第89話 再会2
カジエバ族の村で、ムハムとは別れた。自分の村へ帰りたいというので、いたしかたない。そこからはアベバをつれて、ナギ族の村へと旅立った。
岩山をこえ、荒地を渡るのに二十日。森に入り、カジエバ村までに二日。そこから二日。今日で密林は五日めを迎える。が、まだまだなれない。
じっさい、食べられる木の実から泉の見つけかた、方角の見かた、足音で聞きわけ、危険な獣を察知する方法など、アベバに頼らなければ、ユスタッシュたちはどうにもできない。
「アベバ。方角をたしかめてくれ」
アベバはユスタッシュがゆっくり話すブラゴール語を聞きとると、黒い顔のなかで真っ白な歯を見せて、ニッコリ笑う。丸い目、丸い鼻、肉厚の唇で、マハドを思いださせる。
(マハドも生きていれば、ちょうどこのくらいの年か)
よく笑う明るい少年だった。私の愛した人は、みんな私を置いていってしまうと、ユスタッシュはやるせなく思う。
(父も、母も、マハドも……エルヴェ。おまえのことも、私はたしかに愛していたよ。私の弟であり、息子でもあるエルヴェ。ユイラに残してきた友人たち。どうかみんな、お幸せに)
彼女のことは考えまいと、かたく心に決めていた。少しでも考えれば、きっと自分は取り乱してしまう。泣きわめき、がむしゃらに走りだし、ユイラへひきかえそうと必死になるだろう。
だから、深く、深く、念入りに封印する。
自分の心はすでに死んでいる。
ユイラを出てからずっと、激しい喪失感がユスタッシュをさいなんでいた。胸のなかがカラッポになってしまったような空虚。封印したものが、あまりにも大きすぎたから……。
(彼女はまだ十五。やがて結婚し、子を生み、私のことなど忘れてしまう。祖国をすてたバカな男など)
それが、ツライ。
ルビーに忘れさられれば、ユスタッシュの存在じたいが消えてしまう。そんな気さえする。
ルビーを失ったことで、ユスタッシュは自分自身もなくしてしまったのだ。
「白い人!」
樹上でアベバが叫んでいる。
ユスタッシュが見あげると、重なりあう緑陰のむこうから、スルスルと猿のように少年がおりてきた。
「今すぐ帰る。カジエバ村、狼煙」
するどい爪と牙で獲物をひきさく虎にも、頭のさきから尻尾まで、ひとめでは見られないほどの大蛇を前にしても臆さないアベバが、やけにあわてふためいている。カジエバ村で緊急のときにあげる狼煙がたかれているのだという。その狼煙を見たら、村の外に出ている者は全員、すぐに戻らなければならない。
「いかがされますか? ユスタッシュさま」
「我らの旅には無関係ですが」と、騎士たちは言う。だが、
「いや。病人の容態が急変したのかもしれないな。私に手助けできるとはかぎらないが、念のため帰ろう。どうせ、急ぐ旅ではない。数日遅れるのは、まったくかまわぬ」
ユスタッシュはそう決断して、通ってきた道を逆戻りした。カジエバ族は木から木へツルを使って移動できるのだが、ユスタッシュたちはそうはいかない。まるで壁のように生い茂る枝々を切りひらきながら進むので、行きははかどらなかった旅程も、帰りはすでに道ができているため早い。二日かかった道を半日で帰る。
村の入口で、アベバが言う。
「ラキ族襲ってきたかもしれない。白い人、ここで待つ」
言い残して、一人、村へ入っていく。
ほかの種族の襲撃なら、剣を持ったユスタッシュたちが力になれる。が、部族の争いに手を貸していいのか悩むところだ。それは外部の力で辺境をねじふせることになる。
「悪い知らせでなければよいのですが」と、リードは今のうちに逃げてはいかがかと言わんばかりだ。
ユスタッシュは笑った。
「今より悪いことなどない」
リードはまだ何か言いたげだが、口をつぐんだ。長年そばで仕えてきたリードは、ユスタッシュがすでに生きる望みを失ってしまっていると気づいているのかもしれない。
(この身はもはや風。なにものにも束縛されない。なにものにも必要とされない。ただ流されていくだけ)
風よりもかるい自分を、ユスタッシュは感じた。
だが、予想に反して、帰ってきたアベバは満面の笑みだ。
「白い人。喜ぶ。今すぐ来る」
手招きするので、戸惑いつつ、ユスタッシュは村のなかへむかう。
出迎えたのは元気のいい声だ。
「ユスターハン!」
まだあどけなさの残る、少年から青年へ成長しかけた若者。
「……マハド?」
信じられない思いで、マハドをながめる。マハドは感涙しながら抱きついてきた。
「あんたは変わってないね。ちっとも変わってない。ユスターハン」
「生きてたのか。マハド」
「それだけじゃないぜ」
マハドのうしろに、フェアフォードを初め、北空の一星号の乗組員がならんでいる。そして、そのまんなかには——
ユスタッシュの心臓が一瞬、止まった。
時も、音も、光も、まわりのすべてが静止する。
騎士たちにかこまれた、そのかぼそい手足の華奢な姿。妖精のように儚げで、夢のなかの天使のように光り輝いている。
私の少女。ユイラに残してきたはずの、心の奥底にムリヤリ封印した愛。私の片翼。
(私のルビー。私のすべて……)
ひろげた腕のなかに、少女がとびこんでくる。それは矢のように、ユスタッシュの胸をつらぬいた。
どうして抗えられただろう?
自分のことは忘れて幸せになってほしいなんて嘘だ。ほんとはこんなにも欲している。
今、目の前にして、ユスタッシュは彼女を受け入れること以外できない。
「ルビー」
「ユスタッシュ」
「あなたを愛している」
「わたしもよ。わたしも、あなたを愛してる」
深くくちづけながら、あふれるのは歓喜の涙だった。
明日で完結します。
今日はここまで。




