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異世界源氏物語〜愛に形があるのなら私はあなたの翼になる〜  作者: 涼森巳王(東堂薫)
九章 つかのまの恋

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第79話 船上の決断



 ルーツ海を航海して三十日。

 船はいよいよ、ヴァグラの港に入った。


 サラエラはさきほどから、ひどく緊張している。それは見知らぬ外国に到着したからだけではない。ある計画のためだ。


「サーラ。今夜にはぬけだすのよ。とっておいたパンを麻袋に入れて」

「はい」

「今のうちに眠っておきましょう。入国手続きにしばらく時間がかかるでしょうし、一星号がいないか船長が探させるだろうから、結果を聞かないとね」


 船の旅は快適だった。下級乗組員のなかには女を船に乗せると海神の怒りを買うなんて迷信を口にする者もあった。が、おかげでかえって、ルビーたち二人は腫れ物のように放置されて、あまり人目につかない。計画には有利だ。


 夕刻にはまだ少し間がある。ユイラでいくつも港を見てきたルビーたちの目には、ヴァグラの港は乱雑でさびれて見えた。外洋から潮流が入ってくるのか、おだやかなルーツ海のわりに波が高い。風もきつい。

 ここはもうユイラではないのだと、ルビーはしみじみと実感した。


「姫。お食事を運んできました」


 扉をたたいて船室へ入ってきたのは、エルタルーサの忠実な騎士ラミアンだ。航海中ずっとお世話になった。数少ないルビーの味方だ。


「ありがとう。これを食べたら眠るわ。夜になったら起こしにきてね」

「かしこまりました。心細くはございませんか? 姫」


 思いなおすなら、これが最後だと暗に伝えてきている。


「わたし、暗くてせまい船室で船酔いを我慢するのは、もうコリゴリだわ」


 ラミアンは笑った。

「承知いたしました。では、そのように」

「船のようすはどう?」

「さきほど入国許可がおり、船員たちが上陸し始めています。船長は一星号を探させています」

「わかったわ。またあとで」


 ラミアンが出ていく。


 もちろん、ルビーは知っていた。ほんとに危険なのはこれからだと。

 大波の日にはベッドのなかでころがるほどのヒドイ船酔いも、星明かりも入らない船室の夜の心細さも、次の港まで何日も入浴できないで我慢するのも、そんなのは序の口。苦労のうちには入らないだろう。

 なんといっても、この船は大勢の騎士に守られている。ルビーに害悪を持つ者もいない。

 でも、これからはそうではない。いったい、いつ誰が、どんな理由で襲ってくるかもわからないのだ。人だけではない。ユスタッシュが死にかけた砂漠の砂虫のような得体の知れない生き物だって……。


 ましてや、ルビーはうら若い美少女だ。悪漢たちにはかっこうの餌食えじきだろう。

 ここへ来るまでにも、ユイラ沿岸の街では、ときおりやってきて娘をさらう海賊の話を聞いた。行方知れずになった娘が何年後かに外国のいかがわしい宿で見つかったときには、百歳の老婆のようになっていたとか。


 それでも、行くのだ。でなければ、ユスタッシュにはもう二度と会えないような気がする。


「わたし、明るいうちにお父さまやお母さまに手紙を書いておくわね。サーラ。あなたはさきに眠ってて」

「はい。姫さま」


 ルビーは厚いガラスをはめこんだ窓ぎわによって、外の明かりを頼りに手紙を書く。



『お父さま、お母さま。みんな、ごめんなさいね。帰ると言ったのは嘘です。わたし、ユスタッシュのもとへ行くわね。わたしは幸せ。ユスタッシュと二人なら、どんな苦労だって耐えられるわ。そして、いつの日か、きっと生まれ育ったわたしの家へ帰ります。どうか、どうか、お父さま、お母さま、おじいさま、おばあさま。ずっと健康で長生きしてくださいね。わたしはいつも、みなさまの幸せを願っています。


      家族みんなを愛するルビーより』



 書くことはたくさんある気がするのに、これ以上、何も思い浮かばない。時間もない。少し眠っておかなければ。


 今夜、こっそり、この船をぬけだすつもりだ。ルビーの脱出をエルタルーサは承知だが、船はベルモット侯爵の持ちものだ。当然、侯爵の騎士たちがたくさん乗っている。侯爵の命令で、ルビーはヴァグラの港で、ユスタッシュを探しに行く騎士の帰りを待つことになっていた。ここからさきはあまりにも危険だからと。


 でも、それでは最初のルビーの決心からは外れてしまう。ルビーはユスタッシュを追いかけて、どこまでも行くと誓っていた。ラミアンはエルタルーサが脱出の計画のために、こっそりつけてくれたのだ。


 ルビーはもう寝息をたてているサラエラを見て、ナイフをとりだした。きっとサラエラが起きていれば止められただろう。


(惜しんでる場合じゃないわ。ルビー。あなたはユスタッシュに会わなくちゃ。そのためには、こうしないとね)


 若く美しい娘は狙われやすい。エルタルーサだって、船の外へ出るには男の子のふりをしろと言っていた。


 ルビーは思いきって、背中をおおうゆたかな黒髪を切った。こてをあてなくてもクルクル巻いた女の子の憧れの的の巻毛を。肩にかからない長さでブツブツ切っていく。


(また伸ばすには何年もかかるわね。でも、ユスタッシュのためだもの)


 涙が出そうになったけれど、ルビーはこられた。

 髪を切ってしまうと、ずいぶん身軽になった。

 切り落とした髪をハンカチにくるんで、手紙のよこに置く。これでいっしょに届けてもらえるだろう。


 ルビーはサラエラのとなりにもぐりこみ、夜になるまで目をつぶった。

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