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3、惚れた腫れたはまだいいや!

 


 夏休みにこの階段を昇ったときは、まさか体育祭明けから、何となく通うことになるとは思いも寄らなかった。

 人生で一番遠いもの。それが文字であり、文章であったはずなのに。



「どったの、山階くん」

「あ、続木さん」

 文庫本の棚の前でボーっとしてたら、同じクラスで図書委員の続木さんに声を掛けられた。

 初対面では怒りすら湧いて、絶対に仲良くなんかなれない苦手な人、という印象だったのに。

 体育祭前に、大縄飛びで俺を飛べるようにしてくれたのが続木さんだった。

 いやぁ、ありがたかった! 同じクラスの男連中は、殆どが運動部に所属していて、放課後、俺の練習に付き合ってくれるような生ぬるい覚悟で部活やってる奴なんて居なかったから、一人寂しく練習しないといけないのかなーとか、考えてたんだよな……。

 いやはや。

「ちょっとね、何か読もっかなーと思ってて」

「ほうほう」

 俺のテキトーすぎる呟きに、続木さんは目を輝かせた。待ってました! と言わんばかりのその表情に、ちょっと引いて彼女を眺める。俺、何か喜ばせるようなこと言ったのか?

「山階くんみたいな人が……って失礼か。でも君みたいな人が図書室に来てくれて、挙句『何か読もうかな~』とか呟いてくれることが……あ~! 嬉しいな~!」

 一気にそう言い切った続木さんに、ああなるほど、と俺は納得する。

 さすが千円分の図書券のために、第一印象最悪な俺の練習に付き合うだけあるよなぁ。

 でもまあ意外と分かり易い性格と、ちょっとだけ高いプライドと、子供のようでいて時折大人な判断をする彼女に、志田に対するあの反応は仕方のないことだったのかな、と想像する俺がいる。

 色気皆無なのだ、彼女は。

 それっぽい感じというか、艶とか、花開きそうとか。「私はカンケーないし」って態度で、磨く素振りすらないのだ。

 恐らく志田の一人相撲だったんだと思う。

 確かに喋ってることは面白いし、それなりに気配りは出来るし、そこそこ見られる容姿だし? いわゆる「告ったら何とかなりそうじゃね」という雰囲気。

 でもそれは、色眼鏡で見た場合だ。自分に都合の良いフィルタを掛けて見た場合、というか。

 ま、色気の欠片もない食事風景や普段の生活態度を見てれば漸う分かりそうなものだけどな。

「どんなの読みたいの?」

「んー、泣ける良い話とか」

「……涙腺刺激する話は専門外だな~」

「続木さんはどんなの読むの?」

 続木さんは微笑んだ。スッピンなのに白くて綺麗な肌は、化粧水くらいは付けてるからなのかな。

「人がいっぱい死ぬ話とか!」

 ほら、色気無い。



 続木さんのレビューを当てにせず、適当に図書室内を巡る。

 学術書には全く興味がないから、現代文芸図書のあたりをうろうろとしていた。

 ふと、目を引く題名の本があって、棚から抜き取る。ぱらぱらとめくってみて、最初の数行を読むと、女の一人称小説。ちょっと興味が湧く。よし、読んでみよう。

 貸し出しカウンターに行くと、続木さんがテーブルに突っ伏して寝ているのが見えた。寝た!? この数分で!?

 就寝スピードの速さに目を見開いていると、続木さんがもぞもぞと頭を動かした。髪の毛に隠されていた顔が露わになる。当たり前だけど、眼鏡が外されていた。

 乱れた黒髪が縁取る頬は、くっきりとした白さで、思わず触りたくなる。そして意外と長い睫毛が、彼女の顔に絶妙な陰影を与えていた。

 うわ。

 これはやばいでしょ。

 続木さんのことなんとも思ってないはずなのに、思わず生唾飲んじゃうくらいには。

 放課後の図書室は、いつもなら受験に向けて3年生が席を奪い合うぐらい賑わう。それが今日に限ってなぜか「受験生オリエンテーション」なるものがあり、普段図書室を使うような先輩方は、全員その行事に出席していた。

 司書室の先生はさっき職員室へ行ったのか、例のなかなか閉まらない図書室の扉を開けて、出て行った音が聞こえてきた。

 この、本に囲まれた空間にいるのは、今、俺と、続木さんのみ。



 うわーー。

 どーすんの?

 どーすんのって……。

 ちらり、と続木さんを盗み見る。鼻から息を吸って、ちゃんと口から吐く呼吸をしてる。少しだけ開いた唇が見えて、心音がうるさくなる。


 俺はっ、これでもっ、健全っ!! な男子高校生ですよっ!?


 いつもだったら赤くなるはずのない顔を、両手で覆って嘆いてみる。もちろん、目はしっかり続木さんに釘付けだ。

 何でいつもは気にならないのに。

 淡い唇がしっとりして柔らかそうとか。

 ほっぺたスベスベしてそうとか。

 うなじ白すぎとか。

 手首細いとか。

 ――いつもは、気にもならないのに……。



 こういうとき、女の子、という生き物が、とても理不尽なものに感じられる。陥れるだけ陥れられているような、手玉に取られたような。

 敵わない、とかさ。

 酷くない?

 いつもは「そんなこと出来ないし」みたいに、主導権という主導権を、最終的に誰かに委ねてるような子が殆どなのに。

 ほんっと、ひでぇ。

 卑怯と言ってもいいよな、これ。



 そ、っと右手を伸ばす。

 カウンターから、カウンターの向こうの机にうつ伏せる、続木さんの左頬に。

 もう少しで触れる距離。

 右手の指に、彼女の吐息が掛かる。

 心臓がすごい速さで動いているのが分かる。

 顔、熱い。

 あ……俺、息止まってる。

 止めていた息を、ゆるく静かに吐き出す。

 熱が引き潮みたいに、静々と引いていくのが分かった。



 彼女の吐息を感じていた右手を少し引き、続木さんの左肩を遠慮なく揺する。

「続木さーん、起きて!」

「う……ん、あと、にふ……ん」

「お願い、頼むから起きて。俺、今日用事あるんだ」

 そう言うと、彼女は非常に大儀そうに、上半身を机から起こした。左手で目をこすり、右手で眼鏡を探して器用に片手で掛ける。

「どったの、山階くん」

「これ、貸し出し」

「あー、はい、ちょっと待って」

 面倒くさそうだった続木さんが、起き抜けにしては素早い動きで『うたかた/サンクチュアリ』の裏ページにある、バーコードを読み取る。そして、カウンターの下から、返却日が記された栞サイズの紙を取り出し、本の適当なページに挟んだ。

 いつもなら、そのまま俺の方に本を差し出してくれるのだが、今日は少しばかりそのタイミングがずれた。じ、っと眠そうな目で、本を睨んでいる。

 寝ぼけてるのか?

「続木さーん?」

「あっと、ごめん。急いでるんだったね!」

 我に返った彼女は、本を俺の方に正面がくるように持ち直して、はい、と手渡してくれた。

「お疲れ! また明日ね!」

 爽やかな笑顔でそう言うと、続木さんは机の上に置いてあった文庫本を手に取り、俺に笑い返す。

「うん、また明日」

 俺はカバンの中に本を突っ込みながら、いつもどおりの彼女に笑いかけた。

 さっきの対応に、一抹の不安を抱きながら。



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