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ヤマアラシの少女 第5章

 どうして事件のあらましを海月から聞いた時に気づかなかったのだろう。

「月凪家の長女ってあいつのことだったのかよ」

 妙な格好で歩き回っていたことも、世間一般の常識に疎いことも、事情を説明したがらないことも、すべて納得がいった。

「痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたい――」

 雛子は泣いていた。もしかしたら、そのことに忍が気づかなかっただけで、はじめから雛子は泣いていたのかもしれない。

 気づけたのは、透花だけ、だったのかもしれない。

 彼女の泣き顔を見ているうちに、胸が痛くなってくる。

「あー、くそ。さすがに責任感じるぜ」

 雛子が滅茶苦茶に腕を振り回す。

 腕の延長線上にある地面に、ダダダダダと穴が空いていく。弾痕によるお絵かきはとどまるところを知らない。壁面を抉りながら登り、観客席のイスを次々に破壊し、最上段の鉄柱についている照明装置を砕いた。

 物陰に隠れる忍と海月に、照明のガラスが降り注ぐ。頭を庇いながら忍はぼやく。

「うわっと、見境ないな」

「狙い撃ちの方が、先読みできるからまだ対処しやすいわ」

 雛子の棘は腕だけでなく、全身から発射されている。これでは身動きできない。

(ダメだ。混乱しちまってなにすればいいかわかんねえ)

 忍の脇で、壁の欠片が飛び散った。棘が壁を貫通したのだ。恐怖と緊張に血の気が失せる。喉の奥からは酸っぱいものがこみあげてくる。今度は左手のすぐそばで壁が撃ち抜かれる。慌てて左手を引っ込める。ここに隠れていられるのも時間の問題――

 ふいに。

 ピリリリ、ピリリリ。味気ない着信音が鳴る。目立つのはまずい。ポケットから携帯を取り出し、慌てて切ろうとし、手元が滑る。

『もしもし』

 通話ボタンを押してしまったようだ。

『……忍くん』

 かけてきたのは透花だった。声が固い。まだ朝のことを怒っているのだろうか。

「透花、悪い。今は電話してる場合じゃないんだ」

『〈ホーム〉のお仕事中なのは知ってます」

「どうしてそれを」

『保奈美さんに看病するよう呼ばれて、……それで話を聞きました』

「あの女……」

 忍は呻く。病人はおとなしくていて欲しい。

『雛子さん、そこにいるんですよね』

「それも聞いたのか」

『はい。雛子さんが抱えていた事情も、なにもかもすべて。今、彼女の様子は?』

 忍は観念し、ありのままを伝えることにした。

「最悪だ。暴れ回って手がつけられない。もう堕ちてると思う。ぶっちゃけ、今まさに殺されそうだ」

 受話器ごしに、透花が息を呑むのが聞こえてくる。

「悪かったな」

『え?』

「お前の気持ち無視してさ」

『……いいんです。わたしのこと心配してくれてるのはわかってましたから』

 透花は静かに語った。

『わたし、雛子さんのことを他人とは思えないんです』

 それは、雛子の境遇を聞いた時、忍も思ったことだった。

 その生涯を屋敷の奥で過ごしてきた雛子の生き様は、二週間前まで病院から出たことがなかった透花と重なった。

『なのに、わたし、なにもできません』

 切実な声音が鼓膜を打つ。胸を、打つ。

「わかった」

 ふいに、口を割って出たのは、そんな言葉だった。

「助けたいんだろ、あいつを」

『はい』

「だったら、助けよう、あいつを」

『はいっ!』

 力強く透花は頷いた。

『ありがとうございます』

「礼ならまだ早い」

『でも。保奈美さんから、雛子さんが堕ちているって話聞いた時、わたしはもうダメだと思ったんです。雛子さんを助けられなかったって思ったんです。それなのに忍くんは諦めてない。やっぱり、忍くんは強いです』

 強いなんて、伊吹忍からもっともかけ離れた言葉だというのに、伊吹忍は弱虫で臆病者のはずなのに、透花は迷うことなく言い切った。

 忍だって雛子を殺すしかないと割り切っていた。諦めていた。

 だけど。

 不思議と今なら、どんなことでもできそうな気がした。

「ちょっとなにをする気?」

 海月が血相を変えて服を引っ張る。忍はその手を押し返し、言った。

「助けなきゃいけない理由ができたんで」

 そう言って忍は、勢いよくフェンスを乗り越えた。



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