6、……面倒なことになった、ね。
「続木さん可愛くなったよなぁ」
昼休み、いつも一緒につるんで飯を食い合う連中の一人が、ぼそりと呟いた。
「あ、お前も思ってた?」
「俺も俺も。俺も思ってた。なんかこう、可愛げ? みたいなものが出てきたよな」
「そうそう、前は結構近寄りがたい空気発してたけど、今は素直に接せれる感じがあるよな。しゃべるとき緊張しないし」
だよなあ、と場の空気が和む。
男連中の昼飯時の話題に、自分のことが上がっているなんて彼女は思いもしないだろう。それもそのはず、続木さんは基本的に、昼休みは司書準備室で委員会の人たちとご飯を囲む。
人の話題というものは、本人がその場にいないからこそ盛り上がるってこともある。
俺は、というと、仲間内の話題を聞き流しつつ、心の中でにんまりと笑っていた。
そうだろうそうだろう。彼女は可愛くなっただろう。
絶対に俺のお陰だぞお前らもっと続木さん褒めろ、などと考えていたりした。
実際、以前までどこか余所余所しく刺々しかった続木さんの雰囲気は、人として穏やかなものへと変化している。
吉本ばななさんの本を挟んだ一件以来、どうやら彼女は俺を信用してくれたらしい。
話すことも増えたし、一緒にいることも多くなった。
と同時に、彼女を「可愛い」と言う男も増えた。
これに関しては、何か歯に物でも挟まっているじゃないかというようないずさを感じることが多い。
別に俺が続木さんのことが好きだとかそう言うんじゃない。ただ、もやっとする。不思議な感覚だ。
彼女は本当に「可愛い」だろうか。そう言うなら、彼女自身は余り変わっていない気がする。容姿の問題、という意味でなら。
雰囲気は確かに、柔らかくなった。親しく笑いかけてくれるようになったし、何より頼ってくれるようになった。
宿題見せてとか面白い作家教えてとか、俺から頼ることは結構あったけれど、彼女が俺を頼ることはほとんどないと言っても過言じゃなかった。それまでは、書架に本を戻すのを手伝うのでさえ断られる程だったのだから。
それが今では「ちょっといいかな」と言って、素直に俺を頼りにしてくれる。
何故だろう、そんな言葉一つがとても嬉しかったりする。
人と人は支えあうというけれど、彼女との間に何かしら絆めいたものを築けたのが本当に嬉しい。
気付けばよく図書室に通うようになったし、放課後の多くを彼女と話して過ごすようになっていた。
今日が返却期限の本を持って、俺は図書室に行こうと腰を浮かせた。
放課後の教室には赤い夕日が差し込んでいる。男や女子の大半は部活や課外活動や帰宅行動を取ったのか、残っている人間は少ない。
「あ、ちょっと山階」
教室を出ようとしたところで、残っていた少ない人間の一人である川本夕里に声を掛けられた。女子みたいな名前だが俺より少しばかり背が高い、眼鏡の細面だ。身体もひょろっとしているけど、結構頼りがいはある。今も確か卒業式に向けてのクラスの係決めの内容を、委員長と一緒になってまとめていたはずだ。川本夕里は、うちのクラスの副委員長だから。
「ん、何?」
確かさっきのホームルームで、円満に係は決定したはずだよな、と思いながら川本の元へと足を向ける。
川本は俺の不審げな表情に気付いたのか、焦ったように両手を振る。
「あ、ちょっとどころかかなり個人的なことだから。係とか関係ないから」
「……前置きありがと。んで?」
川本が俺のことを呼び止めるなんて珍しい。珍しいからこそ、呼び止められた理由が分からなくて首を傾げる。
「確認なんだけどさ、凛子といつから付き合ってるの?」
……川本の言葉の意味が了解できるまでに、いつもの倍以上の時間が掛かった。
「へ?」
「え? 付き合ってないの?」
「……付き合って、る? って、俺と続木さんが?」
「……違うの?」
心底不思議そうに尋ねてくる川本を、俺は溜め息と共に見返す。
「そう見える?」
「見えなきゃ、聞いてないけど」
自問する。
付き合うっていうのは、要するに男女の関係の一つで、恋人同士ってことだよな。
俺と続木さんが、恋人?
「……えーと、まだ付き合ってない」
「まだってことは、凛子と付き合う予定があるってこと?」
「待った。何で川本に喋んないといけないんだ」
「あ、幼馴染みとして聞いてるだけだから。あんまり気にしないでいいよ」
苦笑して首を傾げる川本。まあ、確かに幼馴染みというだけでかなり続木さんに振り回されてる川本からしたら、恋人の有無は気になるところかもしれない。
「川本と続木さんって、いつから幼馴染みなの?」
「家が近所だし、同じ保育所通ってたから、年少からかな。結構長いよ」
「……続木さんが心配?」
聞くと、眉尻を下げて笑う川本。
「そりゃ、一応、幼馴染みだから」
「……心配しなくても、心配するようなことはしないよ」
思わず、硬い声が出る。
信用しろとは言わないけど、わざわざ確認しなくてもいい気がする。
それこそ、付き合う付き合わないなんて本人同士のことだし、たとえ幼馴染みだからって口を出せる部分と出せない部分があると思った。
その分、続木さんが大事にされてるってことなんだろうけど。
「そう、それなら安心。ああそれと、一番おっかないのは俺じゃなくて凛子のお兄ちゃんだから」
「え、お兄ちゃんいるの?」
「うん、いるよー。普段はおっとりしたいい人なんだけど、凛子と自分の彼女が絡むとおっかないんだよね。性格変わっちゃう」
聞いて良かったのか悪かったのか微妙な情報だ。
「へ~。じゃあ、気をつける」
「そうするといいよ。あ、話はこれで終り。引き止めてごめん」
済まなさそうに顔の前で手を立てて、俺に謝る川本。俺よりタッパあるのに、愛嬌がある。いいな、と少し思う。
つーか川本にも彼女いないじゃん。その辺どうなってんだよ。
聞きたい気もしたけど、今は突っ込んで聞くタイミングじゃない気がした。……何となくだけど、そのうちじっくり聞く機会もあるだろう。
「いや、いいよ。じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
川本の笑顔に見送られて、俺は特別棟に向かって歩き出す。
頭の中にもやもやとした、いまだ回答の出てこない自問を抱えながら。
図書室の扉を開けると、カウンター席に座っている続木さんが顔を上げる。俺を見ると、安心したように笑った。
俺はいつものようにカウンターに近寄りつつ、手に持っていた本を台の上に置く。
彼女もいつものように本のバーコードを読み取ると、「返却承りました」と、澄ました口調で言う。
「じゃあ、借りるの見てくる」
「はいー、いってらっしゃい」
続木さんは俺を見送ると、椅子に座って参考書と格闘を始めた。
……よーしよしよしよし俺、完全に普段通りだった。ナイス、俺。グッジョブ、俺。
続木さんからは俺の顔が見えない場所に行くと、深々と息を吐く。顔が熱い。鼓動が早い。思わず顔を片手で覆う。
俺が彼女を好き? 付き合う? 恋人になりたい?
自問には回答が出ない。けれど、回答が出ないということが、一つの答えであるとも思った。
答えを出すのを躊躇っている。つまり、付き合いたくないわけじゃない。
認めていなかっただけで、多分、俺は続木さんのことが好きなんだと思う。……女の子として。
顔を上げて、カウンターの向こうで参考書に向き合っている彼女を見る。髪の毛だけはきちんと手入れしていると、この間教えてくれた。結構高めのシャンプーを使っているのだとか。隣町の本屋の近くに大手薬局があって、そこで切れそうになっているシャンプー購入に付き合っただけだけど。
言葉の通り、髪の毛は綺麗だったりする。黒くて艶々してて、さらさらと指通りが良さそう。何回か触ってみたいとは思った。そのときはまだ、友達だしそういう接触ってどうなんだろう、と思ったところで終わったような。
……付き合う、か。
考えながら、足元に視線を落す。
問題はある。彼女が、俺を好きかどうかってこと。
こればかりは、こちらの好意だけじゃどうしようもない。
かといって、今確かめるのは性急に過ぎる。そんなに焦りたいわけでもない。今すぐ結果が知りたいってことも、ない。
俯いていた顔を上げて、続木さんを見遣る。彼女は真剣に参考書を見つめている。動く手元が、本気で頑張っていることを教えてくれる。
数回深呼吸をして、気分を落ち着かせる。
続木さんとの関係を進ませたいか否かって、そりゃ是、だ。
なら、少しずつ向こうに意識させるのが常套手段というものだろう。
焦らないでいい。少しずつでいい。急激にことを進めたら、彼女はきっとびっくりして距離をとる。……志田のときのように。
なら、ほんの少し俺のことを意識してもらう。
さ、頑張ろう山階青史。この勝負はそんなに分が悪くないはずだ。
少なくとも続木さんは、俺のことを憎からず思っていてくれていると思うから。