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醜い子 〜精霊女王の島 ~

作者: 千椛

 巨大な湖の真ん中に、ポツンと浮かぶ島には、一本の木が、島を覆うほどに枝を伸ばしていた。

 それは精霊女王の木。島に生えているのは、その木と白詰草だけだと言われている。

 その事を確かめた者はいない。なぜなら女王は人が島に近づくのを、酷く嫌ったからだ。近づく船は全て沈められ、遺体も上がることはない。多くの者が島を目指したが、彼等が戻ることは無かった。

  

 時が経ち、いつの頃からか女王の木は、別の名で呼ばれるようになった。『世界樹』と……



 **



「相変わらず、不細工だな」


「うるさい!そんな事を言うのなら、来るな!」


 兎の顔に、ロバの足と尾を持つ異形の者。彼女は村外れの草原に小さな小屋を建て、一人で住んでいた。

 名は無い。ただ、頻繁にやってくる少年だけは、彼女をクイニーと呼んでいた。


「ここは、昼寝に丁度いいからな」


 白詰草の上に寝ころび、鼻歌を歌う。それは少年の村に伝わる作業歌で、クイニーも麦の収穫時に何度か聞いたことがあった。

 こっそり少年を盗み見る。少し垂れ目の三白眼。でも、その瞳の色はきれいな緑色をしており、透き通るような銀の髪は、キラキラとまばゆい程だ。

 けれど口を開けば、意地悪なことばかり言うこの少年を、クイニーは煩わしく思っていた。


(醜いのは、自分でも判っている……)


 四肢がズングリとして、その全てが茶色い己の姿を眺め、ため息をつく。 


(せめて、もう少し……)


「ほら、食えよ」


 それでも、こうして時々村で採れる果物を持ってきてくれたりするから、邪険に出来ずにいた。この日もリンゴを二つ持ってきており、そのうち一つをクイニーに手渡してくる。


 シャリシャリと少し酸っぱい果肉を噛みながら、再度少年を観察する。緑の瞳を縁取る睫毛は長く、鼻筋も真っ直ぐだ。


(上を向いている兎の鼻とは、大違いだ) 


 彼女が三つ目のため息をついた時、


「しばらく、来れないんだ」


 ボソリと告げられた言葉に、ツキンと胸が痛んだが、気づかないふりをする。


「なんで?」


「戦がさ、始まるんだ。俺も行かなきゃならない」


 少年の話では、すぐ隣の大国は、大陸全土を支配するという野望を持っているらしい。


「守らなきゃな。小さいが、ここは俺の故郷だ」


 言いながら長い耳を引っ張られ、クイニーは痛みに涙が滲んだ。





 その日クイニーは、朝から胸が潰れそうに痛かった。嫌な予感は頭に居座り、動こうともしない。

 だから、走った。少年の無事を確かめたくて、それだけの為に安全な草原を出て、戦が行われている地へと向ったのだ。ありったけの勇気を、かき集めて。


 怒号と悲鳴が飛び交い、金属がぶつかる音が響く中を、彼女はひたすら走った。


 不格好な脚は、凄まじい速さで大地を蹴り、大嫌いな耳は彼の気配を拾い、忌々しい鼻は彼の臭いを探し当てる。


(いた!)


 やっと見つけた少年は地面に倒れ、多くの血を流していた。綺麗な緑の瞳も、片方が潰れている。

 クイニーは膝をつき、その身体を抱き起こした。少年は彼女を見てひどく驚いたが、直ぐに力無く笑い、


「駄目だろうが……ここは、危ない」


 震える指先で、クイニーの鼻をつつく。溢れる涙で声さえ出せず、ただ、首を振るしか出来ない。 


「泣くなよ。一層、不細工になる。だから、笑え……」


 言いながら耳を引っ張るその手が、落ちた。




 その時、世界から音が消えた。正確には、周りの全ての音が、呑み込まれたのだ。クイニーの『嘆きの叫び』によって。


 辺り一体の地面にひびが入り、幾つもの塊となって弾け飛ぶ。それは戦場にいた者達を敵味方関係なく襲い、やがて全員が息絶え、土砂の下敷きとなるまで続いた。


 残ったのは、クイニーの周りを残して大きくえぐれた大地と、遙か向こうに見える、少年の一族が住む村だけだった。


 いつの間にか成長した己の四肢を見て、クイニーの顔が歪む。美しく成った訳では無い。ただ、ズングリとしていた手足はスラリと伸び、茶色かった全身が白銀となり、輝いている。


(なぜ、今になって……せめて、あと少し早ければ……)


 彼女は己が何者か、知っていた。『精霊王の娘・ビシューラ』。次代の精霊女王。

 ただ、生を受けてから数年どころか、何十年経っても、思うように力が発現出来ない己が嫌になった彼女は、一族から離れ、名も捨てて、一人で暮らしていたのだ。


 そんな事を知らないまま、彼の村の人々は、彼女があの草原に住むのを受け入れ、護ってくれていた。異形で何の役にも立たない彼女を。


 動かない想い人の身体を、きつく抱きしめる。


(違う……力が使えなくても、出来ることは色々あったのに……)


 少年から向けられる笑顔に、勘違いしてはいけないと自分に言い聞かせ、わざと無愛想にしていた。名を聞くと、執着が生まれそうで、聞けずにいた。次はいつ来るのかと聞くことさえ怖く、果物をありがとうと言うことも、出来ずにいた。


(全部私が、臆病だったから……)


 悔やんでも悔やみきれない思いに、さらに涙が溢れる。腕の中の少年の、もう何も映すことの無い一つだけの目を、掌でそっと閉じた、その時。


 ポツリ。


 その背に雫が落ちる。見上げると、雨が降り出していた。その途切れることのない水滴は、クイニーの涙と混じり、少年の身体の血汚れを落としながら、大地へと吸い込まれていった。


 雨は三日三晩降り続き、えぐれた大地はやがて、大きな湖となった。

 クイニーは島の中心に少年の亡骸を埋め、墓の代わりに種を蒔いた。あの日、少年がくれた林檎の種だ。

 

 それは瞬く間に芽を出すと、鮮やかな緑の葉を繁らせながら大きく枝を伸ばしていき、やがて島全体を覆っていった。



 **



 大陸の端にある、その小さな村は、大きな湖に寄り添うように在った。

 その岸には、稀に精霊女王の島から、世界樹の枝が流れ着く事があった。その枝は、海を行く船のお守りとして重宝された為、村人達はそれを売った対価をコツコツと貯め、歳月をかけて、女王のための神殿を建てた。




「じいちゃん、あの島には女王様が居るって、ほんと?」


 その日、赤い巻き毛の幼子が祖父に手を引かれ、湖岸に来ていた。幼子の母は具合が悪く、祖父が面倒を見ている。

 この日は、日課である女王の神殿に詣った後、二人でここまで足を伸ばしていた。


「あぁ。精霊の女王様が、住んでおられるんだ」


「ひとりで?さみしくないのかな」


「どうかな。誰もあの島へは行けないから、きっと来てほしく無いんだろう」


「ふーん……あっ、何か落ちてる!」


 繋いでいた手を振りほどき、水際へと走り出した幼子が拾い上げたのは、世界樹の枝だ。しかも。


「これは……坊主、運が良いな。葉が付いている。この葉は薬になるんだ」


 世界樹の葉を煎じたものは、万病に効くとされている。それが付いていたのだ。祖父の言葉に、幼子が笑顔になる。


「なら、母ちゃん治る?」


「きっとな」


 老人は枝を大事そうに受け取ると、湖に向かって、深々と頭を下げた。



 **



 月を映す湖に、小さな手漕ぎ舟を押し出す。楽しげに歌をくちづさみながら。赤毛の幼子は、今は少年と青年の間へと成長していた。


 舟に乗り込むと、ゴロンと寝転がり、夜空を見る。少し歪んだ月は今、天頂にあり、そのため星々はいつもより遠慮気味に輝いていた。

 寝転んだまま、歌の続きを口付さむ。大昔の、すでに忘れられた歌だが、(たが)う事なく旋律が刻まれ、その手には2つの林檎が握られている。


 舟は月に導かれるように、真っ直ぐに島へと向かって進んでいった。



 翌朝、村の人々は奇跡を見た。世界樹に薄桃色に輝く花が、咲いていたのだ。

お読み頂き、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 結局のところ大人になれば、やはり何かしら変わってしまうのでしょうが、口は悪いけれど優しい彼とクイニーの日常をずっと見ていたくなりましたし、今回の件がなければああはならなかったというジレンマ…
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