第76話 さよなら、ルビー2
だが、その言葉は飲みこんだ。
ルビーの肩を抱きよせ、今度は唇に接吻する。
「おやすみ。ルビー」
ルビーはそれをユスタッシュの返答ととったようだ。微笑して室内へ入る。
ユスタッシュはわざとゆっくり自室に帰った。部屋に戻ると、忠臣に命じる。
「リード。荷物をまとめなさい。誰にも気づかれないようにな。そのあいだに私は手紙を書く」
「閣下?」
「何、エルニルークへ帰るのだ」
リードは変に思っただろう。だが、命じられたとおり動きだす。
ユスタッシュはペンをとり、文をしたためた。
『親愛なるエル。君にどうしても頼みたいことがあって筆をとる』
ペンを走らせるユスタッシュにはよどみがない。着替えなど持ちこんだわずかな荷物をリードがまとめるあいだに、手紙を書きおえていた。
「あとは船中で書こう。急ぐぞ。リード」
封筒に便箋を入れて、ユスタッシュが立ちあがったときだ。
「夜中に荷造りとは、どういうことだ?」
戸口にエルタルーサが現れた。おどろいているユスタッシュの手から、書きあげたばかりの手紙をうばいとる。
「エルニルーク城へ帰るのだ。それは断りの手紙だよ。私が出てから読んでくれたまえ」
「だったら、いつ読んでも同じじゃないか?」
「エル。頼む」
「この嘘つき」
エルタルーサはキツイ口調で責めたてる。
「おれが気づかないと思うのか? だてに二十年も無謀な君を見てきたわけじゃないぞ」
ユスタッシュがうばいかえそうとしても、エルタルーサはヒョイヒョイよけて、封筒をあける。手紙を読む顔つきがだんだん険しくなる。
「この内容は真実か?」
「真実だとも」
「本気でラ・マン侯爵家をエルヴェにゆずると?」
ユスタッシュはひらきなおった。
「爵位をエルヴェにゆずり、私はどこか遠くへ行くよ。今からエルニルークへ行って、その手続きをする。君と叔父上にエルヴェが二十五歳になるまで後見についてもらいたいのだ。私は陛下の恨みも買っているしね。このさき、私のためにラ・マン家が陛下ににらまれたら困る」
「冗談じゃない。それで、君はどこへ行くつもりなんだ? そんなこと、私は承知しないぞ」
「君以外、頼める相手がいない。イヤだと言ってもしてもらう」
「陛下のことなど気にするな。皇都へ来なければいいだけだ。領内にいれば、陛下でも手の出しようがない」
「私はもうユイラという国がほとほとイヤになったのさ。身分もいらない。私は自由が欲しいのだ」
「死ぬつもりか? ユスタッシュ」
ユスタッシュは認めた。
「それでもいい。おれはもう、ほんとにこの国では生きていけないんだ」
エルタルーサは顔をゆがめた。
「ルビーはどうする?」
「……残していくしかないだろう?」
「君はそれでいいのか?」
「……」
ユスタッシュは黙りこんだ。ほら、そうだろうと言わんばかり、エルタルーサが口をひらこうとする。が、彼が何か言いだす前に、ユスタッシュはとうとつに壁をたたく。
「愛してる——愛してる! ルビー」
激情を抑えきれない。
やっと愛しあっているとわかった運命の恋人。
そばにいるだけで、心と心がつながっていると感じあえる。
残していきたいわけがあるだろうか? ずっとこの腕に閉じこめておきたいに決まっている。
つかのま、ユスタッシュは壁によりかかって気持ちを静めた。やがて、
「……ルビーには君から伝えてくれ。ツライので、別れは告げない。では、君も元気で。エルタルーサ」
きびすを返して、ユスタッシュは歩きだす。
だが、いきなり背後からエルタルーサになぐられた。
「行かせないぞ。タシェ!」
「エル!」
「力づくでも行かせない。君はここにいるんだ。なぜ、出ていく必要がある?」
言いつつ、エルタルーサはこぶしをふりあげる。今度はユスタッシュもかまえているので、片手でエルタルーサのこぶしをつかんだ。
「おれだって行きたくない。でも、しかたないんだ! わかってくれ」
「わからない!」
「物わかりのよさが君の美点だろ?」
「誰がそんなこと言った?」
「おれだよ」
「そんなだから、君はわからずやの頑固者だと言われるんだ」
「君だって、腹黒い宮中の連中とつるむ気持ち悪いヤツだと言われてるぞ」
「ああ、どうせ、腹黒だよ」
なぐりあいになるが、リードは見ているだけで止めに入らない。きっと、本心は彼も主人をひきとめたいからだ。
「とにかく、もう行かせてくれ。これ以上さわいだら、家人が起きてくるだろう?」
「望むところだ。ルビーが来れば、どうせ、君の決心なんてフニャフニャだろうよ」
「それは……」
油断したせいで、見事に顔面に一発くらう。しかし、なぐりかえすことはできなかった。ユスタッシュがこぶしをにぎったときには、エルタルーサは泣いていたからだ。
「エル……」
「行ってほしくないんだ。君は二度と帰ってこないつもりだろう?」
「……ああ」
「どこかで、のたれ死ぬだけだぞ?」
「それでもいいんだ」
「どうしても?」
「どうしても」
エルタルーサは床にしゃがみこみ、子どもみたいにひざをかかえる。小さなころ、ケンカしたときと同じだ。自分とこんなに真剣にむきあってくれるのは、エルタルーサだけかもしれない。
「ありがとう。エル。心配してくれて。でも、このまま、ユイラにいると、おれは息がつまってしまうんだ。どうにもしようがないんだよ」
エルタルーサは泣き笑いのような表情で、ユスタッシュを抱きしめ、背中をたたいてくる。
「ほんとに、頑固者だよ。君は。子どものころから変わらないね」
「そうだね」
「最後にこれくらいは教えてくれ。どこへ行くつもりだ?」
「六海州から南の密林へ行こうと思う。古代の遺跡があるとウワサに聞いた。冒険するのもいいだろう?」
ほんとはブラゴールへ行きたい。横暴だが情の深いイグナ王は元気だろうか? 身分も年も違うが、心の友と呼べる相手だった。
しかし、今ユスタッシュが行けば、やはり間者だったと言われるのがオチだ。二度とブラゴールへも行けない。行けば、イグナ王に迷惑がかかる。サリウス帝はユスタッシュから祖国をうばったのみならず、第二の祖国までうばった。そういう意味では、皇帝の嫌がらせは大成功だ。
エルタルーサは微笑した。
「君らしいな。さよなら。ユスタッシュ」
「さよなら。エル」
エルタルーサと別れて暗い廊下を歩きだすと、自分がほんとに祖国をすてるのだと実感が湧いてくる。
ベルモット邸は寝静まり、そこにいる少女の眠りを守っている。
「さよなら。ルビー」
そっとつぶやく言葉は、はたして、その人の眠りのなかにまで届いただろうか?




