第88話 再会1
ユイラを発って、はや三月。
旅のあいだに、二十八回めの誕生日もすぎた。
ユスタッシュは思う。
これからはずっと、こうして虚しく年をとり続けるのだと。たった一人、異郷の地で。
いや、一人ではない。私にはまだついてきてくれる臣下がいる。
「ユスタッシュさま」
呼びかけられて、ユスタッシュはふりかえった。
「どうした? リード」
旅のあいだで日に焼けたリードが、丈夫な麻の服に身を包み、密林の風景に立っている。
重なりあう巨大な葉。悪臭をはなつ花。毒々しい色彩の昆虫や爬虫類。よじれた幹から、リードの肩さきに木のツルがたれさがっている。
ユスタッシュはあわてて、リードをひきよせた。
「毒蛇だ」
「えっ?」
サッと青ざめ、リードもかえりみる。木のツルに見えたのは、黒地にまだら模様の毒蛇だった。
「ウッカリしておりました」
「気をつけなければな」
蛇はピクリとも動かない。エサになる小動物が近づいてくるのを待っているのだろう。
「殺しますか?」
「いや、我々を襲うようすはない。ほっておこう。ジャマにならぬよう、私たちこそ退散しなければな」
「はい」
二人はくさった泥に足をとられないよう注意しながら、仲間たちのいるテントまで戻ってきた。生きるか死ぬかわからない無謀な旅に、それでもユスタッシュの行くところ、どこまでも供をすると言って、ついてきてくれた臣下たち。
リードを入れて十二人だ。
マナッシュ。ルトラム。メニシス。オルトランジュ。ボミテウス。ヴァニサイ。ラグリフ。シルディード。ベルグリード。カルディン。ギュスターヴ。そして、リード。
みな、愚かな主君を持ったばかりに、この人外境に骨をうずめるのか。きっと、この森の住人は、母国をなつかしむ異国人の亡霊を見るだろう。うっそうと暗い森のなかで、けばけばしい花にかこまれて、明るいユイラの空を思い、すすり泣く亡霊を……。
(母国をすてた私でさえ、まだ思いが残るというのに、ましてや忠義のためだけに故国を遠く離れ、二度と帰れぬのではな)
遺跡についたら、彼らを帰そうと、ユスタッシュは考えた。
初めから、目的のある旅ではなかった。ただ逃げだしたかったのだ。この身にからみつく、すべてのしがらみから解きはなたれ、自由になりたかった。彼を縛りつけ、窒息させる人々が追ってはこられないほど遠く。
だから、もういいのだ。それだけが目的だったのだから。
「ユスタッシュさま」
「お一人で出歩かれては困ります。御身に万一のことでもあれば、いかがいたします」
「さようですぞ」
悪い主君を持った不運な騎士たちは、ユスタッシュの気持ちを知ってか知らずか、不満一つこぼさず、誠心誠意つくしてくれる。
「すまない。変わった鳥を見かけたのだ」
鳴きかわす獣の声。薄闇に光る目。食われるものの声にならない悲鳴。長いものが這っていく、かすかな振動。密林の生命のざわめきに満ちた夜は明け、新しい朝が始まったばかり。
ユスタッシュの騎士たちは、気根を網のように張りめぐらせた巨木のもとにもうけたテントを片づけにかかっていた。
彼の身を案じてくれる臣下を、これ以上心配させる必要もないと、ユスタッシュは素直に謝る。ほんとはこの身などどうなってもいいのだと言えば、みなが血相を変えて、ムリヤリにでもユイラへつれもどそうとするに違いない。
「今日は一コールほども進めればいいのだがな。アベバ。方角をたしかめてくれ」
ユスタッシュは同行しているカジエバ族の若者に声をかけた。アベバはカジエバ族の酋長の息子で、かたことながらブラゴール語を解する。
カジエバ族の村についたのは四日前だった。ちょうど村でタチの悪い病が流行っていた。医者ではないユスタッシュでも、病人が沼の泥水を飲んでいるのを見れば、何が原因かはわかる。大急ぎ、樽に大小の石、砂利や炭をつめ、原始的なろ過装置を作ると、村人たちに渡した。さらには薬をわけあたえたので、二日の滞在で村人のほとんどが良好にむかった。感謝の印にと、酋長から道案内人として息子をさしだされたのだ。
「白い人、行きたい。神々の塔。カジエバの始まりよりもっと前からあった。森のむこう。草原のむこう。谷のむこう。近づく者、みな死ぬ。カジエバ、誰も近づかない。ナギ族、知ってる。白い人、ナギ族酋長に会う」
酋長のかなり怪しいブラゴール語と、カジエバの村までつれてきてくれた砂の民ムハムの、これまたかなり怪しいカジエバ語でかわされた会話を要約すると、そうなるらしい。
つまり、森をぬけ、草原をこえた谷のむこうに、神々の塔と呼ばれる遺跡がある。塔については、ナギ族の酋長がくわしく知っているに違いないというのだ。
近づく者がみんな死ぬというのは、たぶん、カジエバ族の迷信にすぎないだろうが……。




