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ヤマアラシの少女 第4章


「準備はいい? 行くわよ」


「はい」

 内から外へと開く分厚い扉を押し開け、二人は外へと飛び出した。

 空っぽの観客席に周囲をぐるりと囲われた楕円の空間は、まさしく現代のコロシアム。戦いの舞台としてこれほどふさわしい場所はない。だとしたら自分は、死闘を演じる競技者か。

 忍は緊張に身を固くする。相手は背筋が凍るような殺気を発してきている。血液が沸騰する。張りつめた空気が五感を研ぎ澄ませる。この感覚が、いつだって忍を酔わせる。

 書き割りのように感じていた世界が、鮮やかな色を取り戻す瞬間だからだ。

〈ホーム〉の狩人をしている時こそ、本当の生を実感できる。

 芝のグラウンドの中央には、棘の鎧が鎮座している。

 あれは、敵。

 呪文のように自分に言い聞かせる。月凪さん家の長女さんに恨みはないが、仕事だからとすっぱり割り切る。

「起きなさい。〈秋星秘儀の断章(フォマルハウト・フラグメンツ)〉」

 冷たく唱える海月の〈撃鉄単語(トリガー・ワード)〉に呼応し、彼女の全身に、見たこともない文字が浮かぶ。耳なし芳一の逸話を連想させるが、それは怪異を退けるありがたい文句などではなく、むしろ怪異を内側に取りこむ恐ろしい呪詛に見える。

「出ろ、〈アダマンタインベイン〉」

 力強く唱える忍の〈撃鉄単語(トリガー・ワード)〉に呼応し、右腕の毛穴から爆発するように粘液が吹き出し、右腕を包み込む。

 人の形が、軋み、歪み、蠢き、変わっていく。

 瞬く間の時に、黒真珠のように鈍い輝きを放つ盾が、現れる。

 面に刻まれた、折りたたまれた翼を思わせる溝が、名前を呼ばれたことで嬉しげに疼く。

 盾の召喚。

 それが忍の能力だった。

 目標が、忍たちに気がついた。ゆっくりと立ち上がって視線をめぐらす。二方向から駆け寄ってくる人間たちを、すぐさま敵と認識し、ぐっと腰を落とす。

 ざわり。

 棘の山が揺れる。その姿はさながら獲物を待ち受ける野生動物のようだ。

 それを見て、忍は眉をひそめた。てっきり逃げ出すと思ったからだ。この状況で待つということは、それだけ自分の防御能力に自信があるということか。

 あるいは――

(嫌な予感がする)

 その時である。逆側から走ってきた〈ホーム〉の狩人が、もんどり打って倒れた。


 たーん、と。

 後から追いかけるように小気味の良い音が響く。

 

「攻撃された。あの距離で!?」

 忍と海月はとっさに地面に伏せた。頭上を風が横切る気配がある。


 たーん、と。

 再び音が鳴り響く。


「鎖の記述。伸びなさい――〈魔狼の銀鎖(グレイプニル)〉」

 海月の身体を這う文字が、螺旋を描いて手のひらから溢れ出し、空中に立ち上がる。

 折り重なった文字列は、銀の鎖へと形を変え、矢のような速さで伸びる。

 綺麗なアーチを描き、鎖が観客席の手すりに巻き付くと同時、今度は鎖を短くする。

 末端が固定されているために海月の手元から短くなっていき、結果ウィンチの如く海月の身体を引っ張った。

「冗談じゃないわよ」

 走るよりもずっと速く移動する海月は、すれ違いざまに忍の手を取った。

 二人を牽引することになっても、その速度は変わらない。

 それどころかさらに増していく。

「いてててて!」

「我慢なさい。死にたいの!」

 柔らかい芝の上とはいえ、激しくこすれる背中は、火事になりそうだった。足下で、芝がえぐれた。海月の言うとおり、敵の攻撃は続いているのだ。

 やがてトラックを通り過ぎ、観客席に飛び込んだ二人は、死にものぐるいで物陰に身を隠す。息を荒げながら、忍は愚痴った。

「遠距離攻撃できるなんて聞いてないぞ」

「わたしだってそうよ」

 海月が言った。

 長い黒髪が、ほつれて顔にかかるのをなおそうとする余裕もない。

「聞いた? 音が後から聞こえてきたわ。音速超えてるわよ。まるでライフルね。射程も同じくらいあると考えた方がよさそうだわ」

「それってどれくらいですか?」

「確か射程一五〇〇メートルはあるはずよ」

「うげえ」

 それだけあれば、陸上競技場すべてをカバーできる。

「棘を飛ばしてるんだわ」

 物陰から手を伸ばし、手鏡で目標を確認しつつ、海月は呟く。

 二人を見失った結果、目標は身動きとれなくなた狩人を痛ぶり始めた。棘の鎧が身じろぎするたび、倒れている人影がビクンビクンと跳ね回り、後から「たーん」と音が鳴る。

 その光景に海月は、冷たい怒りを瞳にたたえる。

「狂ってる」

「迂闊に頭出さないでくださいよ。狙い撃ちされます」

 見ず知らずの狩人よりも、海月の方が心配だった。

「わたしたちを誘ってる? 違う、そうじゃない。あんなに撃ち込んだら、あの人死んでしまうわ。狙撃の餌は生かさず殺さずがセオリーなのに。あれは、ただ楽しんでるだけ。もうだめね、堕ちてるわ」

 吐き捨てるように海月は言った。

 堕ちてる。

 その言葉に忍はピクリと反応する。

 能力を暴走させたうえに、そのまま理性を取り戻せなかった影響者を、畏怖と憐憫を込めて〈堕ちた(アウトサイダー)〉と呼ぶ。影響者にとって最悪の末路である。〈堕ちた(アウトサイダー)〉は人間でありながら、〈異形〉の怪物として〈ホーム〉の狩人に処理されることになる。

 殺す以外に、目標を止める手段はないということ。

 覚悟を決め、割り切らなければいけない。

「まずはあいつに近づかないと」

 緊張に手が震えてくる。

 忍の呟きに海月は首を振った。

「近づく必要ないわ。わたしにはこの距離から敵を攻撃する手段がある」

「だったら最初から使ってくださいよ」

「発動に時間がかかるうえに、威力がありすぎるのよ」

「なるほど」

 もともとは捕まえるつもりだったから、使わなかったのだ。

「そこであなたには、わたしが能力を発動させるまでの間、狙撃からわたしを守って欲しいの。やってくれる?」

 音速を超える棘の前に、姿をさらせと言っているのだ。

「…………マジですか」

 背筋に寒気が走る。膝が震えてくる。歯の根があわなくなってくる。動悸が激しくなるばかりで、胸が苦しい。責任が肩に重くのしかかる。

(そんなことおれにできるのか)

 左手で、盾の表面をなぞる。

〈アダマンタインベイン〉。

 それが忍の能力の名前。

 その意は、折れない翼。

 恐らくこの盾なら棘に耐えられる。問題は棘の速度に対応できるかだ。

 海月は決意を滲ませた表情で、じっと忍の返答を待っている。

「それしかないんでしょ。やりますよ」

 ため息とともに告げた。

「意外とあっさりね。星見さんの時みたいに助けようと言い出すかと思ったわ」

 今回、その発想はまったくなかった。

 確かに透花の時は、堕ちかけた彼女を助けようと提案したが、

「見ず知らずのやつに命にかけるほどできた人間じゃないです」

「彼女は特別だったわけね」

「そんなんじゃない」

 ぶっきらぼうに返す。

「今はわたしのために命を賭けてね。頼んだわよ」

 海月は忍の肩を叩き、立ち上がった。忍も彼女に続いた。

 棘の鎧が、こちらに向き、腕を突き出した。

「槌の記述――」

 意識を集中させ、〈撃鉄単語〉を唱える海月。彼女の手のひらから、文字の連なりが湧き出し、空中で踊り始める。

 忍は右腕の盾――〈アダマンタインベイン〉をかまえて、彼女の前に出る。楕円形の盾は身体全部を守れるほど大きくない。急所である頭と胴がカバーできるように、敵に対して水平に立つ。そして両足を大きく踏ん張り、重心を落とす。

 その瞬間、盾が大きく揺さぶられた。

(なっ!)

 あまりの衝撃に右腕が跳ねあがる。撃たれたのだ。血の気が引いた。胴体ががら空きになった。急いで右腕を戻す。

 息をするのが辛い。心臓が破裂しそう。膝は情けないほどに笑っている。

 再びの衝撃。

 今度は耐えることができた。

 ――痛い。

 胸の奥が、突き指されたようにズキリと痛んだ。

 傷を負ったわけではない。

 幻痛だ。

 この攻撃は、痛い。

 棘の一撃一撃に、悲しみと孤独が込められているのだから。

「しゃがんで!」

 そのかけ声に忍は従い、しゃがんだ。

 準備が整ったのだ。

 いまや海月の手には、身の丈サイズの巨大な鉄槌が握られている。鉄槌は武者震いするかのように頭部でバチバチと紫電を散らす。

「――粉砕せよ。〈武雷の投槌(トールハンマー)〉」

 海月は大きく振りかぶり、投擲。

 恐ろしいほど巨大な鉄槌が、唸りを上げて空を飛ぶ。

 超常の力により作られた鉄槌はまっすぐ敵に向かい、着弾。

 稲妻が落ちたかのような轟音とともに、溜め込んでいたエネルギーが炸裂。

 グラウンドの土や芝が盛大に吹き上がる。

「やったか」

 忍は観客席から身を乗り出す。土煙が晴れていくのを見守る。

 土煙が晴れ、目標が姿をあらわした。

 いまだ――両の足で地面に立っている。

「うそ、でしょう。まさか外れた?」

 海月が愕然と声音を奮わせる。

 目標の背後には、大きなクレーターができていた。

 海月や忍たちは気づかなかった。

 目標は飛来する鉄槌に、棘を撃ち込んでいたのだ。結果、鉄槌の進路はそれることになり、目標を直撃することはなかった。

「いや、かすってる」

 直撃することはなかったが、鉄槌は目標の頭部をかすめていた。その証拠に仮面と兜にひびが入っている。目標は痛みに耐えかね、頭を抱えて身をよじった。仮面と兜が砕け散った。

「おいおい、ふざけんなよ」

 あらわになった素顔を見て、忍は声を荒げた。

 雛子。

 行方不明になったはずの女の子が、そこにいた。


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