好きだけど」

 駄目だ。

 これは完全に山階君のほうが役者が上だ。

 緊張しすぎて笑顔にすらなれない。

 歩きながら完全に思考が止まった私の耳に、くすくすと楽しそうな山階君の声が聞こえる。

 遊ばれている。けれど、その遊びが、単なる「からかい遊び」であることも、私は了解している。彼は私の気持ちを弄んでいるというよりは、純粋に私のリアクションを見て楽しんでいるのだ。何たるいじめっ子気質だろう。こんな風に弄られるのは私の本意じゃないのに。

 でも、そうやって私を構ってくれることが嬉しいなんて、絶対に言えない。

 言ってしまったら最後、どこにも後戻りが出来なくなる気がする。




 慣れたい。一刻も早く、山階君のからかいに。

 からかわれるのは嫌いじゃないけれど、でもやはりあの落ち着かない感じは避けたい。それが私の本音だ。彼から構われるのを嬉しく思う自分と、それを良しとしない自分の、どちらが本心なのか自分でも分からない。けれど、対抗したくもなるのだから仕方がない。

 というわけで、夕里のお姉様方にお願いして、今日私は若干の化粧をして登校した。

 先生方に絶対に咎められないような、うっすい化粧だ。

 「好きな男の子がいて、何とかして対抗したいんだけど、どうしたらいい」という私の相談に、四人のお姉様方は嬉々として相談に乗って下さった。

 曰く、「色仕掛け」。

 曰く、「引いてみろ」。

 曰く、「押してみろ」。

 ……他にも数十の案が出たのだが、自分の態度を変えることに対して、私には彼に演技するほどの度胸もなければ覚悟もないことを思い知らされている。

 だから、というわけでもないが、私は自分の見た目を変えることにしたのだ。

 微々たる変化だったが、化粧を施すという行為自体が、心の内から自分を支えてくれていることに気がつく。

 たかがファンデーション一枚の薄い膜。

 けれど、それは女子にとってこの上ない防御膜になるのだということを、私は身をもって知った。

 母が化粧をするのは戦闘準備だといっていたけれど、こういうことなのかと納得する。さすがに母が言う意味での、仕事上の戦闘準備とは程遠いし、相手は好きな男の子だ。

 でも、今の私には、彼と会う場は紛れもない戦場であり、闘うべき相手は、彼だった。




 図書室の扉が開く音がする。

 顔を上げると、やはり入ってきたのは山階君だった。既に本を手に持って、笑顔でこちらに近寄ってくる。

 あの変化の日からは、私は彼のその笑顔を正面から見つめることができなかった。理由は分かっている。余りにも優しく笑いかけてくれるからだ。その優しさに、私は居た堪れなくなって顔を俯けることしかできなくなる。

 今日は違う。正面から彼の笑顔を受け止めることができている。

 緊張はしている。でも、彼の顔を見ることができる。化粧って、実はすごいんじゃないか。いや、多分化粧によって暗示を掛けられた私の精神がすごいのだろう。すごいというか、単純すぎる。

 けれど今は、自分の正直な精神に感謝しなくてはなるまい。実に久しぶりに、彼の笑顔を見ている。居た堪れなさはあるが、彼の優しさと、いつもと違う私に少しだけ驚いている彼を見られただけでも良しとしよう。

「はい、返却」

 無言で彼から本を受け取り、バーコードを通す。

「……返却完了」

 にっこり笑って彼に言うと、山階君はうろたえた。

 お。

 相手がうろたえているのを見るのは、楽しい。

 もしかして山階君が私をからかい続けたのって、こういう反応を返す相手が楽しい、というのが原因なのかな。

 やっぱりいじめっ子だ。

「教室にいたときから思ってたけど、今日化粧してるんだね」

「ああ、うん。うっすくだけどね」

「……へえ、どういう心境の変化?」

 山階君の笑顔に、含む部分は見受けられない。けれど、今の彼の笑顔には色々と意図があることを了解していなければならない。

「別に? ちょっと、気分を変えたくなっただけだよ」

 だから、私は普通に返す。多分、これが正解。

 君のことを意識しているからだよ、なんて正直に言える私ではない。

「ふうん。……俺のために可愛くしてくれたのかな、とか、若干期待しちゃいました」

 へへ、と可愛く笑う山階君に、私は目が点になってしまった。

 化粧が剥がれる。心がむき出しになる。感情のやり取りというところにおいては、まだまだ山階君のほうが一枚も二枚も上手だ。勝負できるはずもない。

「……山階君は、ずるい」

「え、なんで。俺より続木さんのほうがずるいでしょ」

 ごく普通に返してくる山階君に、私は思わず頬を膨らませる。

「だってそんな風に……、気持ちをまっすぐ表せるなんて、ずるい」

 私はひねくれている。だから、相手に自分の偽らざる気持ちを打ち明けることが怖くてたまらない臆病者だ。

「じゃあ、続木さんの正直な気持ちって?」

 聞きたいなあ、と言う顔の山階君。

 確かに、今まで山階君は充分すぎるほど好意を示してくれた。

 私の気持ちを受け入れてくれるだろうか。こんなに不器用な私の気持ちを。いびつで、どこにも整ったところのない私の気持ちを。

「そういうずるい山階君が……好き」

 だよ、という語尾は、唇の中に押し込まれた。

 ふわ、と柔らかい感触が唇に触れたかと思うと、次の瞬間には離れている。

 けれど目の前の、山階君の顔が近い。鼻と鼻が触れあいそうだし、髪の毛が柔らかく額に当たっている。

 ……図書室に人がいなくて、良かったというべきなのか否か。司書の先生も、今は職員会議で出払っている。

「……俺も、続木さんが好きです」

 ごく近い距離で囁かれると、遅ればせながら心臓が早く拍を刻む。

 彼は笑顔だったけれど、顔が赤かった。私を好きだと、私をからかう目的で口にしていたときは、顔色に変化なんてなかったのに。

 山階君も余裕がないのだろうかと、頭の端で考える。

「もう一回、キスしていい?」

 今度は、自分から尋ねる。

 彼は一度大きく目を見開くと、ふ、と目を緩ませて微笑んだ。

 今まで見た中で、一番とろけそうなほどに優しい笑顔だった。




 次で終わります。

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